私が思う以上に歪んでいて幼い
そしてその部分を認められず
理性と呼ばれる教養は何もかもを否定する
こうである自分を全て否定するのは自分が得た正しく美しくみえるものであって
他人が辿り着くことも知ることも
興味を持つこともないそれにずっと
終わり無く苦しみ終わり無く問い続けているのは
私であった
いいや知っているとも
誰かが触れればそれは形を得てしまう
それが共通の認識になって明らかになるのが
私は死ぬほど怖いのだ
恥に違いない
ずっとずっと堂々巡りならば
この思考もどこかで死んでしまうだろう
脱け殻が歩き回ったところで
目的は変質する
ずるい人間だ、私は