喜劇と悲劇とあとなんでしたっけ?言われてみてもあまりピンとはこないあたり、大して重要ではなかったり。島袋です。


空腹とはなんぞや。今や食を温める機能を失った我が家には冷蔵庫しか残っていない。食べ物なんてそこらへんに転がる睡魔や疲労、慢心で満腹。そんな生活も悪くはないと思えるのは終わりが其処にあるのを実感しているからだと思います。


結局は満たされる事はない。生活の一部と化してしまった喜劇でさえ、仕合せを組み立てるための廃材でしかない。もはや完成された幸福なんて高が知れてる。サクラダファミリアもびっくりの長期労働でももう最早お手上げ。皆無、であります。


私しか知らない死んでしまったあの頃の私でさえ、今の私を満足に運んではくれないのを今更になって嘆いても仕方が無い。大人はよく自慢気にその仕方の無さを口にする。そんななりたくない大人像に着実に、寸分の狂いも無く私は私を形成していく。




それでもやりたいことをやれてる今に、充実というふざけたことを実感している。それどころかそう思えるようになった全ての指揮に、なんの感情も無く両手を合わせることが出来る現状に、もうぐぅの音も出ませんや。ぐう。




それとこれとは話が別!ならば全て丸めて私を作ってくれ!面倒くさい事はだいぶ苦手で、頑張る、という行為をあまり理解出来ないままここまで来た私には、食って寝て吐いて寝てしか展開の余地が無い。ああ腹が減った。



寝る。
選択肢Aを迷わず突き進むだけなのです。













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