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ちょっと書いてみる。


話題:天地人

最近、すっかり書くことがないのでちょっと感想でも。

謙信公がお亡くなりになる直後くらいから少々見逃してしまうことが増えまして…

最近は、ようやく見逃すことなく見ているわけですが。

いつの間にやら関ヶ原。
そんなわけで(?)今日の放送は関ヶ原の戦いです。
…小学生の時、社会のテストの穴埋め問題で

(   )の戦い

この部分がどうしても浮かばず…

(天下分け目)の戦い
と、書いて先生から△を頂いたことを思い出しましたわ。(あんまり関係無)

この戦い、三成殿も申されているように負けるはずのない戦いだったと言われていますね。

明治になって、この関ヶ原の布陣と兵力を見た、えぇと…どこの国かはうろ覚えなんですが、異国の軍人さんが西軍の勝ちだと言ったとか。

運命の分岐となったのは、小早川殿の返り忠。(素直に裏切りと申せ)

ぎりぎりまで迷った末の決断ですが…
後に小早川殿はこのことが原因で心を病んだとか。
確かに、勝敗の分岐ともなる決断…
そして、その決断は親しい人たちを裏切る行為。
まして、この小早川秀秋という人物は元は秀吉の血縁…
裏切るという決断を、後まで引きずるのは無理もない…と思います。

ここから、西軍は総崩れになるわけですね。

動かなかった西軍の総大将の毛利殿。
吉川殿が動かないので、動けないと言っていましたが…

何かの本で、毛利元就公から続く毛利氏を取り潰されないように吉川殿が毛利殿を押さえた…と、読んだことがあります。

確かに、先に出た小早川氏と吉川氏、合わせて「毛利の両川」と言われていたくらいですし…そう考えると納得、かな。(吉川氏には元就公の次男、小早川氏には元就公の三男がそれぞれ養子に入って後を継いでいます。…念のためちょっと補足です)

三成殿が負傷され、落ち延びる様は…見ていて胸が痛みました。
…作品によっては、戦下手に書かれることもある三成殿ですが、陣中の様子は武将として恥じないくらい堂々とした様だったなぁ…。
まぁ、個人的に家康公が苦手なので(理由は自分でも謎。でも江戸時代は好きという)どうしても、西軍寄りに見てしまうのかも知れません。


…なんだか、天地人の感想というより歴史の考察のようになった気がする…(汗)
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