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まるごとタイプ



なかなかこれが厄介なんですが
私基本的に嫌いにならないタイプなんですね
これは博愛じゃなくて
単純に嫌いになるとそれを彷彿とさせる全てが嫌いで拒絶の対象になるからなんですよ
私のことを追い詰めた上司が嫌いだったころ
それを思い起こさせるものはいかに無関係であっても受け入れられなかったのと同じように
何も感じない興味がないレベルか、大概のことは受け入れるのはその影響っぽくて
本当に嫌いになると感情が激しくて激しくて
私も追いつかないので
極力何も感じないレベルに落とすんですけど
嫌いになると戻らないからなぁ…困ったものです



などと



この言葉では足りないと意地になる
そんなことばかりで
意味を内包していようと、誰がどんな意味付けをしようと
私が扱える言葉などただひとつ
私の内側に渦巻く意味をどの言葉に託したかだけなのだというのに


省みて落ち込むわけだよ



攻撃性の獲得などいらなかったはずなんだ
それを向ける資格はわたしには持ち合わせてなかったはずなんだ
傷つけられて当然で
軽視されて当然で
蔑ろにされて当然で
それを甘受して望まないことこそ
私の安寧だったのに
そこから抜け出したら葛藤の嵐だ
否定と向き合い、齟齬に苦しみ、
それでも求めるなど不毛だ
それが自我ならいらなかった
それで傷つけることを正当化するならいらなかった
ひとりになるのがいやなら全部全部捨てて押し殺せばいいのに
それができなくなってしまった
どちらが正しいのかもどうしたいのかも分からない
馬鹿げた浅ましさだ
それを許す世界などない
それを許されたと自分の感覚を閉じるしかない


何度も何度もいったり来たりで
言葉を消費するだけの獣

私に作れるだろうか
私に生まれるだろうか
いつか何かを伝えられる言葉を


既にもう



相手も私に見限りをつけてこうなのかもしれんしな


もう諦めた



これで伝わらないなら
そもそもの根本から考え方が合わないということだ
また消費や一方的な形になるなら
止めた方がましだろうし
繰り返されたことに蓋をするのも
いつまでもそんなはずはないと盲目的になるのも
疲れるだけだ
だからもう諦める
きっと、この食い違いはどうしようもない
そう捉えるしかない
元のように話すのも不可能だし
私の捉え方が間違っていたとしても
そう見えてしまう以上
好意を示すことはできないだろうから
諦めるしか、ない





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