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おにぎり


土曜日の夕方
地元のラジオ放送を聴きながら仕事をしていたら、こんな内容の話が聞こえてきた。




「被害のひどかった沿岸に孤立した地域があり

そこは行政の手がいき届いていなく


食事は4人で おにぎりひとつを分け合うという状況


その孤立した場所に物資を届けたいんです!

ひとり何個でも構いません

日曜日の11時、おにぎりを持ってきてくれる方をお待ちしています! 」



そんな内容でした。




日曜日は仕事休みだ!
おにぎりを集めるのに指定された場所は隣の市にある体育館


握らねば!

おにぎりを握らねば!



というわけで
今日は朝から おにぎりをつくりました。




「俺のこの手が真っ赤に燃える!おにぎり握れと とどろき叫ぶ!」




おかん
「手にもう少し塩つけないと、ご飯くっつくぞ」





「あ‥はい、すんません」





いろんな想いを おにぎりに込めました。
自分が3日間の停電後
明るい蛍光灯の下で食べたおにぎりの感動を思い出しながら 握りました。


16個のおにぎりが 出来上がりました。



相方さんにも おにぎり作ってくれないかとお願いしたら、15個作ってきてくれました。



そして31個のおにぎりが 出来上がった。


お腹ペコペコだった俺は

おにぎりひとつ食べちゃえば31個が30個というキリのいい数になる

という誘惑に襲われる。




がしかし なんとか我慢した!

(当たり前)




幸いにして先週木曜日、車にガソリンを入れられたので

車で行きました。


チャリンコは、もはや限界がきていたので 車使いました!根性なしです!


久しぶりに車運転したとき すげーはやくて感動した!


そして

物資を集めている体育館に到着した。

おにぎりの受付を発見したので そこに行った!


おれのほかにも おにぎり抱えて 並んでる人がいました。


たとえ10個のおにぎりだろうと

50人集まれば
500個のおにぎりだよね?



そう思って歩いていくと、

そこにはすでに1000を超えるおにぎりが集まっていた。



受付対応してくれたボランティアの高校生の目がすごく輝いていた。


よっしゃあああ!やりましたよ!おにぎり集まりましたよ!みたいな、真っ直ぐな眼差し。


生きる力を感じた。


10代に あんなコがたくさんいるのなら 復興は夢で終わらない


そう思わせてくれました。

ありがとう!


あの後トラックで被災地に運ばれた おにぎり、食べてもらえたかなあ。

4人でひとつのおにぎりだったのが 今日の夕飯はひとりで3つは食べれた計算

おにぎり以外にも物資たくさん積んでたようだ!良かった!







被害のほとんどない内陸部にある、僕が住む街にも 人知れず遺体安置所になっている場所がありました。

もう沿岸の安置所はいっぱいのようです。

なんでこんなにもたくさんの人が悲しまなければいけないんだろね!



ため息つくと幸せ逃げてくって言うけど

みんな頑張って追いかけっから ちょっと待ってやってくれねえかなあ










なんだか言ってることがわけわかりませんねすんません




というわけで 最後に強引にしめますが

あなたの好きなおにぎりは何ですか?


僕は味噌おにぎりが好きです!
(^O^)

ゴリラックマ

こんなときですが


モンハンでの僕の相棒を紹介しようと思います!(^^)

それは
ゴリラのごとき腕力を持つ強襲型リラックマ

その名も
ゴリラックマ!


写メ左下にいる黄色っぽい謎の生命体がゴリラックマです。
ハンパなく強そうでしょ!?












「チッ!このままではマズい‥ようし!

目覚めよ、リラックマ!

裏コード・ザ・ビースト!」





ゴリラックマ
「ブオオオオオオオオオオオオッッ!!!!」





「人の力を越えたリラックマの力‥見せてやるぜ!」




ゴリラックマ
「フシューッ、フシュッー、ブオオオオオオオオオオオオン!!!!!」






そんな戦いを夢見てゴリラックマの攻撃力を1000くらいまで上げたかったんですが

400くらいで
[訓練による攻撃力が最大になりました]

となってしまい

そこでモンハンを挫折しました。
m(_ _)m

(そこでか!)







ブログ読んでくれてるみなさん元気でやってますか?

あなたの笑顔が見たくて楽しい記事を書こうとしましたがゴリラックマが限界でした

f^_^;

リラックマ好きの方、不快だったらごめんなさい
(>_<)





しかし震災後ほんとうに世の中がすさんでますね。

このまちのガソリンスタンドにも

「ガソリン出さねえと火つけるぞ!」


って 脅してくる人とかいるらしい。

店長さんももうノイローゼって聞いたし‥スタンドに勤めてる友人の心身も心配です


灯油泥棒や、車からガソリン抜かれた被害も、もう出始めてきた。


そんなバカなやつら

ゴリラックマで おしおきですよね!








ゴリラックマ
「ブオオオオオオオオオオッッ!ガシュッ、ガシュ!」



灯油泥棒
「う、うあああ助けてくれえぇぇひでぶー」

一週間

街は一歩一歩、日常に戻り始めている。

ガソリンの行列は相変わらず。
日常と非日常が交差する不思議な街並み


自転車通勤をして市内に出ると、自分と同じように自転車通勤や徒歩通勤している人を多く見かけるようになった。


車社会のため自転車や徒歩で出勤する人なんてほとんどいなかった街に

震災後はたくさんの人が歩くようになり

皮肉にも朝の街は、以前よりも人間らしさを感じるようになった。


しかし、すれ違う人に おはようございますと声をかけてみても表情は暗い。


被災者の人たちに比べたら自分たちなんて幸せだ、みんなが自分にそう言い聞かせながらも、社会が混乱する中そうやって押さえたストレスは隠しきれなくなってる。


ここは、
電気も復旧した。
ガスも水道も出る。
だがしかし車で数時間向こうの人たちはいまだに 地獄のような環境にいる。



あんなにも苦しんでる人たちがいるのに
自分は何もせず ここでただ仕事に明け暮れていて良いのだろうか‥

そう思った。


けど、ただ今までどおりの日常を過ごすこと

それもまた良いことだと思うことにした。



被災者の疎開の計画が進んでいるようだ。

疎開には
新幹線はしばらく復旧できそうにないため、生きている空の道 空港を使うかもしれない。


空港は内陸にある。
だとしたら、疎開する被災者が
しばらく岩手ともお別れだな‥ と、窓から眺める景色は 俺たち内陸の街だ。

だから その景色を日常にして 見送らねばならない。

だから 日常の普通の生活を取り戻さなければならない。


沿岸から避難してきた人が

「マックのビックマック食いてえ‥」

と楽しみにしてきたのに、内陸の街のマックが閉店していたらシャレにならん!


節約志向は良いのだが、

「被災地では満足に物を食べれない人がたくさんいるのに外食なんて不謹慎だ」


という考えが長期化してしまったら この街の外食産業はどんどん赤字経営で閉店に追い込まれていく。

そうするわけにはいかない。

温泉郷もあるが このまま観光客が減り続けたらどうなるのだろうか‥


問題点が多すぎる
考えだしたらきりがないので自転車をこぎまくるしか僕にはできません!


毎日すこしずつですが、地味に出勤タイムが短くなってます!ひとりでタイムアタックをして 凍った路面で ずっこけそうになりました。





帰り道

自転車で走る夜の街は相変わらず暗かった。

みんな不必要な電気を消し、節電を心がけている。

闇が とても温かく見えた。

不思議なものですね!



そうそう、

自分の住んでる市では現在40数人の被災者を受け入れているようすで

今後は600人規模の受け入れを予定しているらしいです。



だからおれ、もしかしたら被災者の方の歯をつくれる日がくるかもしれません。




だからそれまで‥

なにかしたいと騒がずに

ただ黙々と
歯医者の技工室で 歯をつくり続けようと思います。

募金もせねばなあ。


沿岸に住んでる友人がブログにて

妹さんと

「あたしたち、幸せだったよね」


と話したようなことを書いてたのを見て 俺は おにぎり食いながら 涙があふれてきた。


過去形にするわけには、いかない!

よね!

生きてく強さ!

ガソリンがほとんどなくなったので、開き直って自転車を買いました!

自宅から 街中の職場まで ひと山こえての田舎道

生きているんだから、
こんな状況でも働ける場所があるんだから‥

元気があればなんでもできる!

ということで自転車通勤をしてみました!


登り坂がけっこうね、しんどくてなあ


「くそー!荒サーの底力、なめんなよ!」

とか心の中で叫びながらチャリンコこいでました!

登り坂を頑張って
登って登って登って登って



そして下り坂を走ったときの風が

なんとも気持ちよかった!

鼻筋から頬を通り抜けていく風はまるで

震災からのモヤモヤが洗い流してくれたかのようだった。



たくさん人が死んでしまった。

陸前高田の海は、岩手の海岸の中でも一番うちから近いので、

10代後半から20代前半くらいまで、夏には毎年のように遊びに行っていた。

馬鹿だった俺は陸前高田の海でカレー食いたい!と友人に提案してなあ

レトルトカレーを近くの薬王堂で買ってパックのまま 海岸の砂に埋めたんだ。


真夏の炎天下に照らされた砂に一時間も埋めてみたら いやはや温かいカレーが食えて 感動したものだ。


他にも、友人の飼ってた犬と一緒に行って

「海では犬と一緒だと女の子の気をひいてナンパできるかもしれない!!」

なんて下心を抱きながら けっきょく何にもなかったりさ

たくさんの楽しい青春の思い出が詰まっていただけに


テレビで見た光景が 脳内の光景と あまりに違いすぎて泣きそうになった。

くやしかった!
僕が住むまちの人たちは、岩手県内陸なのでなんとか建物の倒壊もなく怪我もなくで 電気も復旧して暮らしています。

だから、もっと大変な人たちを思うと
“無事でよかった”と言われるのが申し訳なくなるときがあります。


ライフラインがある程度復旧し 仕事に戻っている人もいます。

こんな状況なのに出勤して会社の指示で賞味期限切れのお菓子を泣く泣く処分したという方の話を聞きました。


そんなふうに、ここが被災地東北に含まれる岩手県と思っていいのか よくわかんなくなるときもあったんですが、


それでも ガソリンをはじめ物質が足りず流通が止まり 社会の機能が少しずつ低下していくことに
みなさんが不安やストレスと戦ってます。


この日記を読んでくれたみんなが心の底から笑って暮らせる日が 本当に来てほしいです。



用事があって停電時に車で街に出たとき、暗闇に包まれた街を見て

ここはゴーストタウンかよ‥と思った。




だけどそんな中、ひとすじの光が見えた。

電気の復旧工事だった。
不眠不休で作業にあたってくれているんだろう。



そのタイミングで、車のラジオから

GLAYの曲で
「生きてく強さ」
が、流れてきた。





「この曲は 私が過去に地震で被災したとき、不安に押しつぶされそうになりながら遠い家まで歩いて向かう途中 ふと携帯ラジオから流れ 励まされた曲です、

だから今度は私が被災者のみなさんに届けたいんです」



曲を投稿していたリスナーさんは このようなことを言っていました。

[歌詞へリンク]
(無断転載は著作権侵害なのでよくないのであとでリンク削除します)

書き出したら長くてきりがないので また今度ですね、とりあえずは懐かしい曲を聞いたということで



またあしたも来週もその先も生きていてください!





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