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つながり そして前進

いまできることを。


明日、発達障害のこと、それに関する社会問題のことを、たくさんの経営者のかたがいる前で伝えてこようと思う。

伝える場を与えてくださったあの方に感謝しよう。

気づいてくれて、ありがとう。

勇気を、ありがとう。


ほんとに、感謝してます

今、発達障害といわれたいわけ

また遅刻してしまった。

わかってるんだけど、先を見通す計算というか行動ができない。

自分が思ってた時間とも勘違いしててなお焦った。

そんなつもりはないんだが、行動はいつもギリギリ。
でも三十分余裕があると思って手帳を確認したら、そんな三十分ないと気づいて、慌てた慌てた。

今日はセカンドオピニオンと称した発達障害診断のために訪れた初診である。

待ちに待ったといっても過言ではない。
なのになんでいつもとおんなじ時間ギリギリの行動なんだ。

やっぱり、長引きそうなことは後回しだな。。。。。
途中でやめられないんだよ。
やってることがあと少しでおわりそうって思ったら、もう少し、もう少し、って続けてしまう。
で、気がついたらこんな時間?!あれ、みたいな。

いつもやって後悔。

するならやるなよって話なんだけど。

これが今でもなおらない悪い癖だ。

切り替えがほんとできない。
何を工夫するか、だけど、私は時計を見る、がにがてだ。

予定ありき、は行動しなければいけないのがわかってる。
そこがまずストレス。
そして、それは時間を気にしなければならないことを指し、心ではもう気にしている。
この状態で、目の前に時計があると、非常にストレスになる。

あ、あと少しだ、もういかなきゃ


行動しなきゃいけないのはわかってるんだって。
知ってるよ、ああ、ヤバイ、あと少しで今やってること終わらさなきゃ

ここで生まれる強迫観念は、時計が目の前にあると、数分単位で小まめに時計を見ては焦り、余計作業が進まずにいらつくという悪循環につながっていく。

結果、終われないでギリギリで切り上げてバタバタして、ああ、またやってしまった、の後悔、後味の悪いまま目的地に向かい、忘れ物なんかがここで重なると余計ブルーになる。

今でこそ、遅れているときは連絡の一本もやっとできるようになったが、以前はそれすら難しかった。
先方への罪悪感と、「いやだなぁ、なんて言い訳しよう」というもやっとした感覚がもたげてきて携帯のボタンが押せない。
そのまま色々いやな感情で、どう叱られるか、どんなことをいわれるかを想像すると、ますます鬱になる。
怒られないために、仕方ないだろうという言い訳や嘘を必死に頭を痛めて考えて。。。。と、ここで気づく。

そうか、もしかして私が言い訳してしまうひとつの原因は、悪いことをすると、叱られたり怒らせたりしてきたこともあるんじゃないかと。

先延ばしはADHDにはありがちなことで、未来を考えて杞憂するのもよくあることだ。
あれこれ考えていると、よくないことばかり考えて気が重くなり、ナニモシタクナクナルレベル。
ため息が止まらなくなり、胃がいたくなったり、鬱になったり。

叱られたり怒らせたりしないようにするための、自分を守るための手段が、言い訳だ。

父はよく、みえみえの嘘をつくけれど。
あれも自分を守るためなんだろうか。

自分のやることなすこと、怒られてきたから、怒られないようにするために、言いたくなくなる。言わなくなる。
言えば、責められる。
悩んでいることを話しても、理解されるどころか自分が悪いと言われ、説教に変わる。

結果、相談することもなくなる。

ごまかすために嘘をつく。
嘘をつくことが悪いなんてわかってても。
それは、自分を守るためか。
安穏な日常を過ごすためのひとつの手段。

そして、隠し事が多くなる。
親は、知らないことが増えていく。

知れば怒られる。
なぜ言わないと言われる。
また説教をされる。

だが、親が知らない方がうまくいくことのほうが多かった。
知られると面倒なことの方が増えていく。

なんというか、書いてて憂鬱になるあたり、やっぱり気に病むなにかがあるんだろう。


今日、医者に自分のことをいろいろ話した結果、発達障害の疑いがあるとのことで、四つの検査を受けることになった。

その検査は11月。一ヶ月以上先。

それだけ、診断を待っている人数が多いのだそうだ。


この診断を受けて、結果がでて、発達障害となれば。
今まで悩んできたことは、私ができそこないでなく、そういう要素もありだから、ということが確定していえるようになる。
それを盾にしようというより、それがあることで、私が救われるだけだ。
欲をいえば、のっけから、信じることが毛頭できない親にも理解はしてほしいが、まあ無駄だ。

社会人にもなって。
普通の当たり前が当たり前にできない私は。

一見、そうと見えないために、できそこないの烙印を押されてきた。
仲のいい人に説明しても、そうは見えないと言われる。
通院でかかってた精神病棟の医者にすら違うといわれた。

軽度は、一見わからない。

見えない。

だから苦しむんだ。

人並みにできないことをよしとしてるわけじゃない。
何度も改善しようとしてきた。
いつかはできるだろうとがんばってきた。

でも、がんばってもうまくいかなくて空回りした。
よかれと思ってやったことは誰かを苦しめたり困らせてきた。
何をやってもできなかった。
なのに、あんたが一番才能があると母はいった。
プレッシャーと苦痛以外の何者でもなかった。

母は職場の私を知らない。

「私だって仕事ができない」と母はいう。
みんな悩んでるのは一緒だという。あんただけではないと。

わかってる。
そんなの知ってる。

だが、違うのだ。
たぶん、母が苦しんでる次元と私が苦しんでる次元はあまりに違う。
私は、母ができてる日常のあたりまえすらできない。
それは日常生活を共にしているからこそわかる。

そんなこと、ですむような次元の話だ。

他人の意思を汲み取ること、一度見たらわかるような簡単すぎる作業、みんなが普通にわかってるルール、マナー。
一度言えばわかるような話。全部をいわなくてもわかるよね?な話の理解。

そのすべて。
そのレベルの次元の話が、私にはとてつもなく難しい。

だからもどかしい。
伝わらなすぎて。

どれほどできないことで周りから罵倒されて陰口を言われてきたか。
そこで悩んで、答えも出ずに過ごしてきた長い時間。
何度死んでしまおうとしたか。

今日、医者に、いつ症状に気づいたかをきかれた。
気づいたのは社会人になってからだったが、思い返せば、ものすごく小さい、幼稚園より前から私は発達障害の症状がある。

それに気づかなかったのは、それについて幼い頃は責められたりしなかったし、気にしたこともなかったからだ。
例え言われてても、昔言われてたなら、私はまるで理解できてなかっただろう。
何より私は人の感情にとことん疎かったから、気にならなかったのだろう。

それがいつからか、悩みに変わる。
それは、私が人の目をやっと気にするようになったからだ。

それは苦労もする。
人の感情を理解することができないのだから。

知らないうちに私は友人を胃炎にしていたらしい。

思いやりがないと母に言われる。
社会人になって人の気持ちがわからないことを責められたこともあるが、泣いて悩んでも、私にはその感情が理解できなかった。

なぜわからない?
なぜ普通に考えればわかることが私にはわからない。

なぜだ。
なぜ周りが見えない。

今ですら、自分に関係のない人間に興味がもてない。
だから、他人がどうしたんだ、といわれてもピンとこない。
それだけでなく、いまだに人の話が聞けない。
興味のない話になると、本当に辛抱ならない。
下を向いたり、その場にいることが苦痛になったりする。
だから、職場での世間話がとてつもなく苦手だ。

思い返せば、うんざりするほど、どうしようもない特徴がでてくる。
昔はそんな自分が許せず嫌いだった。

でも、気づいた今は、ほんとどーしよーもないな、私は、と落胆する程度になった。
自分を責めなくなってきた。

これ、どうにもならないんだ。
ストンと理解する。


変えられないものがあるんだ。
どんなにがんばっても。

どんなに好きになろうと思っても好きになれないものがあるのと一緒だ。

がんばっても、どうにもならない。

行動は少しずつ変えていけても。
感情の部分は。
もう、修復できないだろう。

がんばればどうにかなる。
やればやっただけの結果がある。

いや違う。
どんだけやっても、人格が割れて、気が狂うほどがんばっても、どうにもならないことがあることが、やっと。

やっとわかったんだよ。
今。

十年や二十年じゃない。

もっと悩んできてるんだよ。

長かった。


長かった。


もう、二度と戻りたくない過去。


理解されなくていい。
自分がなったことがないもの、味わったことがない感情を理解することは難しいものだから。

そもそも、自分だって人のことがわからない。
人の心に疎い。

それなのに、周りに理解されたいなんてとんだ笑い話。

違うんだよ。
発達障害が、私の気のせいじゃないってわかればいいの。
これほどあてはまることが、ただの性格だっていわれたら。

いままで押されてきた烙印は。
私そのものの評価と生き方の証明となって。
全部私が、社会で生きていけない屑だって、生きててもしょうがないごくつぶしだって改めて認める地獄がまた始まることなんだよ。


見極めは難しいけれど。
もし違ったら、私はどう生きたらいいのかまた迷うだろう。

今、グレーでも、その傾向があると考え、対策してなおってきたことはあるけれど。
これが違うと言われたら、私はドウイキルだろう。

一番最後の職場で、やっぱり仕事ができなくて毎日泣いてたとき、生きてることがやっぱり苦痛だった。
この職場でも、普通になるよう、せめて人並みの仕事ができるよう、自分なりに頑張っていた。
休憩をつぶして遅れをとりもどそうとしていた。
それでもみんなに追い付けず、上司からは疎まれ、同僚からは無視され、怒鳴り飛ばされたこともあった。

それでも、この職場を最後にするんだ。
というくらい、心を決めたのは、私がどんなにできなくても、助けてくれる人がどこの職場より多かったから。
仕事ができない私に、優しくしてくれる人がいるとは本当に心が震えるほどありがたく、泣いてしまったことも何度もある。
いつもいじめや罵倒、孤立ばかりしかなかった私の環境に、はじめて光が差したと思った。
なにより、仕事のできない私をこんなにおいてくれる職場、本当にもうないだろう。
なら、ここを最後にしようと思った。
最後にするから、どんなひどい仕打ちを受けてもがんばろうと思ってきた。
鬱になった。
でも、それでも。
続けようとしていた。

だから、妊娠が発覚したとき、職場をやめさせられたとき。
力が抜けた。

最後まで、やろうとしてたのに。
これを最後の職場にしようとしてたのに。



だから、今、働いた方がいいのがわかっても、以前のような働こうという気持ちが、わかない。
半分脱け殻だ。


ああ、また脱線。
とりあえず、診断を今年受けて、それから今後のことは考えようと思う。


しみじみ不器用を思い返して思うこと

小説が書きたいて思ってるけど、なんにも浮かばない。

以前は創作の泉のごとく色々浮かんで書きためてきてたけど。
でも飽きっぽいから、完結は滅多ないんだけど。
これも、今にして思えば、もしかするとADHDだからだろうかとちょっと思う。
アイディアは浮かぶけど全部中途半端。
集中力が続かなくて飽きっぽい。持続力がない。
嫌いな数学、聞く気がないわけじゃないのに、いつも強烈な眠気に襲われてたのも、案外発達障害が原因だったのかなぁと思う。
うちは母親が塾をしていて、参加させられてたけど、悪気なく寝てしまう。
でも、本人は必死に起きようをして、手をつねったり、座りかたを変えてみたり、いろいろやったけど、気がついたら寝ている。
だから、父親に叩かれ、蹴られた。
バカにしてるのかと言われたけど、決してそんなつもりはない。
こんな痛い思い、怖い思いをしているんだから、必死に起きようと寝る時間も工夫したりしたのに、だめだった。
結果、父親への恐怖心と苦手意識だけが残って。
それでもなおらなかった。

今なら、学業での注意力の乏しさ、注意の持続力、人の話きーてない、根気を必要とする課題いやがるのも、忘れ物多かったのも、片付けできないのも、できる勉強とできない勉強の差が激しいのも、やたらめったらメソメソしがちでずっと毎日悩みがちだったのも、クラスで極端に運動ができない子だったのも、いつもどっかに気がついたら体ぶつけてんのも。高校のとき、金欠になってまでハマったゲーセン依存、携帯が気になって仕方ないノイローゼめいた依存、人の話をききたくても聞けない、人に興味持てない、自分ばかり喋り倒してしまうのも。
他人を傷つけることを平気で口にしてしまう衝動性も。
幼稚園、小学生からいじめにあって、中学生になっても高校になっても人間の輪に入り込むのが苦手で、社会人になって、どの会社でも、浮いてしまい、孤立して、空気が読めないのも。
簡単なことなのに、何度やっても、気を付けても、なぜか失敗するのも。
普通ならできることが、超絶不器用でうまくいかないのも。
わざとじゃないのに、ひどいときで、二、三時間、遅刻してしまうのも。

そうだったのか。と納得する。
まだまだあるけど、全部。
悩んできたことだった。
何で止まれないのか、何でなおせないのか。
自分のあの癖だってそうだ。
母親が始めたあの塾をやってた頃から、二種類の癖が始まってやめられなくなった。
泣いて悩んでもやめられないで、ネットで調べて、でもやめかたが見つからなくって、他人には相談できない浅ましい癖だった。
いまだに正直なおっていない。

でも、保育士の勉強をして、発達障害を知った。
もっと発達障害を調べたら、悩んでも直せない、怒られてもなおらなかったすべてのことが、項目にのっていた。
そこで、泣くほどありがたかったのは。
罵倒されてきた、クビにされてきたのが、自分ができそこないばかりのせいではないのかもしれないという事実が救いだったから。



講演会で先生がいってたけど、軽度の発達障害の子は、ドラえもんでいう、のびたタイプなんだそうだ。
一見、勉強や運動ができないだけで問題がなさそうに見えるからこそ、大人まで見逃されたり、不登校やひきこもりになったりするんだと。

そうでない人だって苦しんでる人はたぶんたくさんいるだろう。
日本は発達障害の研究が非常に遅れている。
きっと数字になっていないだけで、日々を必死に生きている人がいるはずだ。


今日もご実家の畑仕事を手伝ったけど、いやあ、おもしろいくらい簡単な作業が、何度教えられてもできない。
お金はもらってないからいいけど、かえって足を引っ張る始末。

こういうことも。
今なら、自分の特性なんだと思える。
以前はひどい落ち込みを味わっただろうけど。
もう、理解してるゆえに、前ほどの落ち込みにならないのはありがたいことだ。

そんな今だから。
いろんな人に、もっと発達障害のことを知ってもらいたいと感じている。
きっと知らないで苦労して悩んでる人が多いだろう。
あなたが悪いんじゃないといいたい。
同じ悩みを抱えてる人がたくさんいる、あなただけで背負わないでほしいといいたい。
対策すれば、軽減できることもある。


私がしたいのは、同じことで苦しんでる人たちへのサポート。
できるなら、専門施設への、誘導。
私ではできないことは、プロにお願いしなくては、間違った方向に進む可能性もあるから。

潜在的なニーズはビジネスには向いてないし、苦しんでる人にお金を要求するのも気が引ける。
でも、やりたいことはそこの近くにある。

私がいまやりたいことは、核心にせまっている。
ビジネスじゃなくても、形にできるならしたい。

昨日の自分、さようなら

今、質問アプリを利用している。
誰かが質問したことに、同じアプリを利用してる人が答えて相談にのっていくというものだ。


やっぱり、昔と同じ、おせっかいは変わらないんだなって思う。
でも、それは結局自己満足で。

私は見返りを求めるタイプなんだろうと嫌気がさした折のこと。


その質問アプリで、「こんな友達がいます」という書き込みを見つけた。

詳しく見てみると、その友達は、傲慢で目立ちたがりや、自慢話が多く、都合が悪いことがあるとトイレに逃げる、わがままな友達とあった。

そのワードを検索をかけてみると、自己愛性障害という言葉にいきあたった。

細かく見ていくにつれ、はっとした。


うちの父そっくりだ・・・・。


そして、私にも当てはまることがいくつかあると、ぎくりとした。

その自己愛性障害という病気は、一説には発達障害も隠れているという説があり、やはり私と私の父は発達障害なのかと感じざるを得なかった。


自己愛性人格障害の父親は、家庭では暴君の様に振舞う。気に入らない事があれば簡単に暴言を吐き、暴力を振るう事もあるらしい。

現にうちの父は、外面はいいが、家では鬼のような形相になることがよくあった。
気に入らないことがあると、家族とは思えぬ暴言でののしり、私は一番叩かれて蹴られた。
何度あの鬼の形相で、母に手を出しそうになったか。

また、彼らはアルコールに依存し易く、酔った勢いで暴力的になる事もあるという。
そう、これも該当する。
昔は付き合い程度にしかアルコールはやらなかった父が、今は早い時間から酒に溺れ、おおよそ自分の言動を覚えていない。
そのときの目付きは相当尋常でない目付きをしており、言動も輪をかけてエスカレートし、私は何度もからだがすくんだ。

父の描く「理想の父親像」は、金を家にいれるだけで、親子や夫婦との関わりは度外視というもの。
これも、自己愛性障害の中にはありがちだが、理想の父を自分の中で作り上げ、それを実現する為に母親と子供を支配下に置こうとする。
これに逆らうと、母もてがつけられないほど暴言を吐き、脅しをかけ、昔の母はよく泣き寝入りしたという。
暴力にでることがあるため、下手なことができない。

母親と子供が怯えながら父親に尽くさなければならないというモラハラを受けている様な状態、は自己愛性障害の父がいる家庭にある構図だ。

子供に無関心か、けなすか、誉めることがないこの父親のもとで育った子供は、劣等感を抱き易くなり、自尊心を持つ事が出来ず、同じ様に自己愛性人格障害等になってしまう可能性があるという。
父親から愛情を与えてもらう事が出来ず、母親が父親から虐待を受けている姿を見て、子供がトラウマを持ってしまうというのは、そういう人間がいる家庭ではありがちなこと。

過干渉な母と、暴君な父の話をしたとき、病院の先生は、私たち家族を、「機能不全家族」だといった。

まぁ、そうだと思うが。
色々両親からきいた話を総括すると、どうもうちの父も機能不全家族だったんじゃないかと思うし、母も微妙なラインの家庭で育ったんだな、と感じてるから、これはうちの両親が悪いというより、きっとその前、その前の代もそうだったんだろうな、と想像できる。
人は環境が作るものだ。
発達障害は生まれつきでも、たぶんそのあとの二次障害は、環境のなせるところが多いだろう。
なぜなら、二次障害は、環境を改めれば防げるものだからだ。
だから、こんなどうしようもない性格になったことを、私は決して恨んではいない。
誰も悪くないしどうしようもなかったんだと思ってる。
特に父の家系は、何代に一人、突飛拍子もなく変わった人間、問題だらけの人間が生まれてるらしいし、やはり、我が家に発達障害が関わっている可能性は拭えない気がする。
こういった家系に生まれたことは、不運でしかないが、これは無論自分だけではない話。
遺伝自体には罪はない。
きっとご先祖もさぞ苦労されたであろう。

話は戻るが、ふりかえれば、今でこそ少なくなったものの、私は過去、自己愛性障害の傾向が顕著だっった。
無自覚だったから、その影響でどれだけの人間が傷ついているかまで考えることができなかった。

だが、その行いの裏には、傷つくことをひどく恐れる自分がいたのもまた事実だ。
強い劣等感を補うがごとく、自分を隠し、自分を守っていた。
それと同時に、困っているとみえる人に関わり、余計なお節介をやいて、支配下においてしまうことで私は自分の価値を確認していたのだろう。

ただ必死だったから、自分がよかれと思うことをしていた。
しかし、本人は一生懸命で見えていないが、検討違いな親切をしてしまうことで、周りは甚大な被害を被った。
そして人間関係が壊れた。

これが、昔の私だ。

私は、自分のエゴで、私の父と似たような人がいる環境で育った人や、辛そうな人を見ていられず話しかけていた。
だが、結局助けるなぞおこがましい行いで、自分はなにもできない人間だった。

私は、父のように、相手をバカにしたり、ねたにしたり、暴言を吐くことはない。
心配だからこそ、声をかける。
だからこそ、最初は相手も胸襟を開いてくれることがままあった。
だが、気づかぬうちに自分のペースに巻き込み、相手を支配下において思い通りにしようとする。

これは接し方は違ったかもしれないが、私が父と同じ罪を背負っていることを意味する。

相手にとってはいい迷惑。
とんだ検討違いなわけだ。

そして、自分に自覚はなくても、気がついたら自分が台風の目になって周りを巻き込んでいく。

だからこそ私は友達を失っていった。

これが正しい己の姿だと思う。

自分が見えていない。
見えない自分の思い違いで動いている。
そして、相手から、自分がしたことの見返りを求めてしまう。
すべて勝手な自分の思い込み。

様々な人から指摘を受けたこと、そして、自分がいかに非力であるかの経験を経て、私はようやく、己がどこまでもなにもできないおせっかい人間だと気づいた。

遅いが、気づけた。

今得ている知識は、経験ゆえに気づいた客観的な自分の姿だ。
自信がないことは、余計なプライドやらがないぶん、下手に他人に関わらないから、問題を起こさない。
逆に自分を助けている。

自分のプライドと、人の目をやたら気にする余計な感情と無駄な期待は、自分の目を曇らせ、余計な所作につながった。

仕事を通し、やっと自覚できた自分、人間関係を通してやっと気づいた自分は、最後のプライドを粉微塵にし、自己評価がやたら低く、自信のない人間を築いた。

でもそれでいい。
諦めが今、ようやく、等身大の自分がどうすべきかを教えてくれている。
もしかしたらできるかもしれない、こうしてあげたい、いつかこうなるかもしれない。
数々の期待とエゴは、もうほとんどない。
これが邪魔してどれだけのものを失っただろう。

期待は正直どこまでいってもゼロでいい。
今までの経験から、自分が易いことすら困難を極めることは承知している。
自分にも期待できないし信頼はできない。

ただひとついえる。
今私は昔ほど自分が嫌いでない。
きちんと自分を見つめられるから。

自分の劣等感、自分の自信のなさ、逆に無意識にあったおごりの感情を、きちんと見つめないできたせいで、本来の自分が見えなかった

そんな必要のない自信が、今叩き潰されて、ほとんどなくなった。

才能なんてないのに。
昔ほめられたことを中途半端なプライドにして、それを手放せずにきた。
いい加減気づいていいのに、気づいてても捨てられなかった。
それが私を作るすべて、生き甲斐だったから。

そして、人を助けられるなんてとんだエゴ
本当に世話しなきゃいけないのは自分自身。

やっと気づけた自分。
だが、質問アプリで悩んでる人を放っておけない。
自分がしんどい思いをしたから、似た境遇のひとになにか言えないか、できないか、なんて。
まだそのおこがましい感情は続いている。

自分は専門家ではない。
この特性故、人の話を傾聴するなんて絶対無理だと、もういやというほどわかっている。

なのに。
まだ、気にしてしまう。

相談にのりたいなんて解決もできないくせによくいえたものだ。

解決をするのは本人しかいない。

人はカウンセラーを通して、自分にとっての本当の答えを見つけてるだけ。
なにかをしてあげたいなんて、まだそんな上から目線の考えがあるのかとあきれる。

なにかしたいのはかまわない。
人にさせていただくにならないなら、せめて自己満足でやりたい、にならないか。
自分のためと。

したいのは勝手。
しかし、相手はそれを望んでいるか。

ここまで考えが及ぶようになったのに。
気になるこの性分。
もはや病気である。

悪いことではないのだが、考え方は、まだ人になにかを支援できる立場の言葉ではない。

ただ、自分にできることが、専門家の仕事でないのはようやく理解できた。
だから、今私がしたいのは、少し前まで考えていたカウンセラーやセラピーの専門職ではない。

正確には、できない性格なのだとよくわかった。

アスペルガーも、ADHDも、人の気持ちには疎い。
人の目は気になるくせに、その実、自分の何がいけなくて人間関係がうまくいかないのかという、自分の行動には目が向いていない。
仮に理解してるように感じるのは錯覚だ。
人の気持ちに敏感は、他人を理解していることとは少し違う。
なのに、それがわからないまま、私は今まで自分がずっと人と接することが好きというか、得意なのかな、と思っていた。
接客はほめられたことがあるから。
だが、そこには、人間関係を育む上で大きなものが欠落しているということに気づかなかったという側面もあった。
自分が思ってやったことが空回り、勘違い、大きなミスにつながる。

気遣いができない。
考えればわかる、みんなの当たり前が私にはできない。

結果、自分の特性を理解した今、人間相手の仕事が私には向かないのだとわかった。

なのに、検索したら、悩んでるADHDのひとは、意外に接客業や看護師が多い。

みんな、私と同じような性格の人が多いということだろうか??
今もその人らが、苦しみながらがんばってるなら、素直にすごいと思う。
人と関わるのが好きなのに、人とうまくやっていけなくて悩む。
この悪循環は、もって生まれたものがある以上、逃れられないものだと思う。
それを理解して働いている人がどれだけいるだろう。
もっと自分の特性をいかせる仕事はないか・・・

ちなみに、ADHDの人には、教師、研究職、医者が多い。
ただ、こういう人たちは、学歴というか、勉強ができる人だ。
では、私のように学歴が低いものにとっての適職とはなんなのか。

本当にそれは今でも考える。

今わかることは、サービス業ではないんだろうな、ということ。
そして、私には、上記の職業のような人たちのような専門の強みがない、ということ。

私にあるのは、無駄な共感性。
そして、人をやたらめったら気にしてきたために備わったか、の微妙な分析の心得。
そして、自分と同じ境遇の人らになにかできないかという意思。

これは、才能でなく、経験からくるものだ。

保育をしたかったのは子供が好きだからではない。
虐待などで辛い思いをした人が私の周りに多かったから、子供の頃からの心理に興味があった。
それだけのことだ。

人の性格を分析するのが好き。
占いが好き。

これを考えるなら、研究職が多いADHDの性分故だと納得もできる。

趣味で占い屋でも始めようか。
中学頃は、自分で考えた占いで人を占ってわりとあたってたことを思い出す。

父と同じものを背負い、特有の個性がある私に、適職なんかあるんだろうか。


なんでもノートに、色々書き出してみようか。


話がとびとびでいつものごとく支離滅裂だが、こんなまとまりのない部分も自分の性分が絡んでるんだなぁと最近ちょいちょい思う。

もう少し、つめて考えてみよう。
エンディングノートは、やっぱり飽きっぽくて、あのあと結局本を読むだけにとどまった。

過度の飽きっぽさ、過度の短期集中というかのめりこみ。
これも昔から。

ああ、自分、なにしたらいいだろう、て思ってたら、昨日、久々に汐さんに会って、自分の考えが整理されたのか、やりたいことにたいしてまた意識が向いた。

もとの位置にかえってこれた、そんな感じだ。

自分の性分はもうわかってる。
集中が折れたなら、修正しないで潔くやめる。
やめたあとでもやれるなら、そのときにやる。

やりたいときはやりどきだ。

今思えば、テスト勉強もそうすりゃよかったのかもしれない。

集中力がなくなった教科をずっとやるのなんてやめて、教科を変えてみるとか、切り替えができてたなら、もしかしたら、もう少し集中して勉強できたのかもしれない。

自分の特性を理解して楽になるひとと、自分にあるものをわかってて認めたくない人がいるけど、今の私はどちらかというと、楽になった人間の方だろう。
特性を認めてしまえば、対策を練れるし、自分にあった生き方を選択していける。

大事なのは、障害者手帳じゃない。
私は軽度すぎて手帳ももらえないかもしれない。
だから、生きにくい世の中でいかに自分が生きやすい環境を作るかがこれからの私の課題。

その先にあるものはわからないけど、きっとそれは、今まで以上に悪いものではない。
手帳があるからこそ優遇されることもあるが、現状うまくいってないケースもあるようだし、手帳にこだわる必要はない。

ただ、私がセカンドオピニオンを求めるのは。
誰より、自分の過干渉な母親に自分への接し方を少しでも改めてほしいという願いがあるからだろう。

父はもう諦めてる。
そして、自己愛性障害は、なおらないケース、病院から断られるケースも多いときく。
父には理解は求めてない。
話が通じないのだ、そもそも。

だが、母は。
いや、父以上にいまだに関わりが多い母には。
理解しろというより、対応を考えてほしいと診断が出たら言いたいだけだ。
無理だろうとは思うが。

あの過干渉がへったなら。
どれだけ楽になるか。


いまだに親が苦手な私は、それでも、子供ながらに親孝行しなくてはと思っている。
形だけでも。
世話になった自覚があるから。
どんな親でも親は親だ。
子供としてのつとめは果たしたい。

それは好き嫌いとは関係ない私の義務感だ。
嫌いなんじゃないのだ。
関わるのが難しいのだ。
関わりたくとも。

それだけだ。

そんな様々な思いを抱えた過去がある。
いろんなことに苦しんで悩んだ過去がある。
そしていまだにそれは私のトラウマだ。

過去に戻りたいという人は、今に満足できていないケースが多いが。
私は二度と戻りたくない。
二度と、過去に味わった様々な辛苦をもうなめたくないから。

乗り越えて乗り越えて今がある。
今ようやく自分を知れて、自分を知ることで自分をみなおして、ましになってきたことがある。
もう、たくさんだ。

その先にあるものがなんであれ、過去をふりかえる材料が、今の私には過去を懐かしむものではない。

どう生きたかはどうでもいいといいたいが、生きた軌跡に、自分の生まれ持ったものの片鱗を垣間見る。
そして、苦しんできたわけを知る。
だからこその、どう生きたかより、どう生きるか。
私が生きているのは常に今だ。
未来でも過去でもない。

やっと昇華できてきたものがある今を。
私は大切にしたい。

特性を理解すれば、その先をもっともっと変えていける。
同じことを繰り返さない。

昨日の自分は、さようならだ。


不登校やひきこもりの人の8割以上は発達障害なんだそうだ

今日の講演会、いってよかった。

より、自分が発達障害であろうという確信が深まった。

ADHDの多動性や衝動性よりわかりにくい注意欠陥はわからないまま大人まで持ち越され、あとからわかることが多いらしい。

重度の発達障害はすぐわかるけど、わかりにくい軽度の発達障害の人が、引きこもりや不登校、併発しての二次障害の不安性障害や鬱、境界線障害とかに苦しんでる話をきいた。
それに加え、その二次障害の影に隠れて、発達障害が余計わかりにくくなってて、精神科医も、そういうものがわかる人が一握りなのがわかった。

話をきけばきくほど、自分がそれと知らず、人とのコミュニケーション障害や、日常生活、仕事でいきにくい思いをしてる人は多いんだろうと感じた。
外国では、発達障害の医療がすすんでて、児童精神科というのが多く存在するらしい。
その児童精神科の存在は、イコール、それだけ発達障害の人が無視できないほど多く存在してることを指している。
だから、人とコミュニケーションが苦手だったり、勉強や運動、仕事ができないのは、単純にその人がいけないのではなく、親がいけないのでもなく、生まれ持ってしまった脳の癖、障害が原因かもしれないのだ。

今日の話をきいて、今の精神科の先生にはもう診断を求めるのをやめようと思った。
違うだろうと勝手に決めつけて検査をしてくれないのなら、セカンドオピニオンで、別のとこにかかろうと決めた。

精神科や心療内科はたくさんあるかもしれないけど、発達障害の専門は確かにほとんどない。

県内で、それ専門の看板を掲げてるところは、私が見る限り一つしかなかった。
なんと児童精神科もあった。

今度はそこに検査をお願いしようと思う。



ほんとに勉強になった。
ありがとうございました、先生。
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