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コミュニケーションと会話と日本語

両親のことは馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、
今更ながら、こんなに馬鹿だったら
生きていくの大変だよなと思った。


今冷蔵庫に関して喧嘩しているところを見てたけど
ディスコミュニケーションが酷い。

母は
「食べ物の管理をちゃんとして」
「腐らせたり余らせたりしないで」
という主張がしたいんだけど

それを言語化するときに
「里芋が邪魔だから捨てて」
というアウトプットになる。
足りなすぎる。

父はそれを聞いて
「邪魔なら捨てればいい」(まだわかる)
「俺は冷蔵庫を使わなければいいんだろう」(?)
となる。

どっちも死ぬほど意味わかんないから
間に入って通訳してはみたけど、
一向に意思の疎通ができなそうだったから
あとはもう死ぬまで喧嘩しててください〜
ってなった。

無理だこれ。


塾講師をしていた頃のことを思い出した。

偏差値底辺グループの中学生たちが
明らかに意味の通っていない会話なのに
なぜか仲間内でコミュニケーションがとれていて
本当に驚いた。
それでいいのかって。

教育的な観点から見ると
それはよくないんだよね。

そのときはそれでいいし
以心伝心感もあって気持ちいいんだろうけど、

そのコミュニケーション術が通用しない人間と
コミュニケーションを取る必要が出てきたときに
彼らが苦労していなければいいなと思った。
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