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苺=かわいいの幻想


※やっぱり今日も、真面目に読むだけ疲れる話です(^o^)


いちごって、どっちかって言うと可愛らしいイメージじゃないですか。味も見た目も、どう考えてもプラスなイメージです。


でも最近、気付いてしまったんです。
いちごって気持ち悪いという事に。


つるっとしたぺかぺかの真っ赤な表面をびっしりと覆う、押せばにゅるっと飛び出してきそうな黄色の種。そしてこれまた、種の配置されてる凹み部分に一本一本びっしりと生えている繊毛。…何も可愛らしくなどない。むしろおぞましい。


その時思いました。私は今までいちごの何を見ていたのかと。完璧にぱっと見に騙されてました。その赤さとか、瑞々しさとかそういう所に。


でも今日、いちごを凝視して気付いてしまったんです。いや、むしろこの世に生まれてわりと早い段階で気付いていたのに、気付かぬふりをしていたんです。牛乳と砂糖をかけたいちごをおやつに出されて、それをスプーンで潰して食べたあとに残るピンク色になった牛乳。そしてそこに浮かぶたくさんの繊毛。気付かぬふりして飲み干した八歳の頃。あの頃からもう、なんとなくは気付いてたんです。でもなかった事にしてたんです。

だって子供の、とりわけ女子の世界では恒常的にいちごは『かわいい』ものだから。大人の世界でもそうですね。でなきゃ、ウェッジウッドがいちごの絵皿なんか作るわけがない。いちご100%が流行るわけもない。世間のそういう観念が、私にいちごを三割増しに見せていたのです。

観念に囚われて、自分の本能を『いや、そんなわけない』みたいな感じで否定してたんです。


別にいいんです。種も繊毛もそれ自体は。木苺なんかにも普通に生えてますからね。ただ問題は、その悪意の塊としか思えぬ絶妙な配置と、その量です。ここまで来たらぶっちゃけますが、鼻です。毛穴の開いた鼻と老廃物のような、絶妙な生々しさのその外観。

別にいちごが嫌いになったわけじゃないんです。美味しいし。ただこれからは、いちごを見ても諸手を上げて『あれはかわいいものだ』とは思わないようにします。きっと全体をとらえないからいけないのだと思います。でも駄目です。今はいちごの繊毛と種ばかりが目に入ってしまう。

ただし、二次元のいちごは別です。よってウェッジウッドのワイルドストロベリーも、東城綾のいちごパンツもなんら問題ありません。竹久夢二のデザインとか最高だと思います。

ここまでくると、蝶のデザイン大好きだけど本物は無理な人みたいなノリですが、結局なんだかんだ言って食べる事は食べるんです。




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