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なんとなく文章が書きたくなって


僕は、夕暮れ時の
電車が好きだ。

閑散とした風景に
ぽつぽつと人が座っている。

人が居ないところが
空席なのではなく、
空っぽが人と人の間に
座っているように思えた。


空白って 大事だ

僕はそう思う。


ドーナッツの穴は
存在か空白かと
歌っている歌があるけれど、

僕が考えた答えは、
空白が存在するには
存在が存在しなければ
ならないってこと。

ドーナッツを全部食べてしまったら
穴は無くなってしまうってことだ。


何かが無くなったことを知るには
そこに何かがあった事実がなくちゃいけない。

つまり

無くなったことは
あったことの証明だ、と
僕は思う。




ただ、僕の抱える空白は
棘だらけだった。

あったことの証明だと
空白を抱き締めようとして
傷だらけになった。

だけどそこにまた
違う形の幸せが入り込んで
「案外キャパが狭いんだな」って
苦笑いしたんだ。






夕暮れ時の電車の中
僕はそんなことを考えながら
ゆらゆらと揺られた。



車内アナウンスが
僕が降りる駅の名を告げて
重い腰をあげる。


文末にはいつだって
ピリオドを打つものだけど
単語と単語の間に
空白は何度も訪れる


僕は夕暮れ時の電車が好きだ。




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