もう少しで一年が終わります
両親と一緒に過ごせるのはうれしいけど
まさか家族と離れて過ごすとはな
妻とは結婚前は、二年付き合い、要は二年年越しがあったんだけど
年越しの瞬間自体は、家族と過ごしたいと一緒にはいなかったな
逆に俺は就職してから、一人暮らしをはじめ
同じ関東圏内で、遠いところに住んでても
車で二時間はかからなかったので、ほとんど帰ってない気がする
就職して、つまりは家を出て十三年かな
実家だと好きにテレビが見れないから(特に大晦日は寝ないで見たいから)
だいたい年明けに帰省してた気がする
一度もない、とは思わないけど
とにかく親父と過ごすのは久しぶりで
お母さんとは初めてだ
(父と母は私が就職後に出会い再婚してるから)
悪くはないんだけどね
思えば、自分がいつからうつ病になったか、なんていうのは明確にわからないけど
もともと職場に合わない、自分のやりたいことが出来ていない、と言う気持ちがあって
ただその頃はそれを上手に、不満やエネルギーには出来ていた気がするんだけど
はっきり覚えているのは
昨年末の、例の部長とお客様への挨拶回りの時
もともとよくは思われてなかったとは思ってました
私よりキャリアも経験がない人らが、会社から移動もしやすく、売上的にも悪くないエリアもやり
大都市での営業成績を上げて、この場所に来た私に与えられたのが
失礼ながら、移動には時間がかかり、売上や会社としての開拓も不十分なエリアを持たされ
大切なエリアには、何度も担当と一緒に足を運ぶくせに
私のエリアに来たのは、本当に年末の挨拶の12月後半が初めてだったし
ちなみに、以前は部下もいたし
主任の肩書きもあったけど
こっちきて、部下もゼロ
肩書きもなくなったし
(主任の肩書きは上司次第で付けられるので、単なる肩書きでしかなく、給料が良くなるわけではないですが、やはりやる気にはなるものでした)
その日一緒に仕事をしていて言われたんですよね
君がなぜ、この地区に移動になったか知ってるかい?と
私は前の職場の課長にこう言われてました
ぶっちゃけ前は本社にいたので、その課長の意志が人事に大きく影響をもたらします
その人から言われました
これから行ってもらうエリアは、売り上げも今はきびしく
そもそも知識、経験を持った人間がまったくいない
(当時、どんどん辞めていったんですよね)
担当もそうだし、上職者すら知識経験に乏しい
そこで君にリーダーシップをとってほしいんだ、と
その課長は私が若い頃からの良き先輩で
まずはお互いの故郷の神奈川で一緒に仕事をし
結果として、その人が神奈川の係長から東京の係長になり離れてしまいますが
その人の次の次に私が責任者になり
その人が作り上げた土台をうまく開花出来
大きな営業成績を残せました
その後、その人が東京から本社、いわば全国管轄の係長に異動し
その後釜として、私が都内の主任になりました
年齢的な差があり、私は係長ではなかったですが、後を継いだと自分でも思ってます
そしてその後、幸い新たなエリアもいい成績をを収めら
そのせいかはわかりませんが、その後同じ本社に行き、また仕事をしたのです
今も尊敬してますし
私の病気のことを知った時も、すぐに来てくれました
私が、どこか後ろめたくて、うつ病になったことを半年くらい言えなかったんですよね
なんでもっと早くいってくれなかったんだ、と言ってくれた時はうれしかった
今回も復帰にあたり、いろいろ話を聞いてくれたし
昼間に書きましたが、体調不良で入院した時も県外から誰よりも早くお見舞いに来てくれましたね
話は戻します
なので課長からは、私には今のエリアの重要部を担ってもらうつもりで、送り出すと言われました
でも現実は、過疎地帯と言うか、非常にやりにくいエリア、環境で
あとから課長も、まさか私がそんなエリアになるとは、と言われてました
ただ一度、辞令が出て離れたら組織は別で
いくら本社でも、各営業エリアについては各支社に任せるしかないので、手が出せないと言うことでした
だから、冷たいようだけどそこで頑張ってもらうしかない、と言われました
この言葉があったから、申し訳なくて、うつ病の相談が出来ませんでしたね
話がそれました
部長に言われた、君がここに来た理由と言う問いです
部長は長年現場一筋で他部門ではありますが、歩いてきた人です
その部分では尊敬もしてますし、認めています
ただ現場一筋の人はどうしても本社にはよく思っていません
これはどこの会社でもよくある事だと思います
私には対しても、「本社から送り込まれた手先」くらいに思ってたのでしょう
で、その問いですが、
君にこのエリアをちゃんとしてほしくて、と言われたなんて事はもちろん言えませんので
わかりませんと答えました
そしたら、部長はこう言いました
君は本社からいらなくて出されたんだ、と
君は本社にいることを鼻に掛けすぎていた、だからそれが良くないから、出されたんだ、と言いました
鼻に掛けていたかどうか、それはそのつもりはありませんでしたが
(決して本社がえらいとか給料がいいとか言うシステムではない会社なので)
本社と言う広い視野で仕事をすること
営業とは違う観点で会社の動かし方をする、と言う
本社の仕事に誇りを持っては今もいますし
今でも、本社での仕事をした期間が充実してましたし
今でもまたやりたい、と思ってます
私も本社に行くまでは8年ほどですが、やはり営業しか知らず
本社に対し、多少対抗意識を持っていたのはあります
ましてや私は大学を出ていないので
本社なんか縁もないと思ってましたし
それが本社に行ったら、それまで持っていた仕事への価値観がすべて変わったんですね
向き不向きがあると思いますが、私には天職とすら思いました
部長や過去の私の例をだしてもわかるように
本社と言うのは、何をしても現場の営業部隊からはいろいろ言われます
それが嫌で本社配属を嫌がる人も多くいます
私も現場からいろいろ言われましたが、それを活かし改善や提案するのが本当に自分に向いていたんですよね
なので、後に聞いた話ですが
本部長(本社で一番偉い人、取締役)が送別会の帰り私の挨拶などを見て
あそこまで本社の仕事に対し、気持ちがある担当はめずらしい
またいつか戻してあげたい、とも言ってくれたそうで、とても励みになったのは覚えてます
その反面、そういう気持ちが常にあったので
現在の営業部での会議や飲みの席の時などに、
新商品の開発の遅れや発売時期のタイミングなどに
現場として不満がある時など、本社の悪口大会になるんですよね
でも私は一度もそれに自ら乗った事はありません
さすがに本社側に立って反論なんかはしませんが、たいていは黙って聞いてて、同意を求められたら、ごまかすか仕方なく同意するか、ですが
あまり同意した記憶はないですね
反論をしないのは現場の人達の言い分が充分理解できるからしません
確かに変なタイミングで発売されると日々の営業計画に大きく響きますし
でも同意しないのは、本社の苦労を知ってるからです
私の会社はそこそこの会社なので、いくつも分野が違う商品を取り扱ってるので
新商品を出すにも同じ会社内でも、いろいろ手続きやらがあります
それがとても大変なのです
だから、現場としてはあと一ヶ月あとに発売してほしくても
本社からしては、生産計画などを考えると今を逃すと、また半年先になってしまったりするんです
そのため、一見現場の意向を無視したように見えるんですね
そういうのを知っていたので、その手の話の時は私はは極力話に加わらないようにしてたのですが
私をいじめていた上司らはとにかく本社批判が好きで
またまわりの若手も洗脳なのかごますりなのかはわかりませんが、
合わせたりするんですよね
なので私が浮くんです
だからたぶんいじめのターゲットにもなったのでしょう
妻にはその辺りはもっと上手にしなきゃ
とは言われてたんですけどね
やっぱり、嫌なものは嫌でしたね
結果、今のようになりましたが
また話がそれました
部長に言われた時はすごくショックでした
本社の方が実は裏でそんなことを思っていたなんて
ではありません
それが真実でも嘘でもどっちでもいいんです
そんな話を私にする部長の真意が理解できなかったのです
要は、君の好きなあの子は裏で君のことを悪く言ってるよ
とわざわざ教えてくるやつがクラスに一人くらいいたと思いますが
まさにその感覚です
何が言いたいの?
考えられるのは、単に私を落ち込ませたいだけ、でしょう
確かに落ち込みました
内容ではなく、行動に
確かに私をよく思わず、チャンスのない扱いをしていました
でも、一応も一応、その時の所属の上司なんですよね
その人が、わざと私を落ち込ませようとした事自体が本当にショックでした
おそらくその日から私は、それまでの私を嫌う部長や係長からの発言を
何を言ってんだ、今に見てろ
と言う考えで、受けとめられなくなった気がします
部長の話は、実際は嘘だと思ってます
実際課長をはじめ、本社のスタッフがたまに会議なとに来るときは、
部長らには内緒で、私と食事をし
いろいろ現状について聞かれたり、話したりしてました
まぁ確かに、本社から送り込まれた手先みたいな事はしてましたが
それでも自分では、今のエリアがよくなるために
代表して、現状を話していた気持ちもありました
でも、そもそも私がいらない子だったんですね
うつ病になった後の本社の課長との食事の時に、課長は否定してくれましたけどね
本当に事実なら事実でもよかったんです
鼻に掛けていたのを反省しなければいけないので
でも、この部長のやり方で何かが自分の中で壊れた気がしますね
で、以前も書きましたが
それまでも、部長や係長に
お前は後輩によく思われてないと言われても
以前はそんな事はない、みんな係長にバレないように私に相談し、私のアドバイスのあと係長に話をしていたので、わかってないのはお前だ、みたいに腹で舌をだし、乗り越えていたのですが
それからは
本当に嫌われてるのかも、と思い始め
相談に来た後輩に対し遠慮をもったり
自ら相談に乗ってあげたりとは出来なくなってしまったんですよね
本当に、あの日から始まった気がします
単にあと1日と言うことを書くだけのつもりでしたが
どうしても、家族や仕事のことを書いて長くなってしまいますね
やっぱり、誰かに聞いてほしいんでしょうね
きっと現実に比べ、私の主観や都合のいい解釈はたくさんあると思いますが
なんなんでしょうね
全然文字が止まらない
生き急いでるのか
それとも死に急いでいるのか
夕食後、まだ咳が出るので、両親と離れ、一人になったからでしょうか
寂しい年末がそうさせるのか
あまり長いと読む方も疲れると思うので、もうやめますね
きっと明日も長文を書くと思いますが(笑)
(タイトルの、そして、からは後付けで書きました)