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NHKの回し者です



こんばんは。
きっと、今年最後の記事ですね。


話題:2014年を振り返る



炬燵でお菓子食べて紅白という絵に書いたような年末を楽しんでいます。
幸助君が歌に変な合いの手を入れるのを聞きながら。

きっと23時頃になれば年越しそばを食べ、2355を観たのち"年の初めはさだまさし"をちょっと観て寝るでしょう。
さだまさしさんは好きなんですが、あれ、どうしても眠くなっちゃうんですよね。

普段はそうでもないんですが、年末はどうもNHKですね。



今年も色々なことがありました。

なんか疲れちゃって、彼を、自分を、諦めようとした。
にわかに希望を持って、でもそんなことには慣れなくて、子供じみた計画をたてたりもした。
全部駄目になって、何もかもをなくしたような気持ちになった。

裏切りも誠実も、弱気も強気も、生も、死も。
すべてを抱え込んでどうしていいか分からなくなった。


そうして、このブログをまた書き始めました。


拍手コメントに「戻ってきてくれて嬉しいです」って書いてくれた人がいた。
変わらず仲よくしてくださる方がいた。
「文章が好きです」とおっしゃってくださる方もいた。
ブログを読んで、一緒に悩んで下さる方がいる。



本当にありがとうございます。
家族にも友人にも、ゆうちゃんにさえ言えないことを聞いて下さった皆様に、来年も良いことがありますように。


来年もきっと変わらず。

彼氏はウツだし彼女はバカだし、兄はゲイだし父は朝帰りだし妹は毒舌だし母との関係は微妙だし、と色々あると思いますが、それでもいいし、それでいいのだという気持ちで書いていきますので、どうぞよろしくお願い致します。


皆様、どうか良いお年をお迎えください。




あ、紅白見てるうちに幸助君寝た!
と思いきや起きてすばやく蕎麦を作りに行った!



わたしも蕎麦を作りにいってきまーす。








2014年終わりの日に
立花 まき



毎年恒例(+拍手レス)





年末ですね。
皆様いかがおすごしですか。


忘年会で「立花ってそんな顔だった?もっとシャープで緊張感のある顔だったよ!」と言われた立花です。


今日はお節料理作りの手伝い。
我が家では毎年三段のお重2つ分を手作りで作るんです。


忙しくなるから母も機嫌が悪くなるし、大晦日にあそびにも行けないし、別に買えばいいんじゃないかなと毎年思いつつ作業。

そんななか私が毎年自分から進んでするのがこれ。金時人参の飾り切りです。
細かい作業は嫌いじゃないし、出来上がりが綺麗なので。



あともうひとつ理由があるんです。

こんな途中経過の写真を男の人に送ると、すごく受けがいいんですね。
共通の友だちとみんなで年越しをしている意中のひとに

「年越し、断っちゃってごめんね!実家でお節料理作りがあって。みんなで楽しんでね〜」


なんて書いてメールするとすごく受けがいい。
彼と一緒に飲んでる女の子達より一歩リードできたりして。

これが田作りとかでは駄目なんですね。
綺麗でかわいい飾り切りがいい。
他には栗きんとんぎっしりの写真なんかもいいかもしれない。



お節のクラシカルな雰囲気が、アピールのキツさを緩和してくれる気がする。
いつもはノリ良く、大事なとこでは女らしく!
でも女らしさは気持ち控えめで。









ふふふ、わたしバカでしょ笑
こんなこといっぱい考えてたの。



沢山考えてたはずなのにほとんど忘れちゃったなー。





私はもう使わないと思うから、このテクニック誰か使ってください、お願いします笑






、、なんて言いながら、ゆうちゃんにはこの写真しっかり送ってたりして笑
かわいい!上手ー!って言ってくれました。





追記で今年最後の拍手レスです!

more..!

大切なこと




今日は忘年会。

たくさんのテーブルを人波を避けながら移動して注文をする。
そこかしこ色んな所でグループができていて、それぞれのことを話している。

男女比は半々くらい。
みんな20代から30代。
とにかく人口密度と熱気がすごい!



「いま彼氏はいるの?」
「結婚しないの?」
「どんなひとなの?」


聞かれたことに素直に答えると、本当に、色んな人に「別れなよ」って言われた。
20代後半のフリーターは詰んでるよ、なんか、もっと幸せになる道があるんじゃない?


確かにそうかも、とちらりと思った。
けどすぐに"違うんだよなぁ"とも思う。



本当に大切なことは、飲み会でなんて話せない。
私の思う本質はそこにはない。
大切なことは飲み会では話せないことの中にある。



"みんなが知ってる事なんて大切なことじゃない。
大切なことはみんなが知らなくて僕が知っていることだ"


随分前に読んだ石田衣良さんの小説の中に確かこんな言葉があった。
確か風俗嬢に告白をした男性のセリフ。

そうなんだよなぁ。
大切なのは、みんなに伝えられる「彼は28才のフリーターなのだ」っていう事実じゃなくて、みんなには知らせられないこと。わたしだけが知っている顔。



帰り際にけいちゃんとすこし話した。

「結婚おめでとう」

って直接言えて良かった。
笑いあえて良かった。
解散したあとに改めてラインが来た。
けいちゃんは私の幸せを願っているらしい。
わたしもだよ、幸せを願ってる。





こんな風にしんみりしたけど、飲み会では男性に携帯番号を聞かれたりもして笑
ずっとシャイな人だと思ってたから意外だったな。

ガッツリ教えて来ましたよ!

この時間に自宅のベッドにいるし、浮気ではないはず!笑




あぁ、なんにせよ私はゆうちゃんに会いたいよ。

酔ってるからかな?
せめて声が聞きたい。

煩悩に塗れて




こんばんは。

前記事への沢山の拍手ありがとうございます。
コメントも頂いたりして、、、すごく嬉かったです。
またゆっくりお返事させて下さいね。



話題:ほんのりえっちなお話。


しかし本日は上記の話題に関すること!
なのでご注意下さい。




今日はゆうちゃんと共通の友人(仮にK君とします)とお出かけ。

K君が帰省する度に3人で合うのがここ数年のお約束なんです。


K君はわたしとゆうちゃんが付き合ってるのを知りません。もしかすると察してるかもしれないけど言ったことはない。

だからね、K君がいる前ではなんとなく付き合ってないふりしちゃうんです。


側にいても触れられない、名前も呼べない。


もちろんそれって仕方ないことだし、どちらかと言うと自分ひとりで撒いた種なんですが、わたしの中はもう、触れたいとか恋人として話しかけたいとかそんなきもちでいっぱいいっぱいに。


特にね、触れたい気持ちが強くて。

K君と分かれる頃には、腰の辺りから頭の先までが煩悩でいっぱいで、その部分が重く熱くしびれるほど。




「ゆうちゃん、」

K君と分かれたとたんにそうやって何度も名前を呼んで組んだ腕に鼻先を擦り付ける私。


ゆうちゃんも同じきもちになってくれたのかもしれない。

立ち寄った夜の公園で、ぎゅーって抱き締められた。いつもは立ち寄らない人気のない公園。
疲れたって、それを口実みたいにして。




冷たい耳に熱い唇があてがわれて、もっと熱い舌を使われる感覚。
左手は私の腰に置いて、空いた右手で私の短い髪を逆撫でて頭皮に触れる。私の弱点を知り尽くしている手付き。

上を向いた私は随分嫌らしい顔をしていたと思う。

でもやっぱり外だからそれ以上はできない。
キスをして、それで終わり。




公園から家へ帰る道では、足の爪先から頭のてっぺんまで煩悩でいっぱいで、うまく歩けなくなるくらいでした。



「ゆうちゃん」

「なぁに?」

「もっと一緒にいたい。遠回りして帰りたいよ」

「時間がないでしょー」

「そうだけどー!寂しいから」

「ふふ」



家の前でまた抱き締められた。


「ゆうちゃんごめん」

「なぁに?」

「わたしわがままだったから」

「まきちゃんもしかして、さみしがることをわがままだと思ってるの?」

「、、、うん」

「わがままじゃないの!それは僕にとっては"かわいい"だよ、ね、まきちゃんはかわいい」

「、、、うー」



彼の温かな腕のなか、煩悩塗れの私は熱いくらい。頭がオーバーヒートそう。

何度もキスをして「っていうか、したいよ。」っていう私の煩悩としか言い様のない言葉を、彼が「僕もしたいよ、すごくしたい」と受け止めてくれたところですっと離れた。

恥ずかしくなって私から。
あと、自分から離れないと泣いちゃいそうな気がしたから。


私が急に真面目な顔で

「よいお年を」

って言ったから、ゆうちゃんは少し笑ってた。


「うん、よいお年を。まきちゃん、来年もいっぱい仲良くしてね」

そうゆうちゃんが言ってくれて、私たちは今年最後のバイバイをした。





正直全然足りなくて、もっともっとって求めたくなるような年末。
でもそのくらいが調度いいのかもしれないな。

だって、さっき離れたばかりなのにもう彼が恋しい。

年明けまでは会えないから、この気持ちは来年に持ち越しになる。
年末はひとり、この気持ちを熟成させておきたいと思います。


恋をする、生きていく




忘年会をした。




ふたりで、居酒屋で
ごはんとお酒を沢山頼んで。


今年二人きりで会うのはきっと最後だから、小さな声で「今年もおつかれさま」と言って乾杯した。


別々のお酒を頼んだけれど、私と彼はいつでもなんでも半分こにしてしまうから、結局同じ飲み物を二種類飲むことになる。

同じお酒が別々の喉に入っていく。
そうして同じように喉が、背骨が、最終的には腰まで温められていく。



食べたり飲んだりしている間に、向かいに座っていた彼がいつの間にか隣にいた。

彼の横顔をじっと眺めるのは久しぶりなような気がする。なんだか別の人みたい。




そうして見ていると、彼の体型が以前に比べて変わったような気がしてくる。

スマートで少し筋肉質なところに変わりはない。完璧主義の彼は自分の体型の変化すら見逃さず、小まめに運動している。

どこが変わったんだろう。
そう思って見ると分かった。


背中の厚みが増している。


よく分からないかもしれないけど、それ以外の言い方が今の私には分からない。
よく見なければ分からないくらいの、些細な彼のフォルムの変化。



その背中の厚みは私には好ましく映る。
好ましく、慕わしく、愛しい。



こんなとき、私は否応なく恋をしてしまう。
例えば恋人の背中の厚みを実感したときに。
例えばほんの少しのお酒が恋人の頬を赤くしたときに。


今年は、心の奥底で、恋なんてしたくないと思った一年だった。
実際に一度私は恋をやめた、と思う。


でもやはりいま恋をしてしまっている。
否も応もなく。





私と彼が初めて言葉をかわしたのはきっと私が18の頃だった。このことは以前ここに書いたことがあると思う。


だけれども、私が彼を彼と認識したのはそれよりも前。私が16の頃だった。
今思えば彼はその時19かな。

16歳の私は19歳の彼に声をかけず、ただそこにいる人と認識していた。名前くらいは知っていたけれど。


年を越して春になる頃、彼は29歳になる。
初めて出会ってもうすぐ10年になるんだ。


彼の変化を思い、私の変化を思う。




「私は16歳の頃、あなたを知ってたよ」

嬉しくなってそう伝えてみた。
あなたは知ってる?高校生だったころの私のこと。そんな風には聞かなかったのに、


「僕も知ってたよ。いつも隅にいたでしょう?」

そうやってこともなげに答えてくれるから、もっともっと嬉しくなる。





25歳のわたしと28歳の彼はお酒を飲みながら何度も何度も指相撲をした。指相撲をしすぎて、その後普通に指を絡めていても指相撲がこれから始まるような気分になってしまうくらい。


ちなみに私の全勝。


彼の指を押さえ込んですごく早口で十数えるわたしに彼が悔しそうな顔をする。
「まきちゃんの親指は僕にはできない動きをする!」だって。
勝利の秘訣は絶対教えないようにしよう。






「まきちゃんのお母さんがさ、子育てについて僕に話してくれたことがあって、」


そう彼が切り出して驚いた。

いつの間に母は彼にそんな話をしたのか。
私の大学の卒業式のときかな?
母と彼が来てくれたから。
しかしそんな話をしていたとは。


さらっと話しただけだよ?ていうか僕、まきちゃんにこの話しなかったっけ?なんて珍しく早口で言いながら彼は続ける。
私の母の子育てについて。




「理想はすごくたくさんあって、理想通りにしようとして、理想通りに育てようとして、」


「でも同じようにしても、同じ事を言っても、それぞれの子で全く違うように響いたりして、」


「理想通りには行かなかった、って。」




「それでね、お母さん言うんだよ。まきちゃんはお兄ちゃんや妹とすごく違ってて、学校の先生にも"他のお家のお子さまに比べて少し変わってますね"って言われたりもする子だったって」



確かに覚えがある。


小さな頃母に「あなたの感情の動きやその発露は人と全く違うと思う。だから気を付けなさい」と言われたこと。



小学校ではひとりも友達ができなかった。
いつもひとりで座っていた。目立たないように退屈しないように本を読みながら。

読む本がない時には廊下に出た。

退屈だから、掲示板に貼ってあった"保健だより"というプリントをいつも読んでいた。
"保健だより"は月に1度しか貼り出されないから、月末になると「早く来月になって新しい保健だよりが貼り出されないかな」と思いながら読み飽きた保健だよりをずっと読んでいた。





「お母さん言ってたよ。"まきはすごく変わった子。でもね、いい子だから。ずれてはいるけど、本当にいい子"って。いい子だって、優しい子だって言ってたよ」


「理想通りにはいかなかったけど、でもいい子に育ったからね、だから"子育ては結果オーライなのよ"って」

「そんなことサラッと言うから、僕ね、まきちゃんのお母さんはすごいなぁーって思っちゃった」






泣きそうになったけどすんでのところで我慢した。


母の私に対するまなざしにはいつも「あなたは私の理想の娘ではない」という気持ちが込められているような気がしていた。


私たちはどちらかといえばギクシャクした母娘だ。
母は殴る人だったし、私は素直になれない娘だった。
もちろん母が間違っていると思う時にしか殴りはしない。私はきっと、沢山の事を間違えていた。


私は素直になれなかった。
一緒にテレビを見ていても「母が笑うところで笑わなければ」といつも私は背筋を伸ばしていた。自分が面白いと思うところでも、母が笑っていないなら笑うべきでないと思っていた。

そうではないと気付いたのは今年のことだ。


私は母の料理に何かマイナスなことを言ったことがない。
「味が濃くはないかしら」と言われれば「私はこれくらいがいいし、ごはんと食べるのだから濃いことはない」と言い、「味が薄くはないかしら」と言われれば「全くそんなことはない」と言った。

自分でそう言うことを選択している癖に、母と何でもぽんぽん言い合える妹が羨ましかった。
母とすごく仲の良い妹が。
(今思えば、妹はピエロ役に徹してくれていたのだと思う)




私は不幸だったわけじゃない。
むしろすごく幸福だ。
でも、母とはどこかでいつも噛み合わなかった。

仲が悪い訳じゃない。
でも、どこかでずれていた。




Do you still love me?

そんな甘えた疑問符を投げ掛けたいのは、私の場合、昔の男に対してなんかじゃなかった。






私は母に「あなたは私の理想の娘ではない」と思われていると思っていた。
実際にそれはその通り。
母はそう思っていた。


でも、そのあとには続きがあったんだね。
「あなたは私の理想の娘ではない」のあとには「でも」が続いていたんだね。




2014年の終わり、そのことを私の大好きな人が私に教えてくれた。


私は母にこの話をしないだろうし、母もきっとそんなことは私には言わないだろう。
でも私は大丈夫。
大好きな人が、母の気持ちを伝えてくれた。






居酒屋を出て、彼を駅まで送って行った。
駅の前まで彼を送って横断歩道を渡る。
渡りきったあとで振り返ると、彼はまだ立ち止まってこちらを見ている。

横断歩道をはさんで、あちらがわとこちらがわ。

離れがたく、何度も振り返っては手を振った。





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