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エッセイ読みたい

突然のエッセイ読みたい病(インタビュー読みたい病)にかかったため本棚から『文・堺雅人』を引っ張り出して通学時間に読んだ



タイミングよいときに読みたい本を読めた 大当たり〜
TVnavi本誌で初めて読んだのは終わりから数えて3つ目の「横」だったようにおもう 全然覚えてないけど巻末の写真の既視感がすごいからたぶんそう

一番好きな回は「品」で、一番記憶に残っているのは「声」で、一番面白いのは「術」

「術」はドラマで外科医を演じている時に書かれたもので、手術について思いをめぐらせておられる

シュジュツというコトバに対して
「だいいちおそろしく言いにくい。むかし、そのあまりの言いにくさにハラがたって、どこのどいつが"手術"なんてコトバを考案したのかと文献上の初出をしらべたことがあるくらいだ。おおかた江戸時代の蘭学者あたりが、『オペレーション』にあたるオランダ語をもったいぶって翻訳したのだろうとおもっていたのだ。」(109頁より抜粋)
という箇所があって、私はこの箇所がとても好き。
ハラがたって文献上の初出をしらべだすところや、しらべるに当たっておおよその見当をつけるところ。実際は江戸時代の蘭学者ではなく起源はもっと古いところにあるのだけれど、それに対してもエッセイの中で言及…不満…?を述べておられて、ほほえましいし、探究心に対して素直に感心する。ハラたって"シュジュツ"に文献上の初出をしらべるっていうアプローチの仕方をするところが。

他にも「教」「型」「鼓」「女」とかとっても好きで、好きな表現を挙げていけばキリがないくらいには好きな箇所がいっぱいあって、読んでいて頁をめくるごとに私の心は鈍くきらきらと光を放ちながらこの本を噛みしめる。

そんな中で、「守」(192頁〜)でとてもよい表現だなと思ったのが
「家には年中行事や料理のあじつけ、言葉づかいやタブーなど、おおかれすくなかれ、その家だけのルールがある。そうしたルールをまもることで、まるで薄紙をかさねるように『その家らしさ』が身についていく。」

「まるで薄紙をかさねるように」!!!

高校の時、授業で文章による現象の表現について書く課題がでて散々頭をひねったのだけれども、そのお手本がこのエッセイの中にはごろごろあって、堺雅人の頭のよさと誠実さ(この場合の誠実さとは軽率にぺらぺら喋るのではなくてコトバを一つ一つ選んで抽出して丁寧に乗せていく、という、そんな感じ)について改めて考えさせられた。
あと、文章を書く人とか、ツイッターやってたり日常的に文章を表すひとなら気にすることかとおもうんだけれども、堺雅人のひらがな・カタカナ・漢字のバランスも、コトバのチョイスと同じくらい面白くて何度も何度も読み返して味わいたくなった。
たとえば「夏休み」「夏やすみ」「なつやすみ」
同じコトバであっても3つの字面から受ける印象は違うもので、堺雅人のエッセイには…陳腐な言い回しになるけれども…堺雅人らしい表記のしかたがのせられているなあと思った。

それにしても「新撰組!」2004年放映とは、月日が経つのは早い。




ちなみに今日ノートに書いたブログネタリスト
・芸能人のエッセイ読みたい病
・デハーン
・スタスカ夏プレイ→クラ学視聴の面白さ
・雑誌ほしい
・「二次と商業どっちが好きですか?」
・ぱっぴー


いつか書きたい、特に下から2つ目。
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