忘年会をした。




ふたりで、居酒屋で
ごはんとお酒を沢山頼んで。


今年二人きりで会うのはきっと最後だから、小さな声で「今年もおつかれさま」と言って乾杯した。


別々のお酒を頼んだけれど、私と彼はいつでもなんでも半分こにしてしまうから、結局同じ飲み物を二種類飲むことになる。

同じお酒が別々の喉に入っていく。
そうして同じように喉が、背骨が、最終的には腰まで温められていく。



食べたり飲んだりしている間に、向かいに座っていた彼がいつの間にか隣にいた。

彼の横顔をじっと眺めるのは久しぶりなような気がする。なんだか別の人みたい。




そうして見ていると、彼の体型が以前に比べて変わったような気がしてくる。

スマートで少し筋肉質なところに変わりはない。完璧主義の彼は自分の体型の変化すら見逃さず、小まめに運動している。

どこが変わったんだろう。
そう思って見ると分かった。


背中の厚みが増している。


よく分からないかもしれないけど、それ以外の言い方が今の私には分からない。
よく見なければ分からないくらいの、些細な彼のフォルムの変化。



その背中の厚みは私には好ましく映る。
好ましく、慕わしく、愛しい。



こんなとき、私は否応なく恋をしてしまう。
例えば恋人の背中の厚みを実感したときに。
例えばほんの少しのお酒が恋人の頬を赤くしたときに。


今年は、心の奥底で、恋なんてしたくないと思った一年だった。
実際に一度私は恋をやめた、と思う。


でもやはりいま恋をしてしまっている。
否も応もなく。





私と彼が初めて言葉をかわしたのはきっと私が18の頃だった。このことは以前ここに書いたことがあると思う。


だけれども、私が彼を彼と認識したのはそれよりも前。私が16の頃だった。
今思えば彼はその時19かな。

16歳の私は19歳の彼に声をかけず、ただそこにいる人と認識していた。名前くらいは知っていたけれど。


年を越して春になる頃、彼は29歳になる。
初めて出会ってもうすぐ10年になるんだ。


彼の変化を思い、私の変化を思う。




「私は16歳の頃、あなたを知ってたよ」

嬉しくなってそう伝えてみた。
あなたは知ってる?高校生だったころの私のこと。そんな風には聞かなかったのに、


「僕も知ってたよ。いつも隅にいたでしょう?」

そうやってこともなげに答えてくれるから、もっともっと嬉しくなる。





25歳のわたしと28歳の彼はお酒を飲みながら何度も何度も指相撲をした。指相撲をしすぎて、その後普通に指を絡めていても指相撲がこれから始まるような気分になってしまうくらい。


ちなみに私の全勝。


彼の指を押さえ込んですごく早口で十数えるわたしに彼が悔しそうな顔をする。
「まきちゃんの親指は僕にはできない動きをする!」だって。
勝利の秘訣は絶対教えないようにしよう。






「まきちゃんのお母さんがさ、子育てについて僕に話してくれたことがあって、」


そう彼が切り出して驚いた。

いつの間に母は彼にそんな話をしたのか。
私の大学の卒業式のときかな?
母と彼が来てくれたから。
しかしそんな話をしていたとは。


さらっと話しただけだよ?ていうか僕、まきちゃんにこの話しなかったっけ?なんて珍しく早口で言いながら彼は続ける。
私の母の子育てについて。




「理想はすごくたくさんあって、理想通りにしようとして、理想通りに育てようとして、」


「でも同じようにしても、同じ事を言っても、それぞれの子で全く違うように響いたりして、」


「理想通りには行かなかった、って。」




「それでね、お母さん言うんだよ。まきちゃんはお兄ちゃんや妹とすごく違ってて、学校の先生にも"他のお家のお子さまに比べて少し変わってますね"って言われたりもする子だったって」



確かに覚えがある。


小さな頃母に「あなたの感情の動きやその発露は人と全く違うと思う。だから気を付けなさい」と言われたこと。



小学校ではひとりも友達ができなかった。
いつもひとりで座っていた。目立たないように退屈しないように本を読みながら。

読む本がない時には廊下に出た。

退屈だから、掲示板に貼ってあった"保健だより"というプリントをいつも読んでいた。
"保健だより"は月に1度しか貼り出されないから、月末になると「早く来月になって新しい保健だよりが貼り出されないかな」と思いながら読み飽きた保健だよりをずっと読んでいた。





「お母さん言ってたよ。"まきはすごく変わった子。でもね、いい子だから。ずれてはいるけど、本当にいい子"って。いい子だって、優しい子だって言ってたよ」


「理想通りにはいかなかったけど、でもいい子に育ったからね、だから"子育ては結果オーライなのよ"って」

「そんなことサラッと言うから、僕ね、まきちゃんのお母さんはすごいなぁーって思っちゃった」






泣きそうになったけどすんでのところで我慢した。


母の私に対するまなざしにはいつも「あなたは私の理想の娘ではない」という気持ちが込められているような気がしていた。


私たちはどちらかといえばギクシャクした母娘だ。
母は殴る人だったし、私は素直になれない娘だった。
もちろん母が間違っていると思う時にしか殴りはしない。私はきっと、沢山の事を間違えていた。


私は素直になれなかった。
一緒にテレビを見ていても「母が笑うところで笑わなければ」といつも私は背筋を伸ばしていた。自分が面白いと思うところでも、母が笑っていないなら笑うべきでないと思っていた。

そうではないと気付いたのは今年のことだ。


私は母の料理に何かマイナスなことを言ったことがない。
「味が濃くはないかしら」と言われれば「私はこれくらいがいいし、ごはんと食べるのだから濃いことはない」と言い、「味が薄くはないかしら」と言われれば「全くそんなことはない」と言った。

自分でそう言うことを選択している癖に、母と何でもぽんぽん言い合える妹が羨ましかった。
母とすごく仲の良い妹が。
(今思えば、妹はピエロ役に徹してくれていたのだと思う)




私は不幸だったわけじゃない。
むしろすごく幸福だ。
でも、母とはどこかでいつも噛み合わなかった。

仲が悪い訳じゃない。
でも、どこかでずれていた。




Do you still love me?

そんな甘えた疑問符を投げ掛けたいのは、私の場合、昔の男に対してなんかじゃなかった。






私は母に「あなたは私の理想の娘ではない」と思われていると思っていた。
実際にそれはその通り。
母はそう思っていた。


でも、そのあとには続きがあったんだね。
「あなたは私の理想の娘ではない」のあとには「でも」が続いていたんだね。




2014年の終わり、そのことを私の大好きな人が私に教えてくれた。


私は母にこの話をしないだろうし、母もきっとそんなことは私には言わないだろう。
でも私は大丈夫。
大好きな人が、母の気持ちを伝えてくれた。






居酒屋を出て、彼を駅まで送って行った。
駅の前まで彼を送って横断歩道を渡る。
渡りきったあとで振り返ると、彼はまだ立ち止まってこちらを見ている。

横断歩道をはさんで、あちらがわとこちらがわ。

離れがたく、何度も振り返っては手を振った。