……神はもうすぐ死ぬ。
ずっと隣にいたから分かってた。 神が最近、どこかに出かけているのは知ってた。次々といなくなる仲間達。一人、また一人と神の元を静かに離れて行った。きっとそういう時期なんだ、とは感じていた。それでもまだ神と離れたくなくて平常を保っているうちに、神から終わりを宣言されてしまった。
神の相手は綺麗な人だ。「年の割にドジで子供染みててほっとけねえ奴だ」って言って神は笑ってた。もうすぐ死ぬのに幸せそうだった。相手の人の腹はどんどん大きくなっていって、それを見ているたびに俺の胸が苦しくなった。あの腹の中にいる小さな命が失われれば、神はまだ生き続けるんじゃないか?そう思ってしまう自分が恐ろしく感じた。それくらい神が大好きなんだ。この想いもあとどれだけ続くのだろうか?
「お前はどうするんだ、誠児?もし、お前が最期まで側にいてくれるなら…」
「おう、俺はずっと神の側にいる。ずーっと」
神は笑った。その笑顔はどこか儚げで、そのまま消えてしまいそうだった。
「ありがとな。じゃあ、あいつも、お前に任せるよ。お前が大切に育ててくれ」
そんな言葉聞きたくなかった。そうは言えずに、俺は無理矢理笑顔を作った。その時のことは考えたくなかった。
「分かったよ、神」
神の言うことなら何でも聞けるよ、そういつも通りのことを思った。きっとそうでなければ、俺はとんでもないことを仕出かすかもしれない。
相手の陣痛が酷くなった。神と俺は彼女を連れて病院へと向かった。彼女の苦しむ声がする。俺と神は部屋の前で立っていた。神の身体はふらふらしていた。
「大丈夫、神?」
「ああ、あいつに比べたら俺のなんて何てことねえよ」
そう言って神は笑った。でもその額には汗が滲んでいる。俺は神を抱き寄せた。思った以上に神の身体はすんなりと俺の方へとやってきた。
「誠児…いや、久々にそーせーじって呼んでやろうか」
神は声を出して笑った。後ろの部屋からは看護師の「もうすぐですからね、頑張って!」という声が聞こえる。
「…今まで、ありがとな」
「嫌だよ、神!死ぬんじゃねえよ!」
神の指が俺の唇に触れた。
「デカい声出すんじゃねえよ。ここ、病院だぞ」
バタバタと急に忙しくなってきた。きっと、彼女の容態が悪いから。それはもうすぐ新しい神が生まれる証。ごめんと謝ると、神はまた俺に微笑んでくる。
「お前がいたから、こんなに長い間、神として、やってこられた」
きっと普段ならこういう言葉が何よりも嬉しいんだと思う。だけど、今日は違う。そんな言葉を言わないでほしい。普段通りの何てことないことを話してほしい。そう俺は思っていたけど、口には出せなかった。
「俺を慕ってくれて、俺を愛してくれて、ありがとう。お前は、最高の、熾天使だ。俺の誇りだ」
向こう側の騒がしさが増してくる。俺の腕への重みも増してくる。神の声はどんどんかすれていく。それでも俺を見て、俺に微笑みかけてくる。
「これから先、お前はまた人間として生きるだろうな…?楽しんで、目一杯、この先の”人間としての人生”を」
何か言わなきゃ、と思いながらも言葉が出てこなかった。俺はただ神の言葉を聞いている。何だろう、頬の辺りが濡れているような気がする。
「俺のことは、もう、いいから。 ただ、俺の子供は、大切に、育ててやってくれ。できないなら、他の奴にでも、頼めばいいから、とにかく、あいつに、愛情を」
うんうんと俺は何度も頷いた。内容は頭に入っているようで入っていないかもしれない。もう怖くて仕方がなかった。時間が止まってほしくてたまらなかった。運命に願った。これを止められるのは運命だけだと思った。
「ごめんなー…、そーせーじ…。お前を、置いていくことになって。お前は、俺がいないとダメなのにな?」
神はそう言って声を出してまた笑った。 俺も釣られて少しだけ笑う。
「そうだよ…!俺には神が必要なんだよ…!!」
泣くな、俺と自分に言い聞かせれば言い聞かせるだけ、声が涙声になっていって。頬を暖かい何かが伝っていくのを感じる。笑わないと、神は俺のこんな顔を見たいんじゃない、そう思いながらも、別の俺がそれを阻んでしまう。
「ん、そうだよな…。本当に、ごめんな…。それでも、お前には、”人間としての人生”を、堪能してもらいたいぜ…?だから、ちゃんと、がんばれよ、そーせーじ……、”俺”からの最期の、願いだ……」
神の目が閉じていく。それを止めたくなったけど、そんな手段はなかった。ふっと目を閉じた神が口を小さく開く。
「お前に、名前で、呼んでもらったこと、ない、ままだな……”桐笥”って、言えよ、誠児」
「……桐笥」
俺のそれを聞くと、神は満足そうに微笑んだ。俺の身体に身を任せて、ゆっくりととんでいく。
背後の部屋から、小さな神の産声が聞こえた。
神−北園桐笥は死んだ。俺の神は死んでしまった。俺の腕で、満足そうな顔をして眠ってしまった。
俺は新たな神の産声を聞きながら、さっきの言葉の続きを”桐笥”に届くように風に乗せる。
「ずーっとずーっと、大好きだよ」
おわり