魔法のボンドと親指と首ったけ(※百合物語注意)




いますぐきて きんきゆうじたい

仕事も一段落し、さて煙草でも吸おうかと椅子に座ったままうんと伸びをしていた矢先、携帯に一通のメールが届いた。

メールを開く。

題名:なし
本文:いますぐきて きんきゆうじたい

またどこか壊したかな、と肩をコキコキと鳴らし外へ出る。
いい天気だ。あとで洗濯しよう。

メールの送り主が住む、お隣さんのお宅をのびり訪ねる。

ピンポーンとチャイムを鳴らすと、「開いてるー」と中からだるそうな声が聞こえたので、そのまま扉を開けた。

「ごめん身体とれた」

「あらま」

挨拶も何もかもすっ飛ばしてそう口にした彼女は、生首のみの斬新な姿で出迎えてくれた。

またどこか壊したり失くしたのだろうとは思っていたが、身体丸ごととは。

今回は何をしたのだと問うと、階段から転がり落ちた拍子にポロリと取れてしまったらしい。

頭だけぽーんって空を飛んだよ、落ちた時衝撃でちょっと泣いたわ。
そう拗ねたように訴える顔の青痣だの擦り傷だのが痛々しい。

彼女(=生首)を腕に抱え、勝手知ったるもので居間の箪笥から救急箱を取り出し、手当てをしてやる。

「一つ気になったんだけど」

「んー?」

「どうやってメール打ったの?」

「舌ですんごい頑張った」

「あらま」

「思いっきり舌尖らせてさー。スマホで助かったよ、ボタンだったら固くて押せる気がしないもん」

落ちた時に携帯持ってて良かったよ、と不機嫌そうに呟いた。
だから普段に増して気だるそうな喋り方なのかと一人納得する。そりゃあ疲れるわ。

それはそれとして。

「もう一つ訊いていい?」

「んー?」

「身体はどこ行った?」

「わかんない」

「わかんない?」

玄関にも廊下にも見渡せる範囲には見当たらなかったが、何処かに隠れているのだろうか。

「なんかねー、多分落ちた時の衝撃でびっくりしちゃったんだと思う」

「? うん?」

「最初はピクリとも動かなかったんだけど、段々ビクビク痙攣し始めて」

「うん」

「いきなりバッ!って飛び上がって、家中行ったり来たりしてから、なんかダバダバ暴れながら出てった」

「出てった?」

「出てった」

「外に?」

「外に」

「あらま」

これは確かに、緊急事態かもしれない。

腕がもげただの、指をご近所さんの犬に咬まれて一本持ってかれただの、毎日のことなので周りも慣れたものだが。
流石に首なしの人間が街中を駆け回っているとなると、少々騒ぎになりそうだ。

まさか身体だけで動けるとは予想していなかった。人体には無限の神秘が詰まっているらしい。

と、考え込んでいる場合ではない。
今頃一人で混乱しているだろうし、速やかに捜し出して保護せねば。

「ちょっとその辺捜してくるわ」

「冷静になったらひょっこり帰ってくるんじゃない?」

「でも頭が無いからなあ。帰り道分からないかもしれないし」

「あー、確かに」

そんなことを話しながら玄関へ向かうと、彼女(=生首)もごろんごろんと転がりながら着いてきた。痛くないのかな。

「そんなに遠くには行ってなさそうな気もするけどね。様子を聞いた感じ」

「一人で落ち着ける所にいるんじゃない?公園とか」

「あーあそこね、おけおけ」

試しに行ってみる、と踵を返すと、ふと名前を呼ばれ振り返る。

「....あのね」

「うん?」

「....いってらっしゃい」

「....ん、すぐに連れて帰るから」

「うん」

玄関を出て、扉を閉める。

扉越しに、彼女がまだこちらを見つめているような気がして、コツンと額を扉に当てた。

少しの間そうしていたが、気持ちを切り替えて公園の方へ歩き出した。

無事でいますように。


──結果的に、彼女(=身体)は公園で無事に保護することが出来た。

私と彼女(=生首)の予想通り、自分の分かるエリアで冷静になれる場所を探していたのだろう。

公園までの道すがら、以前彼女の指を持ち去った犬を散歩させていたご近所さんとすれ違った。

「多分あの子の身体だと思うけどさっき公園でブランコ漕いでたわよー」と、気さくに教えてくれた。良い人だ。

公園に到着し、ブランコにちょこんと腰掛けたままの彼女(=身体)の目の前に立ち、どっこいせとその場にしゃがみ込んだ。
ビクッと彼女(=身体)が反応する。

下から見上げるように、顔(が本来ある辺り)を見合わせると、ビクビクと怯えていた彼女(もうめんどくさい)はふっと気が緩んだように力が抜け、勢いよく私に抱き付いてきた。

「おおーよしよし」

「....!....!!」

「うん、うん。一人で怖かっただろー?もう大丈夫だからねー」

表情も言葉も無いが、どうやらこの子は感情に素直な性格らしい。

頭が無いからだろうか、普段の彼女よりも精神年齢が幼く感じる。

暫くそのまま抱き締めていると、大分落ち着いたのか、「もう大丈夫」と言いたげにそっと身体を離した。
私の手をぎゅっと掴み、ぺこりとお辞儀をする彼女に、思わず笑みがこぼれる。

「....あいつも、君くらい素直に甘えてくればいいのにねー」

そのいじらしさに、無意識にそんなことをぽろっと呟いてしまった。

と、それを聞いていた彼女は一瞬キョトンとしていたが、慌てて両手をバタバタと振り回し、もどかしそうにまた私の手をそうっと握った。

「....っぷ、っはははは!
うん....分かった分かった。ありがとね」

そろそろ帰ろうか、と手を繋いだまま歩き出した。

ああ、やっぱりこの子も彼女なんだな。


──玄関の扉を開けると、「おかえりー」と彼女(=生首)が転がってきて出迎えてくれた。

彼女(=生首)と対面した瞬間、彼女(=身体)は靴も脱がずにダッと駆け出し、驚く彼女(=生首)を宝物のようにぎゅっと抱き締めた。

「ちょ、痛い痛い痛い、分かったから、怒ってないからちょっ待って苦しい、苦しいって」

「なんか迷子になってやっと親と再会できた娘みたいで可愛いよね」

「いや何訳わかんないこと言ってんのっていうか助けて痛い痛い痛い」

「....!!....!!」

感動の再会だ。シュールだな。


「─この子も無事に帰ってきたし、そろそろ一人に戻る?道具もちゃんと持ってきたし」

「....いつも引っ掛かるんだけど、それ本当に只のボンドじゃないの?」

「木工用ボンドで人体をくっ付けられる訳がなかろうに。
中身はちゃんと私が腕によりをかけて作った魔法のボンドだから安心おし」

「成分が気になって仕方ないんだけど」

「企業秘密です」

そんなことを言いつつ、彼女(=身体)の首に魔法のボンドを塗り付ける。

彼女(=身体)はじっと何かを考えるように静かにしていたが、私が抱え上げた彼女(=生首)と眼を合わせると、意を決したかのように思いっきりサムズアップをしてみせた。

「「....?」」

二人ともその真意は読み取れなかったが、彼女(=生首)の分も併せてこちらもグッ!と親指を立てた。

それを見た彼女(=身体)が満足そうに微笑む気配が伝わってきたので、頃合いかとゆっくり頭を首に乗せる。

ボンドはものの数秒でくっつくので、念のため10秒程頭を押さえたままにし、ゆっくりと手を離した。

「....うん、ちゃんとくっついたね。さすが私の魔法のボンド」

「....」

「ん、どうした?何か違和感とかある?」

「....え、ああいや、大丈夫だよ。ありがとう」

「....? ならいいけど、何かあったら言ってね」

「ん、うん」

どうしたのだろうか。微妙に、様子がおかしい。

もしや私のボンドに不具合が?と少し不安になったが、それならば言葉を濁す理由も無いので恐らく違うのだろう。

何だか驚いたような、難しそうな、というより苦虫を噛み潰したような顔をしている。

気にはなるが、本人が言いたがらないのならあまり詮索するものでもないなと思い直す。

「....あ、あのね!」

「おう!?」

思い直した矢先に急に声を上げたのでちょっとビビった。

「あ、あの、ね」

「う、うん?」

「....」

「....うん?」

「....あたし、こんなに甘えられるの、あんただけなんだからね」

「....へ?」

思わず間抜けな声が出てしまった。

「あ、あたしの身体がこんなんだってのもあるけどさ。
でもそうじゃなくて、その、えーっと....」

いつの間にやら顔を真っ赤に染めた彼女は、先程の公園で見た彼女に何故かそっくりで。

何故だか、幼い頃の彼女を思い出して。

「....これでも、あんたのことが大切で堪らないんだから」

「....うん」

「だから、っああもうあとは察しろ!」

「えええ!?ちょ、そこはもうちょい頑張ろうよ!?」

「なに!?これでも伝わんないの!?」

「伝わってるよ!?伝わってるけどさ!?」

「だから!!いつもありがとう大好きだっつってんの!!あああもう無理ほんと無理恥ずかしい無理!!」

「....あらま....」


─人とは少し違う身体を、幼い頃から抱えてきた彼女。
それでも、決して人には涙を見せず、歯をくいしばって凛と立ち続けてきた彼女。

そんな彼女を守りたくて、彼女の拠り所になりたくて。

私はずっと傍にいるよ、と信じて欲しくて。


色々な想いや記憶が、脳内で溢れ返る。

ああ、素直じゃない素直な彼女が、大好きです。大好きです。


怒ったように背を向けた彼女を、後ろからそっと抱き締めた。

絶対に離れない。魔法なんて無くたって、離れる訳がない。

「─結婚してください」


──あの子のサムズアップが見えた気がして、少しだけ泣いた。


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灰の街(※ダーク物語?注意)




──気が付くと、砂浜に立っていました。

幾重にも重なり合った鈍色の雲。
ありったけの墨汁がぶち撒かれたのかと錯覚する暗い海。
骨を細かく砕いて散りばめたような真っ白な砂浜。

波の音も、風の音も聞こえません。
耳が痛くなる程の静寂を破ろうと喉から絞り出した音も、私の口を離れたそばからほろほろとかたちを失います。

生ぬるいはずの空気は、私の脳を焼き尽くしてしまいそうな程熱を持ち、私の吐き出す息を白く塗り替えてしまう程に冷え冷えとしています。

そして、灰の匂いが何処からか漂っています。
その匂いはほんのり薫る程でしたが、息を吸う度にすべての内臓が灰で満たされていくような、なんとも不快な気持ちになります。

辺りをきょろきょろと見渡しました。

何もありません。
誰も居ません。

そっと浜辺に沿って歩き出します。
そこには何もありません。

少し足早に歩きます。
そこには何もありません。

ぴたりと立ち止まります。
そこには、やはり何もありません。

一瞬の後、狂ったように声を上げながらめちゃくちゃに駆け出します。

誰か居ませんか。
誰か居ませんか。
誰か。誰か。誰か。

不思議なことに、蹴りあげた砂が舞い上がる度、不快な匂いは段々と濃くなっていきました。

足音さえ呑み込む静かな世界と対称的に、頭の中では無数の音たちがガヤガヤと騒ぎ立てます。

視界がチカチカ瞬き、ドクドクと心臓が悲鳴をあげています。

ガヤガヤ。チカチカ。ドクドク。
ガヤガヤ。チカチカ。ドクドク。
ガヤガヤガヤ。チカチカチカ。ドクドクドク。
ガヤガヤガヤガヤ。チカチカチカチカ。ドクドクドクドク。

気がつけば、両の耳を押さえて座り込んでいました。
うるさい。うるさい。うるさい。

灰の匂いはいよいよ増すばかりで、どろどろと吐き気が込み上げてきました。
しかし、堪らず口からオエッと吐き出したそれは、真っ白な砂でした。

吐き出せど吐き出せど、白い砂は酸素と共にまた入り込み、ちっともきりがありません。

私の身体は、灰に冒されてしまった。

灰から逃げようにも、どこまでも砂浜は広がっています。

いっそ海に飛び込んでしまおうか、そうも考えましたが、海は海で墨汁の味と匂いがするのだと、何故かちゃんと知っていました。

立ち上がることも、ひいてはまともに呼吸をすることさえままなりません。

あまりの苦しさに、とうとう泣き出してしまいました。

ですが、零れ落ちる涙さえも、身体に砂が詰まっているからでしょうか、灰の匂いがします。

灰を掻き出したい。
私の身体を脅かす灰の砂を、一粒残らず掻き出してやりたい。

灰に冒された脳味噌で切に願いました。

すると、神様が願いを聞き届けてくれたのでしょうか。
目の前で砂がざあっ、と立ちのぼり、あっという間に真っ赤な火掻き棒が出来上がりました。

燃えるようなその色は、この世界で、なんて美しいのでしょうか。

恐る恐る手を伸ばします。
そうっと触れてみると、確かな金属の感触がありました。

震える手でしっかり握り締めると、まるで勇気付けてくれているような、誠実な冷たさと温かさが伝わってきました。

これで、やっと灰を掻き出せる。

さあ。さあ。両手でちゃんと握って。口を大きく開いて。

この身体を弄ぶ、忌々しい灰を掻き出してやろう。

奥の奥まで一気に引き入れて、根こそぎ追い出してやる。

さん。にい。いち。


─勢いよく差し込んだ棒は、その瞬間ざあっ、とかたちを崩し、真っ赤な灰がきらきらと口から滴り落ちる映像を最後に、私の意識は白に覆われました。


──気が付くと、砂浜に立っていました。

幾重にも重なり合った鈍色の雲。
ありったけの墨汁がぶち撒かれたのかと錯覚する暗い海。
骨を細かく砕いて散りばめたような真っ白な砂浜。

波の音も、風の音も聞こえません。
耳が痛くなる程の静寂を破ろうと喉から絞り出した音も、私の口を離れたそばからほろほろとかたちを失います。

生ぬるいはずの空気は、私の脳を焼き尽くしてしまいそうな程熱を持ち、私の吐き出す息を白く塗り替えてしまう程に冷え冷えとしています。

そして、灰の匂いが何処からか漂っています。

よせては返す波のように。

よせては返す波のように。


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ぬーけた(※百合?物語注意)




「…本当にいいのね?」

「…うん」

「…後悔しない?」

「…しない。終わりにするって二人で決めたから」

「…そう。わかった。
どちらにしろ、答えは二つに一つ。選べるのは一つだけ」


そう静かに呟くと、彼女はすっ、と目の前のテーブルに視線を落とした。

待っているのだ。
私が、決断を下すその時を。

私は、同じようにテーブルの中心を見つめる。
静かな部屋。あまりに静かで、自分のこの鼓動が彼女に届いているのではないかと錯覚してしまいそうな程だ。

深く、息を吐いた。

目の前には、人生を分かつカードが二枚、無機質な顔を突き付けるように並べられている。
その内の一枚に、気を抜けば震え出してしまいそうな手をせめてもの意地で力強く伸ばした。

さあ、全てを、終わりにしよう。


「……」


私の手の中に納まるそのカードを、ゆっくりと表に返す。

そこに描かれていたのは。

醜悪な顔で引きつるような冷笑を浮かべる悪魔ではなく、気品に満ち溢れ、感動に打ち震える私に優しく微笑む気高き女王の尊顔だった。


「…いよっしゃあああああ!!!!」

「ぎゃあああああああああ!!!!」

「はいこれで上がり!私の勝ちね!はいこれで終わりー!」

「待って待って!!もう一回!!もう一回やろ!!」

「やんないよ!流石にもう飽きたよ!」


この期に及んでしつこく食い下がる彼女。
冗談ではない。どれだけこの悪魔のゲームに魅入られているのだ。恐ろしい。


「えええなんでー!?まだ27回しかやってないじゃん!?」

「27回もぶっ続けでババ抜きやりゃあ飽きるわ!!
ていうか二人でババ抜きって時点でなんかもう色々ダメでしょ!!」

「えーだって他の遊び知らないんだもんー!」


だからって幾らなんでも入れ込み過ぎだ。
しかし本人にはその自覚がまるで無いのか、これで何度目かも分からない精一杯のおねだりを飽きること無く私に浴びせかける。うざい。果てしなくうざい。


「いいじゃん楽しいじゃん!
それにほら、27回ってキリ悪いしさ、せめてあと一回やろうよ!ね!?」

「27回も28回もキリの良し悪しは変わらないでしょうが!
大体いつもいつも無理矢理二人ババ抜きさせやがって、それこそこの三日間で何回やったよ!?」

「87回」

「87回!?三日間ババ抜きだけを87回!?女二人でババ抜きを87回!?」


とんでもない数字をけろりと突きつけられて、一瞬ふっと気が遠くなりかけた。


「おお、大事なことだから三回言いましたー、ってやつ?」

「違うわ!!87回もババ抜きに付き合わせたあんたにも87回もそれに付き合った自分にもビックリしてんのよ!!
ていうか87回ちゃんと数えてたのかよ!?何よりそれにビックリだよ!!」

「そりゃあ数えてるよー!ほら、ちゃんと表に付けてるし」


表?とその言葉を頭が理解する前に、どこに仕舞っていたのか何やら紙の束を取り出した彼女は、それはそれは誇らしげにテーブルへと置いた。

A4サイズの更に半分くらいといったところか。その辺で売っているメモ帳程の大きさだ。

その束の一枚目を見やると、でかでかとタイトル・日時・場所・天気(ご丁寧に手描きで太陽やらカサのマークやらがカラーで描かれている。地味に上手くて腹立たしい)、そして戦績表が事細かにびっちりと書き込まれていた。


「キモ!!何枚あるのよこれ!?」

「えーっと、一枚につき5回分まで書けるから、今18枚目かな」

「キモ!!めっちゃキモ!!」


まるで「昨日の夕飯はカレーだったかな」とでも言うようなあっけらかんとした口調に眩暈がする。


「頭痛くなってきた…」

「大丈夫?頭の病院行く?」

「その言い方だと別の意味に聞こえてくるんだけど」

「具合が悪いときには気分転換にババ抜きが良いよ!」

「そのババ抜きが私の頭をガツンガツン殴りつけてるんじゃい!」


いっそこいつの頭をガツンガツン殴りつけたくなったが、その衝動をどうにか堪える。


「もー、さっきから怒ってばっかりー!
いいじゃん!あと一回で本当の本当に終わりにするからさー!」


そんな人の気も知らずに、やろうよーやろうよー、と私の腕に縋り付き、上目使いでたいへん可愛らしくおねだりするこのアマ、いや彼女。

非常に腹立たしいことに変わりはないが、なんだかもう、ここまでやったならあと一回や二回付き合っても大して変わらないかという思いに支配されてもいた。

どうやら87回ぶっ続けでババ抜きをすると、人間の感覚というものはじりじりと麻痺してくるらしい。身を以て知った。


「あーもう、わかった、わかりましたよやりますよ」

「キャアアアありがとう!!大好き愛してる心中しよ!!」

「そこは普通『結婚しよ!』じゃない!?」

「えっ、結婚してくれるの!?」

「しないわよ!!都合の良い方向に持ってくなよ!!」


突然の告白過ぎるし内容が物騒過ぎるし、ああもうとにかく突っ込みが追い付かない。
逆に何でこいつはこんなに元気なんだ。その瞳の輝きは何処からやって来るのだ。吸い取っているのか。私から何か吸い取っているのだろうか。

ちぇーツレないねー、と口を尖らせていた彼女はそれでも、「まあいいや」と、気を取り直したらしい。


「それでは、栄えある88回目の勝負を執り行いましょうか!」

「もうおうち帰りたいよう…」

「ちゃんとこれで最後にするってばー!!」


今更信じられるかそんなもん。

溜め息もそこそこに、すっかり手に馴染んでしまったカードを寄せ集め、適当に切る。

その間に、彼女がテーブルの上に置いてあったカップを台所へと持っていく。

まだ珈琲がカップには残っていたが、もう完全に温くなってしまっているので、新しい珈琲を注ぎに向かったのであろう彼女を特に止めはしなかった。
「勿体ない」と叱られるかもしれないが、それ以上にこの眠気と疲れを熱い珈琲で少しでも醒ましたかった。
文句言うやつは三日間ぶっ続けで二人ババ抜きやってから言いやがれ。

程なく、緩やかに立ち昇る湯気と芳ばしい薫りを連れて戻ってきたので、キリの良い頃かとカードを互いの目の前に配る。

眼の醒めるような熱い珈琲を、覚悟と共にぐいっと飲み干す。あっつ。

目の前に配ったカードの束を手に取ると、どっさり、という擬音が聞こえてきそうな程に愉快な量になっている。
扇状に広げようとするが、カードが多すぎて上手くいかない。


「あー…手札多いなぁ…88回目の重みかなぁこれ…縁起いいなぁあはは…」

「ほらほら、先攻後攻決めるよー」

「……」


じゃーんけーん!と、言葉も振り出す手も勇ましい彼女とは対照的に、きっと今の私は死んだ魚のような眼でもしているのだろう。
なんだか差し出す腕が心なしかほっそりしている気がする。ババ抜きダイエット、特許でも取ろうかな。

そして流れるように88回目の勝負は進んでいく。あ、やばいマジでねむい。


「いよっし!またワンペア揃ったー!」

「ひと勝負の進行具合は早いのよねー異常に」

「まあ二人だしねー。はい、どうぞ」

「んー…どれにしようかな…」


手に汗握るような局面も無く、ふわあ、とつい大きなあくびが零れ落ちた。


「ちょっとちょっと、終わるまではまだ寝ないでよー?」

「この三日間私の睡眠時間奪ってんのはどこのどいつよ?」

「さあ眠気はそこの珈琲で吹き飛ばして!」

「あんたにぶっ掛けて頭醒ましてあげましょうか?」


件の珈琲は(色々な意味で)残念ながら先程飲み干してしまったので、頼れるものは己の精神力のみである。

そのまま、主に9割方彼女が一方的にはしゃぎながら勝負は進んでいった。
流石に、ここまで来たならば、そろそろ頃合いだろう。
何気ない風を装い、口を開く。


「あのさー」

「んー?」

「なんでこんなことしたの?」

「えー?」


真剣な顔で私の手札を凝視している彼女に、これまでに何度か浴びせてきた疑問を再度投げてみる。


「流石にそろそろ教えてくれてもいいんじゃない?
こうやって三日間も顔突き合わせて、88回もババ抜きに付き合ってるんだしさ」

「そうだねー、やっぱり知りたいよね」

「おお…やっとか」


というか当たり前だ。


「ババ抜きってね、実は別のゲームが名前の由来なんだよ」


おい。


「おいこら」

「『オールドメイド』ってカードゲーム知ってる?」

「え、知らないけど…ていうか続けるのその話」


聞きなれない単語も含め展開そのものに付いていけない私をよそに、何を考えているのか分からない表情のまま淀みなく彼女は続ける。


「イギリスで生まれたゲームなんだけど。
同じ絵柄のカードを揃えて、最後に『年をとったメイド』の絵柄を持ってた人が負けなんだって」


はぁ、まあ、なるほど。
あ…それで。


「それで、ゲームの名前が」

「そう、『オールドメイド』だね。
それが段々トランプでも遊ばれるようになったんだけど、その当時はまだ『ジョーカー』ってカードが無かったんだよ」

「え、そうなの?」


ババ抜きといえば、『ジョーカー』はそのゲームにおいての代名詞とも言えるだけに、少し驚きだ。


「その時は『ジョーカー』の代わりに、『クイーン』のカードで『年をとったメイド』を代用していたのですよ」

「んー、それじゃあ『ジョーカー』が出来たのっていつからな訳?」

「それは明治時代らしいよー」

「明治?」


最近と言っていいのか、随分昔なのだなと考えていいのか。いや、かなり昔か。


「うん、明治。日本にトランプが入ってきたのが明治時代なんだけど、その後に誕生したんだって」

「はー…豆知識」

「『ジョーカー』が生まれてからは、『クイーン』の代わりに“ジョーカーを残したら負け”って風にルールが変わったんだけど。
その時に『オールドメイド』を日本語に訳したら『おばあさん抜き』になって」

「…それが『ババ抜き』と言われるようになったと…」

「そういうこと」

「知らなかった」

「ふふふ、褒めてくれてもいいのよ?」


褒めんわ。


「ババ抜きの由来は分かったけど、あんた肝心の問いに何一つ答えてないからね…?」

「ちぇー、やっぱりツレないね…」

「当たり前でしょうが。
で?その話が私の誘拐・監禁とどう繋がってくるのよ?」

「ええー改めて言うとなると恥ずかしいなー」

「いいからはよ言わんかい。こちとら気ぃ抜くと今すぐ夢の世界に旅立ちそうなくらいクソ眠いのよ」


誰がどう見ても、誘拐犯とその被害者とのリアルタイムな会話ではなく、仲の良い女の子同士のそれとしか思えないだろう。

何故お前は誘拐されたのに悠長に誘拐犯とババ抜きしてるんだと言われても、こればかりは言い訳も立たない。


勿論、最初はひどく混乱した。

いくら理由を訊いても彼女は微笑むだけで何も答えてくれなかったし、気が付いた時には片足を鎖で繋がれていたので逃げることも出来なかった。
他人から恨みを買うような真似をした覚えもなく、見ず知らずの恐らく同年代の女に一体何をされるのかと、恐ろしさに身をちぢこませていたが。

何も答えず、何もしてこない彼女が私に求めてきたたった一つのことが、『二人でババ抜きをすること』だった。


初めにそう言われた時、暫く理解が出来なかった。
理解が追い付いたら、一気に怒りが押し寄せてきた。
馬鹿にされているのか、恐怖に陥っている私を精神的にじわじわ追い詰めようとしているのかと思った。

その怒りに任せ、彼女を殴り飛ばして大声で助けを求めていれば、この馬鹿げたゲームは呆気なく幕を引いていたのかもしれない。

でも、どうしてだか気が進まなかった。

何が切っ掛けで、一見無邪気に見える彼女が豹変するかも分からず、勇気が出なかったこともあるのだが。

必死に懇願してくる彼女の顔を見たら、どうしてだか、彼女を押しのけることを躊躇ってしまった。

それで三日間も誘拐犯のお遊びに付き合っていれば世話無いが。
お蔭で恐怖心だの緊張感だのもすっかり吹き飛んでしまった。甘いなあ、私。


けれど、これは立派な犯罪なのだ。

三日間共に過ごして、私には、どうしても彼女が私へ悪意を持っているようには思えなかった。

ババ抜きへの異常な執着や、調子の過ぎることなんかを除けば、至って普通の少女にしか見えなかったのだ。
何かのっぴきならない理由でも無い限りは、こんな馬鹿げた真似をしでかす人間には、どうしても思えなかった。

もし、もし何か彼女が苦しんでいるのなら。
私に、助けを求めているのなら。


「…一目ぼれだったんだ」


と、ぽつりと彼女が声をもらした。


「…は?」

「私ね、ずっとずっと一人ぼっちだったの。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも友達も、みんなみんな、それぞれペアがいて。
でも私はいつまで経っても一人のまんまだったの」


一体、なんのはなしだろう。
さっきから、妙に睡魔が煩わしい。


「寂しかったなー。みんなはどんどんペアを見つけて抜けていっちゃうのに、私だけ抜けられないんだもん。
みんなはペア同士でまた一緒に笑ってるのに、私だけずーっと取り残される。
私だけ、死ぬまで上がれない」

「…あ、んた」


頭も口もどんどん重たくなり、言葉の意味を必死で考えようとするが上手く動いてくれない。
そんな私を嘲笑うかのように、腕にも力が入らなくなり、ぱさりと、手に持っていた二枚のカードがテーブルに落ちる。


「でもね!ついに私も見つけたんだー!
好きなんだ。私とペアになってくれる人は、貴女だって思ったの」


その二枚の内から一枚を拾い上げ、絵柄を確認した彼女は嬉しそうに微笑んだ。
その一枚と、彼女が持っていた最後の一枚を、テーブルに投げ捨てる。


「この時をずーっと待ってたよ。
ただ告白するんじゃロマンがないからね。願掛け、ってやつかな」

「が、がんかけ…?」


彼女は何を言っている?
がんかけとはなんだ?どういう意味だ?

意識が急速に遠のいていく。彼女の言葉も、一切の音も、拾えない。

駄目だ。今、ここで眠ってしまう訳には。


「88回、一緒にババ抜きしてくれてありがとう。
語呂がいいでしょ?でももうババ抜きはおしまい」


彼女が椅子から立ち、ゆっくり近づいてくる。手には珈琲が入ったカップを持っている。
本能的に逃げようとするが身体が上手く動かず、椅子から転がり落ちる。
もう痛みすら感じない。動けない。

床に転がり、抵抗も出来ない私の上半身をそっと抱え上げ、膝枕でもするように私の腰に下半身を滑り込ませてくる。
そのまま、殆ど意識を手放しかけている私の頬を何度もいとおしそうに撫でる。

せめてもと必死で口を動かそうとするが、声を出すことさえままならず、陸に打ち上げられた魚がただパクパクと声にならない声を上げている姿が脳裏に浮かぶ。


と、そんな私を撫でていた手を離し、脇に置いていたカップを持ち上げる。
その真っ黒な液体を口に含むと、私と視線を交わしてにっこりと微笑み、そのまま口移した。

口の中が、微かな苦味と、甘く痺れるような彼女の唾液で犯される。

ああ、だから彼女は飲まなかったのか。


「これで一緒に上がれるね」


目蓋の裏に、無邪気に微笑む少女がくっきりと映り、やがて私の意識と共に闇に溶けていった。



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うつせみ(百合物語?ダーク注意)




「....あっづい」

「ふふふ、咲ちゃん溶けちゃいそうだね」

「....」


貴子さんは、いつでも笑顔を絶やさない。

昔からわりとおっとり笑っているような人ではあったが、ここ最近は、静かに微笑む以外の彼女を見た覚えがない。

今日だって、うだるような暑さにへばっている私の隣で、まるで暑さなど感じていないかのような涼しげな笑みを浮かべている。

なんだか大人の余裕みたいなものも感じて、むむむ、と唸る。

というか、ちょっと、マジで。


「あああもう無理無理!熱中症になるって!」

「ふふ、ちょっと日陰で休んでいこうか」

「賛成!!」


その言葉を聞くや否や、我先にと木陰の射すベンチに走り寄り、へたり込む。
くすくすと笑いながら、貴子さんもゆったりとした足取りで隣に腰掛けた。
あー、やばい、涼しい。


「今日は誘ってくれてありがとう。楽しかったよ」

「んーん、こちらこそ急なお誘いだったのにありがとう。
映画観るの久しぶりだったし、良い息抜きになりました」

「ほんと、映画館なんていつぶりだろ?ずっと娯楽は我慢してたからなあ」

「受験生はそういうものだよ。でも今日は模擬試験を頑張ったので、先生から特別にご褒美でした」

「ははー、ありがたき幸せでございます貴子大先生さまー」


二人して一瞬黙り込み、同時に噴き出す。


「早く受験終わらないかなー。さっさと解放されて、夢のキャンパスライフを満喫したいよー」

「あと半年の辛抱だって」

「うええ....具体的な期間にげんなりしてきた....」

「大丈夫大丈夫、きっとあっという間だから」


そう励まされたが、本当に一日も早く勉強漬けの日々から解放されたいものだ。


「....半年か」

「ん?」

「半年経ったら、春からまた貴子さんの後輩だね」

「....受験に失敗しなければね?」

「ちょ、それ受験生には思いっきり禁句でしょ!」


まあ、優秀な貴子大先生につきっきりで勉強を教わっているので、落ちる気は更々無いのだが。
貴子さんも、そんな私の内心を分かっているのだろう。受験生に対する配慮が見えない。
全く、大した先生サマだ。


「大学生になったら、咲ちゃんは何がしたい?」

「んー、やっぱりサークル活動はしてみたいかなあ。如何にも大学生っぽいし」

「....たぶんかなりハードル上げちゃってると思うよそれ」

「ちょっと夢壊さないでよ。
他には、バイトもしたいよね。憧れますわ」

「自分でお金を稼ぐのは良い経験になるからね。咲ちゃんも家庭教師とかやってみたら?」

「いやいやいや、むりむりむり」


どんな質問も、馬鹿にしたり呆れるでもなく辛抱強く教えてくれる貴子さんとは違って、「そこはさっき教えたでしょー!?」と、想像上の教え子に腹を立てる自分が目に浮かぶ。

咲ちゃんは面倒見が良いから向いてると思うけどなー、と買い被ってくれること自体は嬉しいが、ちょっと被せ過ぎだ。


「あとは、気軽に旅行とか行きたいねー」

「好きな人と?」

「え、それ貴子さんが聞きます?」


そっかー、今も居ないのかー、とわざわざ口にしなくてもいい事実をご丁寧に呟く彼女。
生まれてこの方、色気も無ければ男ッ気も無く、恋人なんてものが居たためしが無いことをこの「近所のおねえさん」はよく知っている癖に。


「そういえば、そういう貴子さんはどうなのよ?」

「....え?なにが?」

「今の話の流れからしてどう考えても『好きな人』の話でしょ....」


気づけば何やらぼんやりとしていた貴子さんに、反撃を試みる。
が、大抵いつも上手くはぐらかされてしまうので駄目元ではあるが。


「....咲ちゃんは、誰かを本気で好きになったことはある?」


はぐらかされるどころか、アタックを決めたボールが休む間も無くド直球で撥ね返って来るとは予想だにしていなかった。


「....えーっと」

「あるの?」

「や、その、よくわかんないけど、たぶん無いかなー....」

「....そっか」


何がきっかけでエンジンが掛かったのかは分からないが、しどろもどろな私の答えを聞いた貴子さんは、一瞬の後にいつもの彼女に戻った。

しかし、今度はそんな反応を見てしまったこちらが気になる番だ。


「....貴子さんは、誰かを本気で好きになったことがあるの?」


恐る恐る、探るように訊いてみる。
なんだか、訊いてもいいのか、それとも訊いてはいけないことなのか、どちらにも取れて少し身構えながら。


「んー、そうだねえ....」


そこから答えが続くかと少し待ってみたが、はいともいいえとも言わない。貴子さんらしい。

と、ぽつりと言葉を洩らした。


「本当に好きになるとね、その人のしたこと、全部、許せちゃうものなんだよ」

「ぜんぶ?」

「そう、ぜーんぶ」

「どんなことでも?」

「どんなことでも」

「ええー、うっそだあー」


そんなの無理に決まっていると反論したが、「いつか分かるよ」と眼を細めて笑っている。


「私の好きな作家さんの小説に出てきた言葉なんだけどね、私も、初めてそれを読んだ時は全然理解できなかったよ」

「....江國香織?」

「そう、江國さん。よく分かったね」

「ま、そりゃあね」


どれだけの付き合いだと思っているのだ。


「なんで理解できるようになったの?」


続きが気になるので、話を進める。


「うーん、そうだなあ....」

「なに、話しづらいこと?」


それならば無理には聞かないが。

貴子さんのことなら何でも知りたいが、彼女を困らせるような真似はしたくない。


「いや、そういう訳じゃないよ」と、考え込むような表情を見せながらも即座に否定する。


「....一度、きっちり死んだから、かな?」

「し、しんだ?」

「うん」


....なんだそれ。

予想もしていなかった物騒な言葉が飛び出てきたことへの説明を視線で問うが、貴子さん本人も上手く言葉にできないようで、少しだけ眉間にしわを寄せている。


「....うん、そうだね。確かに一度、私は死んじゃったんだと思う」


と思えば、私を置き去りにして何やら一人で納得している。
待って待って、置いていかないでおねえさんや。


「えっと、貴子さんは元気だよね?」

「うん」

「今、私とお話している貴子さんは本物だよね?」

「うん」

「死んでないじゃん!」

「あはは、うん、そうだね」


あははじゃない。何も笑えない。面白くない。

そんな思いが、私の恨めしそうな視線から伝わったのか、「ごめんごめん」と笑いながら謝られた。


「多分ね、今ここに居る私は、幽霊みたいなものなんだよ」

「....幽霊?」

「うん、幽霊。
一度死んじゃってから、気がついたら肉体から離れて、魂だけになってたの」

「....はあ」


今日の貴子さんは、いつもに輪をかけてオカルト発言のオンパレードだ。


「えっと、つまり、貴子さんは一度死んで幽霊になっちゃったから、今まで現世で囚われていたことも気にならなくなった。
....ってことでいいのかな?」

「うーん、そうなの、かな?」

「いや疑問系で返されましても」


まあ、彼女の言葉をそのまま繋げれば、つまりそういうことらしい。
といっても、私はさっぱり理解できていないのだが。

理解、できていないのだが。

なんだろう、なんだか、悲しい。


「もうすぐ夏も終わりだねー」

「....」

「蝉、一生懸命に鳴いてるね」


突然湧いてきた感情の出どころが分からず、少し戸惑う。

ジイジイと鳴き続ける蝉の声がうるさくて、少しイライラした。

嫌な焦燥感に駆られる。何か、とても大切なことを見落としているような気がするのに、考えがまとまらない。


「蝉は成虫になってから七日間しか生きられない、ってよく聞くけど、本当なのかな?」

「....さあ、どうなんだろう」

「蝉から見た世界は、どんな風に映っているんだろうね。
きっと、目的も持たずに漂っている幽霊には思い出せない位、すごくきらきらしてるんだろうなあ」


そう、眩しそうに話す彼女の声と、そんな彼女の関心を一身に受けている蝉の声に、耳と思考を奪われる。
待て待て、今必死に考えてるんだから。お願いだから少しだけ黙って。

今、今を逃したら、私は何か大切なものを。


「....だから、咲ちゃんも許してね」


ぽつりと、七日目を迎えた朝の蝉が洩らした最後の一鳴きを、聞いたような気がした。


―あれから何年経っても、この日だけは、彼女との会話を鮮やかに思い出す。


「....やあ、一年ぶり、貴子さん」


話しかけても、目の前の石は何も喋らない。

返事がある訳もないことはちゃんと分かっているが、それでも、こうして彼女に会いに来ると訊きたいことが絶え間なく押し寄せてくる。

なぜ、誰にも言わずに一人で往ってしまったのか。
何が、彼女を駆り立てたのか。
いつからこうすることを心に決めていたのか。
あの日、私に話してくれたのは、ひょっとすると彼女なりに助けを求めていたのか。
あの頃、私自身気づいていなかった彼女への想いに、もしやひっそりと気づいていたのか。


「....本当に、ずるいなあ貴子さんは」


サアッ、と生温い風がゆるやかに頬を撫でていく。

幽霊でもいいから、会いたかった。
ちゃんとした答えなんて返ってこなくてもいいから、彼女の声が聞きたかった。


「貴子さんは、私にもいつか分かるよって言ってくれたけど。
私、今でも全然わかんないよ」


勝手なことばかり一方的に話して。
何もかも、自分の中だけで答えを決めてしまって。
そうして、あっという間に居なくなってしまった貴女を。

許せる訳が、ないじゃないか。


「....ていうか、許す許さないを選ばせてももらえなかったし」


彼女の前に、静かに腰を下ろす。

今日は、彼女にどうしても報告したいことがあるのだ。


「私ね、あれから調べてみたんだよ。
覚えてる?突然蝉の寿命の話なんかし出すから、あの時は何かと思ったけどさ」


その時のことを今一度思い出して、少しだけ笑う。


「蝉の寿命が七日間っていうのは、俗説なんだってさ。
蝉は木から直接樹液を吸うから、昔は飼育が難しくて。上手に飼育しても、七日位しか生きられなかったみたいだよ。
それがどうやら由来みたいだね。実際には、数週間から一ヶ月位生きられるんだって」


意外と根性あるよね、とそこまで話して、黙り込んだ。
が、酸素を吸い込んで、続ける。


「....蝉でも幽霊でも、どんな貴子さんでもいいけどさ。
私は、貴子さんが貴子さんだったから、きっと好きになれたんだよ」


少しだけ声が震えたが、それに気づかないふりをして勢いよく立ち上がる。


振り向かない。立ち止まらない。

きっと、どこかで貴女が見ていてくれているから。

幽霊になる訳にも、蝉のように生き急ぐ訳にもいかない。


「....またね」


ジジジ、と蝉が鳴いた。


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メリバタ(※百合物語注意




「めりー・たなばたでーい!!」


仕事から帰ってきて玄関の扉を開けた瞬間、そんなふざけた歓声と共にパンッ!と何かが弾ける音と目の前にクラッカーを人様に向けながら何故か赤い帽子を被った、どこからどう見ても季節感とイベントをごった煮にしているとしか思えない奇手烈なエセサンタ女が「してやったり」とでも言いたげな誇らしげな顔をして立っていた。

怒濤の勢いで押し寄せた視界の暴力と聴覚へのダメージ、ついでに鼻を付く火薬臭さに一瞬思考が固まり、げほっと咳き込みながらずるずると脱力する。

というか、人に向けてクラッカー発砲するんじゃないこの馬鹿は。


「....また来たんかい」

「んっふふー、驚いた?驚いたね?
去年はクリスマス一緒に過ごせなかったからさー、今年の七夕はいっそコラボレーションしてみたらどうかと思いこうして実行してみました!わたしったらなんて天才!」


まるでほめてくれと言わんばかりのキラッキラした憎たらしい表情のエセサンタに怒る気力も無く、溜め息をつきながら靴を脱いで上がる。

とりあえず部屋着に着替えようと寝室へ向かうが、その間も「メリバター!メリバター!」と一人バタバタ走りながら騒ぐ声が廊下を響いて耳に届く。メリバタって何だメリバタって。


「おいこら不法侵入者」

「あーもう遅いよー着替えるの!
ほらほらご飯にするからうがい手洗いしてきなさーい!今晩はクリスマスチキン代わりにみんな大好きケンタッキーよん!」

「黙れ不法侵入者」


えぇーきっこえっませーん、と実に腹立たしいテンポでのたまうエセサンタ。

お前をクリスマスチキンにしてやろうか。この住所不定無職の不法侵入者め。


「ほおーら!ほんとに今日が終わっちゃうから早くおいでー?」


人の気も知らないでのほほんと笑う彼女に何か言い返したくなったが、結局何も言葉が出てこずおざなりにうがいと手洗いを済ませ食卓につく。


「え、うわなにこの料理のチョイス」

「いやー七夕らしい雰囲気出したかったんだけどさー、正直なんにも思いつかなかったのですこーしクリスマスカラー多めに出してみました!」

「いやこれまんまクリスマスでしょ」


みんな大好きケンタッキーにピザにフライドポテトに極めつけのホールケーキ(ちなみにチョコレートで出来たプレートには「お誕生日おめでとうなつちゃん」の文字が書かれているが私は誕生日ではない)。

夏真っ盛りだというのに、既に今年の冬を先取りしてしまった感満載だ。


いーじゃんほら食べようよいっただっきまーす!と合掌もそこそこにチキンにかぶり付いたサンタを見ていたら、クリスマスツリーや冬のイルミネーションなど、これ以上見えてはいけない幻覚まで見えそうになり思わず頭を振る。

何が現実で何がおかしいのか、境界が曖昧になってしまいそうだ。

今、夏。今日、七夕。七月七日、よし、よし、大丈夫私は冷静です。落ち着いた、落ち着いてる、落ち着いてる、おちついてる。


彼女が用意したクリスマスフルな料理をもそもそと食べながら、くるくると表情を変え話題を変える彼女をぼんやりと眺める。


ああ、久しぶりだな。

こんな風に彼女と過ごすのは、過ごしたのは。


いつまでも黙り込んだまま彼女を見つめる私に、始めはマシンガンのように喋り続けていた彼女も不思議そうにこちらを見つめ返してきた。


「──、どうしたの?」

「──ぁ....」


名前を、呼ばれた。

彼女の唇が私の名前を紡いだことに、突如、狂おしい程の苦味を覚えた。

今、私が頬張っているケーキは、苦味なんて感じようもないくらい甘ったるいショートケーキなのに。

どうしてだろう。口の中が、脳内が、胸の奥の奥が、じんわりと広がる甘い痺れと苦味に侵される。

頭が、喉が、上手く働かない。


「あ、あ....」


熱に浮かされたように、言葉にならない塊がぽろぽろこぼれ落ちる。

その塊を、どうにかして繋げようと内心もどかしさを覚えながら喉を震わせる。


「....あい、たかった」


少し心配そうに私を見つめていた彼女の肩が、ぴくりと震えた。


「あいたかった、ずっとずっと、あいたかった」


まるでその言葉しか知らない子供のように、同じ言葉を何度も繰り返す。

止まらない、止められない。


「は、はじめは、逢いたくて堪らなかった。
でも、貴女がまた私の前に現れて、嬉しくて、『逢いたくない』って思った」


あの日。

突然、私の前から居なくなってしまった貴女に。

例え幻でも幽霊でもいいから、もう一度逢いたいと願ってしまった。


彼女が小さな頃から大好きだった、七夕の日のお伽噺。


七夕の伝説なんて信じていなかったけれど。

一年に一度の逢瀬を守り続ける天の恋人たちを愛していた彼女なら、逢いに来てくれるのではないかと思ってしまった。

遠い夜空から、一年に一度だけ渡される白銀の道を標に、私の元へ還ってきてくれますようにと願ってしまった。


“やっほー!呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃーん!ってかお久しぶりだねー元気してたかーい!?”


初めて彼女が私の元へ還って来たとき、身勝手を承知で正直死ぬほど驚いた。

本気で幽霊か、下手すれば私が都合の良い幻でも作り出しているのではないかと疑った。
というか、今でもその辺りのことは判然としない。

ただ、生前と変わらない彼女に再び逢えた喜びで、その戸惑いはすぐに塗り潰された。

彼女がこうして戻ってきたのだ。幽霊でも何でも、また一緒に暮らせるのならばそれ以外のことなんてどうでもよかった。
織姫と彦星に感謝さえした。


私はとんでもない間抜けだった。

七夕の伝説なんて、その結末は誰もが知っているのに。

知っていた上でそれでもと願った筈なのに。


「貴女にまた逢えて、世界に色が戻ったような気がしたんだ。
貴女がまた傍に居てくれるなら、生きていけるって、そう思った。でも」


でも、の先に言葉が続かない。

息が苦しくて、視界が滲む。


天の川を渡って還ってきた彼女は、その川に拐われ再び逝ってしまった。

また来年の今日、逢いに来るから。

そう言い残して、花が咲くように笑ったまま。


一日一日を、こんなに永く感じる日が来るとは思わなかった。

逢いたくて、逢いたくて。

逢えないもどかしさと、やっと逢えても数時間の後に引き離される絶望、いつかこの逢瀬が突然途絶えてしまうのではないかという恐ろしさに、やり場の無い不安と憎しみが募っていった。

あまりの苦しさに、気が狂いそうだった。


だから、逢いたくなかった。

せめてその日までは忘れていたいと、毎年、当日にならなければ彼女を思い出さないようにと必死で自分を騙していた。

そんなもの、こうして彼女を前にすれば何の意味も無いのに。


「....わたしも、最初はびっくりしたよ。
でも、何より奈都にまた逢えて、こうしてまたお喋りだって出来て、本当に嬉しかったんだ」


ごめんね、と、彼女の方から聞こえた言葉に、涙でぼやける眼をそちらに向ける。


「一年に一度しか、逢いに来れなくてごめんね。
....先に逝っちゃって、ごめん」


グッ、と喉が詰まったような音が出る。

分かっている筈なのに、こうやって事実として突きつけられるのは、どうしようもなく悲しい。


「....本当だよ、この馬鹿」

「あはは、うん。ごめん」


いつもは生まれてこの方悩みなんて抱えたことも無いようなアホ面をしている癖に。

こんな時だけふんわりと微笑む彼女を、憎みたくても憎めない。

彼女には、敵わない。


「わたし、また来年の今日も奈都に逢いに来るから。
奈都が、わたしに逢わなくてもいいって思えるまでは、絶対に絶対に逢いに来るからね」

「....うん、うん。ありがとう。
....ごめんね、たくさん心配かけて。
来年も、待ってるからね、菜々」


それまで笑みを刻んでいた彼女の表情に、パッと、驚きの色が灯った。

数瞬の後、またふうわりとした笑みに朱を指した彼女は。

ありがとう。

そう、一粒の雫とその言葉を残して、空に還っていった。


──しん、と部屋が静まり返る。

うるさい程の静けさに耐えきれなくなり、テーブルの上に残る逢瀬の余韻を視界に捉え、これは夢なんかじゃないのだと自分を落ち着かせる。


....大丈夫。


「さて、来年はどんな風に還ってくるのかね」


いつか、私が逢いに行くまで。

二人だけの七夕ごっこに、どうかお付き合いください。


「....メリバタ」


──遠くで、メリバター!と嬉しそうな声が聞こえた気がした。


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