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悲しみが



怒りに似ているというならば
私はいつも怒っている
怒りが悲しみに似ているというならば
私はいつも悲しんでいる
終わりのない感情が
まだ私を生かしている



閉じて開いて



そのなかで孤独に耐えられなかったら
今度こそ消える
その未来しか見えないけど
私のいない空間こそ本来のあるべき場所だし
それでいいと思うには
これでよかったと信じるには
もうそれしかないから

私なんかの言葉でも
私の代わりに歩いてくれた大切なものだ
だからそれをもう
捨てたくはないんだ


もなく


怒っているわけでもなく
悲しんでいるわけでもなく
言葉にしてる私すら
ずっと理解に苦しんでいる




ねろーあろー



馬鹿みたいな話だ
口にするたび自分が傷つくのに
口にしても受け取られることないそれに
消耗していくだけの
憤懣

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本音、本心、本質その他



第三者が語るなど
傲慢にも程があるとは思わないか
それを向けられる覚悟もなく
ただ隠れて関わるそれを覗きみて
こういう本質こういう人間性
それを語ることは傲慢ではないのか
交わすことも向き合うこともせずに
相手を知ったように語ることの
相手をこういう人間だと決めつけることの
それはなんというべきか



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