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根本に立ち戻って

就活とかもはややる意味あるのか。
私はもうアートマネジメント団体に就職するつもりでいて、もうそっちがぽしゃってもいざとなったらフリーターでもなんでもするつもりなんだけど。

震災で説明会とか延びに延びて、でも書類とかは送らなきゃいけなくて。
やる気とか出るかよ。

社会を知るために説明会とか選考とか行きたいけど、その前にまずなんか知らんが書類通らないし。
ボランティアとか積極的に参加してたから書類で落ちそうにないのにと友人には言われたけど、マジで何が原因だよ。
そこから学んだことが書けてないから?
書いてるつもりなんだけどなぁ。

これから忙しくなるのに、就職する気のない就活とかやってらんないんじゃねぇの。
てか、やりたくないが本音。
こういう風に根っこが甘いから祈られるんだろうけど。



大学受験の時ずっと思ってたことがある。

世の中には高校に面接だけで入る奴がいて、そのうちの何人かは大学にも面接だけで入る。
なのにあたしは高校も大学も、いつもいつも受験しないと入れない。
成績だって頭だってあんなやつらより良いのに、なんであたしばっかり苦労しなきゃいけないんだって。

高3のとき隣の席の子がそういう子だったから余計そう思ったのかもしれない。
(その子にテスト前に数学と理科と英語を教えたのは私だった)
受験期にクリスマスパーティーしようと連日騒がれたからかもしれない。
(とりあえず全力で殴って周りに止められたことだけは覚えてる)

まぁ別に高校も大学も苦労しなきゃ入れないようなとこでもないんだけど。
でも未だに不公平感だけが根強く残っていて、当時は本気でいつかあいつらを全員踏み付けてやるって思ってた。

ちなみに隣の席だった子は保育士だから就職だって今の一般大学生よりは苦労してない。
もうマジでそういう点ではあいつ嫌いすぎる甘すぎる反吐が出るふぁっくすぎる。



だからね、もうここで多少楽しても良いんじゃないかと思っちゃったんだよ。
わざわざ就活とかしなくたって、あたしを欲しいといってくれてる団体があって、あたしがそこに行きたいと思って、あたしがそこでやりたいことができるなら、何も問題ないと思うんだ。

そもそも正社員とか安定とか言うなら、美術史なんて腹の足しにもならないものを学ばずに介護でも中小でも人が足りないとこに就職するとか、大学なんて行かずに高卒でどっか就職したってよかったわけだ。
でもそれじゃ生きてる意味が全くない。

私の生きてる意味そのものだと思ってたものをなくしたとき、立ち直るために私の生きてる意味は自分がやりたいことをして生きていくことだと結論づけた。
それで当時は安直に学芸員とか目指そうと思ったんだけど。

学芸員は難関だし、自分には向いてないと思って、アート関係で何か他の仕事に就こうと思った。
どの職に就いたかが私の中での自分の価値だから、アート関係の職に就いていない自分を私が受け入れられる気がしない。
アート関係の職に就けていない自分はきっと私にとって全く価値がなくて、生きてる意味がまたなくなってしまう。


そうすると、安定していても生きてる価値のない自分を私が面倒見るとは思えないから、保障がなくてもつらくても自分が生きている価値を見出だせる就職先の方がいい。

だから、就職する気のない就活とか意味ないんじゃないかと思って。
もうここで楽をしたって良いんじゃないかと思って。
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