ちなみに最低なのはまだ続きます


先日新しい部所の課長が申し訳なさそうに言ってきました

今度のボーナス(今日です)なんだけど
前の課長の査定がマイナスだったから、少し少なくなるから


まぁそりゃそうです


6ヶ月のうち、2ヶ月は休んでいて
その後も休みがちで、営業にも出れなかったわけでね

だからマイナスも仕方ないとは思います


ただやっぱり納得いかないのは、そういう状況にしたのはオマエラだろ、って思っちゃいます
悔しいですね

別に特別優秀でもないので、毎回査定がプラスなわけではありません

でも以前は一度もマイナスなんてなかったし
何度かプラスの査定をもらったこともあります

でも、あの職場にいってからの3年で、一度もプラスはありませんでした
最後はマイナスでした

ちなみにその職場に行くまでの3年はほぼ毎回プラスを貰えてました

やっぱりこういうのも当然モチベーションに繋がるわけで

別に特別手を抜いたとか、やり方を変えたとかではないのですが

やっぱり『合わない』
職場に合わなかったのだと思います


本当に人生を狂わされましたよ
生涯年収が明らかに変わってるし

いや、金よりもプライドですね

査定がプラスだったとき、感じたのは金額よりも認められた喜びだったから

大きな原動力になりましたね


最後までいやな思い出


でも一つ嬉しかったこと


前の部所は課は違うけど、同じ部になる違うエリアがいくつか存在してました

当然課が違うので、課長も係長も違います

そんな課で、四国の課がありました

そこの課長はいい人で、年賀状で励ましの言葉をくれたり
相談に乗ってくれたこともありました

四国にはその課長と係長と後輩と三人男性がいるのですが
係長も後輩も、私をいじめてた部長に評価されず
大阪から出された人間です
課長も係長もここ数年で他部門から移動してきた人で
そのため、よく相談をされました

基本的に課をまたいでの便利屋だったので
よくそっちの課の書類を作りました

ただ、俺がいた課とは明らかに違うのは
その書類を俺が送ったあと、課員にメールするときに、必ず俺の名前をいれてくれました

○○さんの協力のもと、みたいに


これって結構嬉しいんですよね

便利屋じゃなく、ちゃんと評価された気がして


またその課長は、職場に合わず苦しんでいた私を引き受けると、部長に打診したこともあったらしいのです
私が相談に乗ってもらう前に

なぜか部長に却下されたようですが


そんな四国の人達から

東京に移動になった後に、なんと色紙が届きました

安い色紙でなく、記念用の模様つきの少し高そうなやつです


メンバーはたったの八人なので、一人一人がしっかり文章を書いてくれています

四国は当然県が違うので、書いて送ってを繰り返したのでしょう
手間もかかったと思います

後輩たちは直接仕事をしたことはあまりないけど
新人の時にみんな研修をしました

みんなその時の事をしっかり書いていてくれました


先輩二人、課長と係長は
変に隠すこともせず、堂々と

辛いこともあったと思うが、負けずに頑張れ!

と言ったことを書いてくれ、逆にうれしかったな


本当うれしくて

東京支社で一人泣いてしまいましたよ


査定も扱いも最後までひどく
忘れたいと思っていたけど

一つだけ、忘れられなくなってしまいました