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居場所

新しい職場で2週目


まだ引き続きも先延ばしのため
これといった仕事がない

頼まれ仕事があればこなすだけ


先週の頼まれ仕事について、部長からお褒めの言葉をいただくが


それが終わって、今はやることなし


居場所がないなー


あと八時間

長いな

つづき

ちなみに最低なのはまだ続きます


先日新しい部所の課長が申し訳なさそうに言ってきました

今度のボーナス(今日です)なんだけど
前の課長の査定がマイナスだったから、少し少なくなるから


まぁそりゃそうです


6ヶ月のうち、2ヶ月は休んでいて
その後も休みがちで、営業にも出れなかったわけでね

だからマイナスも仕方ないとは思います


ただやっぱり納得いかないのは、そういう状況にしたのはオマエラだろ、って思っちゃいます
悔しいですね

別に特別優秀でもないので、毎回査定がプラスなわけではありません

でも以前は一度もマイナスなんてなかったし
何度かプラスの査定をもらったこともあります

でも、あの職場にいってからの3年で、一度もプラスはありませんでした
最後はマイナスでした

ちなみにその職場に行くまでの3年はほぼ毎回プラスを貰えてました

やっぱりこういうのも当然モチベーションに繋がるわけで

別に特別手を抜いたとか、やり方を変えたとかではないのですが

やっぱり『合わない』
職場に合わなかったのだと思います


本当に人生を狂わされましたよ
生涯年収が明らかに変わってるし

いや、金よりもプライドですね

査定がプラスだったとき、感じたのは金額よりも認められた喜びだったから

大きな原動力になりましたね


最後までいやな思い出


でも一つ嬉しかったこと


前の部所は課は違うけど、同じ部になる違うエリアがいくつか存在してました

当然課が違うので、課長も係長も違います

そんな課で、四国の課がありました

そこの課長はいい人で、年賀状で励ましの言葉をくれたり
相談に乗ってくれたこともありました

四国にはその課長と係長と後輩と三人男性がいるのですが
係長も後輩も、私をいじめてた部長に評価されず
大阪から出された人間です
課長も係長もここ数年で他部門から移動してきた人で
そのため、よく相談をされました

基本的に課をまたいでの便利屋だったので
よくそっちの課の書類を作りました

ただ、俺がいた課とは明らかに違うのは
その書類を俺が送ったあと、課員にメールするときに、必ず俺の名前をいれてくれました

○○さんの協力のもと、みたいに


これって結構嬉しいんですよね

便利屋じゃなく、ちゃんと評価された気がして


またその課長は、職場に合わず苦しんでいた私を引き受けると、部長に打診したこともあったらしいのです
私が相談に乗ってもらう前に

なぜか部長に却下されたようですが


そんな四国の人達から

東京に移動になった後に、なんと色紙が届きました

安い色紙でなく、記念用の模様つきの少し高そうなやつです


メンバーはたったの八人なので、一人一人がしっかり文章を書いてくれています

四国は当然県が違うので、書いて送ってを繰り返したのでしょう
手間もかかったと思います

後輩たちは直接仕事をしたことはあまりないけど
新人の時にみんな研修をしました

みんなその時の事をしっかり書いていてくれました


先輩二人、課長と係長は
変に隠すこともせず、堂々と

辛いこともあったと思うが、負けずに頑張れ!

と言ったことを書いてくれ、逆にうれしかったな


本当うれしくて

東京支社で一人泣いてしまいましたよ


査定も扱いも最後までひどく
忘れたいと思っていたけど

一つだけ、忘れられなくなってしまいました

最後の日のこと

以前の職場、最後の日は最低でした


朝から席の後ろの方で後輩(男性)の声が聞こえます

『これ、誰が渡すんですか?え、僕ですか?』


明らかに俺への送別の品についてです
気付かないようにしましたが

まぁ確かに彼が驚くのも無理はない
彼と俺は、全然仲良くないし

と言うか、仲良かった人はみんな辞めたり移動したし
俺自身、適任者がいないなーと思ってたので

俺の当たり障りない挨拶の後に、やっぱり彼が品を渡す係でした

その彼の心のこもっていないコメントが素晴らしいです
(この薄っぺらさが嫌いでした)

『○○さん、この度はご栄転おめでとうございます』

嫌みか!
ご栄転、って
確かに、どんなに都会から地方に移動になろうとも
ご栄転、と言う言葉を使うのは、社交事例みたいなもんだけど

体調を崩し、誰がみてもそれが理由で移動する人間に、ご栄転って使うかね
普通に、お疲れさまでした、で良かったのに

本当に言われた時、えっ?って彼の顔を見てしまいましたよ

更に、どんな忙しい時でも相談をしたら、必ず答えてくれ、みんな感謝してます
と少し嬉しい事を言ってくれ、少し回復したら

『○○さんがいなくなったら、企画職(係長)以下の男性は僕だけなので寂しいです』

と言われましたよ


一応俺、企画職の一歩手前なのね
もし去年休職してなければ、企画職の試験を受けてたわけだし
まぁたぶんあの職場では受からなかったと思うけど
もしあんな職場に来なければ、
モチベーションが高いままでいられたら、受かっていたかもな、とか思います


そういう意味で、企画職になり損ねた人間に言うかね
また、えっ?ってなった


まぁ彼をフォローするわけではないが
俺とそんなに親しくなく
実際、彼も他の営業所から移動してきて、一年
その時にはすでに俺は治療中で
接点も何もない

その上当日に言われたわけでね
よく話したよ


だから心無い言葉の中で
俺の相談についてのエピソードが少し他の言葉に比べ、少し具体的だったから、そこには少し真実があったのかな、と都合よく受け取りました

ただ当日に指名するくらいだから、上の人間にとってどうでもいいことだったんだろう


そしてプレゼントです
ちょっぴり期待してました

と言うのも数日前に聞かれたのです
何かほしいものは?と

最初は図書券、でも金券はダメ
じゃあ、子供にあげるから絵本セット

これも、子供ではなく俺のためのものでないとダメと却下


なので俺も少し考え
デジタルフォトフレームを希望しました

事前にネットで相場を調べ、値段もピンキリだけど

だいたい五千円ちょっとでそれなりのがある

うちには十人ちょい社員がいるから、一人千円は出さなくても、五百円は出してくれるだろうと
一応考えてリクエストしました


希望に答えられるかわからないけど、とやりとりをしたのは同期の女性

少し前までは仲良くしてたので
数ヶ月前なら、プレゼントの渡す係りは彼女で間違いなかったでしょう


しかしある時期から、急に俺をいじめてた上司側につくようになったんだよね
上司に、俺が言ってもない悪口を吹き込んでいたことも知りました
あれはショックだったな

気まずいのか、全く話し掛けてこなくなりました
当然俺も話しません

移動が決まってからも、一言も

それがラスト三日前に久しぶりに話し掛けてきました
何事も無かったように白々しく

俺ももう会うこともないから、気にしないで話しましたが


そんなことがあったので、プレゼントは少し期待してました


しかし箱の大きさはともかく重すぎる!
デジタルフォトフレームってこんなに重いか?


で挨拶後に一応一人一人に送別品について、お礼をいいに回りました

まず一人の女の後輩が
『ごめんなさい、思った以上に重くて。頼んだら、予想以上に重くて‥』
みたいな事を言ってきました


え?買ったの君なの?
同期の奴じゃないの?

ぶっちゃけその後輩とも全然仲良くないです

単純に一番後輩は彼女です

明らかに、押しつけられたのでしょう

同期の奴にも言われました

『ごめん、希望に答えられなくて』


あ、やっぱり

袋がヨドバシやヤマダ電機じゃないから怪しいとは思ってた
そごうや大丸でもなくイオンだし


いったいなんなんだ?

みんながいなくなったスキをみて
包装紙を透かして見て見ました

見えました

『ニュービーズ詰め合わせセット』


なんと洗剤!

意味わからん

子供のはダメとか言いながら、これ家族(奥さん)のじゃん

って言うか聞くなよ、欲しいものを

やらしい話、値段調べちゃった

簡単にネットに出てました

ぶっちゃけ一人三百円くらいです

安い、安い

今まで何人も退職や転勤で送別品を見たけど一番安いな

最後まで、ろくな思い出がない

まぁ正直最後に手厚く送別されるほうが、なんか申し訳ないから
全然これでよかったし


ちなみに、当然のように何もメッセージとかはありませんでした


続きます

あれから

東京に転勤になりました

今も、東京の新しい家で書いてます

新しいと言っても、これまで住んだ家では最も古い物件ですが


古い家に住んだのも理由があります

単純にお金を貯めること
貯めて家を買うこと

妻からの提案です

新しい生活が決まってから会話が増えました

妻から、将来の話がよく出ます
家のこと、子供のこと

ただちょっと過去にいろいろあったうちの親には会いにくいみたい

それは時間が解決すると思ってます

新しい職場は暖かいです


仕事は内勤の仕事ですが
これまでのように、雑用ばかりでなく
きちんと役割を与えてもらっています


体調の方も良くなりました

引っ越しの前に、ずっと通っていた心療内科の先生にあい、転勤の事を話しました

先生はとても喜んでくれました

元々の原因は職場にあり
そこから家庭へ繋がっていた、
だからその元が変われば、きっと良くなると 

仕事も無理しないように、徐々に慣らしながらやっていけばいい、と

これは新しい職場の課長にも同じ事を言われました


自分でも上手に甘えつつ、厳しく頑張っていこうと思います

と言いつつ、昨日今日と
急性扁桃炎という病気で高熱をだし、休んでしまいましたが

明日は行きます

明日で終わりです

明日で、長かった今の職場は最後です

一応形式的に、朝挨拶の時間が貰えるみたいですが


言いたい事は山ほどあるけど
言う価値もないと思っているので
当たり障りなく、挨拶をしようと思ってます

新しい場所に行っても
今の職場の話はしないつもりです

たぶん、心配してくれた仲間や単純な興味本位な人が、今の職場での俺への扱いを聞いてくると思うけど

極力話さないつもりです

話さないのが美徳とかそんなんじゃなくて
もう思い出して、語りたくもない

プライドを傷つけられ
自我を傷つけられ
自信を失わされ

家庭にも影響が出て

自分自身、死を考えたり

本当に人生を狂わされました


でも、それが明日で終わり

もちろん、新しいところが何もかも、自分の理想通りとは限らないことは充分承知してます

でも、本当に今は前向きな気持ちであふれてます


自分でも少し強くなってきた気がします

先日も移動が出た後に、上司に嫌味を言われました

君は決して相手(新しい職場)から望まれて移動になったわけではない

などと相変わらずでした

でも、今までのように落ち込むことはなく
自然と聞き流せました

恐らく言っていることは事実でしょう

でも事実であっても、今の環境から動けば
やれる自信はあるので、そんな嫌味には振り回されるのはうんざりと思えました

移動が出てから、薬を飲まなくても寝れるようになり
朝も起きれるようになりました

妻との会話も、これからの住居のことや娘のこと
東京に帰ったら、行きたい場所など
少し増えてきました

妻も安心したんでしょう

そして彼女も今の土地には合わなかったので、ホッとしてるのでしょう


ともかく、明日で終わりです

もがき苦しむのは、もう終わりです
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