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鬼胎

気がつけば眼前に扉があった。格子の嵌められた覗き窓から中を伺えば、暗い石牢には女と、その膝に頭を預けた男がいた。女は上腕の中ほどより先がなく、男は血塗れの顔にぽかりと穴が空いている。

『今日は右腕』

女が囁いた。

『今日は左目』

男は呟いた。
ぞっとしてその場を離れようとすると腕を掴まれた。格子窓からはいつの間にか近づいていた両腕のない女と両目の潰れた男とが顔を覗かせている。

『どうして逃げようとするの』
『どうしてあいつらに復讐しないの』
『どうして私達を見捨てるの』
『どうして忘れようとするの』
『どうして』
『どうして』

口々に責め立ててくる彼らに怯えるが、足が固まり動かない。呆然としていると男の腕がまっすぐに伸びてきた。首をじわじわと締められて呻き、もがく。意識はだんだんと遠のいていた。ここで死ぬのだろうかとの思いが頭の片隅に浮かぶ。

「ーーーーヘカーテ起きて」

ふいに体を揺さぶられて景色が変わった。見慣れた天井。そして心配そうな表情をした仲間が見下ろしてきた。

「……マリー」
「うなされてたよ。大丈夫?」
「…ええ…ありがとうございます」

支えられながら体を起こす。早鐘が止まらない。朧げに解けゆく夢の跡、最後に掛けられた言葉だけが鮮烈に耳に残っていた。

『ーーあなたは私なのに…!!』

怖気が立つ。

(…あれはあの時の私達なのか)

震えを止めたくてもヘカーテに己を抱き寄せる腕はない。マリーに撫でられ、彼女はただうずくまる事しかできなかった。

出会いC

手足の切断はこの時勢においてさほど珍しいものではなかった。都市部や限られた土地での医療は日々進化を遂げていると聞く。だが国が広大である故に、大多数の平民は十分な治療を受けるのが難しいのも事実だ。病や事故から命を守る為に身体の部分を失わざるを得ない状況もあるだろう。アレスが傭兵だった頃、内乱や反乱の裏にも少なからず目にしてきた光景だ。
目の前の女も腕を、それも両腕を失くしているという。珍しくない事とは言え、夜の通りでアレスはまるで心臓が鉛にでもなったかのような心持ちであった。それはヘカーテに対するいたたまれなさであり、彼女に付き従う盲者への戦慄でもあるのだろうか。それにしても何で早くに気付かなかったのかと考えていたところ、
「ーーーアレスさん?」
ヘカーテに覗き込まれた。アレスははたと我に返る。
「さっきから上の空ですね、どうしました?」
「あ…いや、悪い」
長く思案してしまっていたようだ。気がつけば彼らは今目抜き通りの端に辿り着こうとしていた。宵の始めで点き始めたばかりの灯明の下に人通りは絶えない。日中とは異なる賑やかさの中には耳の尖った者、獣の顔を持つ者、遠目に見ても機械仕掛けだとわかるような者なども散見される。人通りの少ない場所から大通りに入り、がらりと変わったその光景に、 ヘカーテは一つ息を飲んだ。
「噂には聞いていましたけれど…」
「ここまで色々集まる街もなかなかないだろ?」
「そうですね。本当、凄い」
ここなら私でも生きていけるかしら、と目を輝かす様子は少しばかり魅力的にも思える。しかしその気持ちも彼女に付き従う物言わぬ従者の圧力を感じ、早々に打ち消されたが。
三人は人の波をすり抜け横切り、細い通りへと入る。それから路地を歩き裏路地を抜けて方向も曖昧になってきた頃、アレスの足はある建物の前で止まった。古びた煉瓦の壁には蔦の跡や修繕の箇所がまばらにある。木造りの扉の上には存在を示す看板が吊り下げられているがあいにくその文字も掠れて読めない。
「…ここですか?」
「ああ、ここだ」
「看板が読めません」
「マスターがあれだけは変えたくないんだと。読めない看板のせいで依頼人は減ってるらしいけどな」
アレスはぼやく。扉に手を掛ければ蝶番が軋んだ音を立てる。客の来訪を告げる呼び鈴が軽やかに鳴った。二人の客を振り向き彼はドアを開いた。
「踊る案山子亭へようこそ」

出会いB

それはともかく、とアピールを続けるアレスだ。身寄りもない見知らぬ街で一人で仕事を探すのは大変だろう、ここで会ったのも縁であるし話に乗ってみないか。言い含めるように訴えるアレスの必死さに何を感じたのだろうか。ヘカーテは僅かの間の後にこれを了承した。
「わかりました。よろしくお願いします」
「何なら俺に依頼してくれても」
「それは結構です。あなたはまだ経験が浅そうだし」
確かに経験豊かとは言い難くまだ生業として間もないのは事実だが、言い方というのはあるかと思う。何とも言えない面持ちでアレスは席を立った。
「まあ…そう決まったんなら、出ようか」
「そうですね。では行きましょうかガロア」
…ガロア?
そう疑問に抱くと同時に背後でゆらりと気配が動いた。恐る恐る振り向き見上げた先には、いつからそこにいたのだろうか巨大な男が立っていた。アレスは自身の赤髪が逆立つ感覚を覚える。
彼も人並み以上の背丈をもつのだが、土気色の肌を持つ男はふた回り程大きく見えた。その高さから見下ろされ、黒衣とも相まって凄まじい威圧を感じる。
いや、見下ろすというのは語弊があった。ガロアというのだろう彼は装飾の施された布で両眼を覆っており、実際にアレスが見えているとは考えにくい。しかし表情は動かず目隠しまでされているにも関わらず、威圧と敵意がガロアの全身から溢れ出ているのがわかった。先程の鋭い空気もきっと彼だったのだろう。
「アレスさんでしたっけ?こちらはガロア、いつも何かと助けてくれる友人です」
ローブをひらめかせ椅子を降りるその影はやけに細身で。釘付けになる視界の中で、ふわりと微笑み、ヘカーテは口を開いた。
「私、両腕がないんですよ」

出会いA

話題:創作小説

「で、どうして一人で飲みに来てたんだ?」
「……この街に来て初めて目に入った酒場がこちらでしたから」
二人は改めて酒を注文した。アレスはモルト、女はシードルを。女はシードルのカップにストローをつけるように頼んでいる。この地域ではあまり見かけない風習だ。
女の名はヘカーテといった。所属していた組織を離れ、各地を転々とした後にこの交易都市ライテルバーグまで流れてきたのだそうだ。この街は自治領であり国の中でも自由度が高い都市のひとつであるから、と。
アレスが聞き出せたものと言えばこれくらいの事。組織とは何か、これまで何をしていたのか、出身は、好きなものは。思いつくままに問い、話題を振ってみても彼女は言葉少なにそれをはぐらかしてくる。厚いローブに隠されたままの両腕同様に、ヘカーテは最低限の情報しかもたらしてはくれなかった。酔いが回ってきたのか赤らんできた眼差しもアレスと直接絡んではこない。
「交易が盛んな場所だと色んな種族が集まってくるでしょう。特にここなら仕事が見つかるんじゃないかと思いまして」
「なるほど」
淡々と話すヘカーテにアレスは頷く。様々な人種、亜人、もはやヒトではないものまで多くが集まるここならば、確かに他の街よりも職は見つかりやすいだろう。彼女をひっかける、もとい交友を深めるにあたり実に都合のいい口実もそこにあった。
「なあヘカーテ、俺の宿に来ないか?」
「あら、いきなりど直球ですね?」
言葉足らずであった。初めてまとめに絡みあった視線にはあからさまな侮蔑が浮かんでいる。殺気も漂ってきたような気もする。アレスは慌てた。
「私は高いですよ」
「いやいやいや、仕事探してるんだろ?!うちの宿なら冒険者が集まるから誰かしらに職探しの手伝いを依頼できるし、泊まるところも確保できるって意味で!」
「あなた冒険者だったんですか」
何食わぬ表情に戻り、ヘカーテは背を丸めシードルのストローに口をつけた。指先すらも頑なに隠す彼女にアレスは苦笑するほかない。
「始めに名乗ったんだけどなぁ」
自分はこれまでになく面倒な女に声を掛けてしまったようである。

出会い@

話題:創作小説

印象に残る瞳であった。
いつものバールでふと目に入ったそれにアレスは目を奪われる。好みの女ではない。厚いフードに覆われた顔は化粧っ気がなく、今まで夜を過ごしてきた女達とはまるで対極にある。闇に溶けそうなその風貌は普段のアレスであれば鼻にもかけていなかっただろう。酒と香水の匂いが充満し、熱気のこもったこの場には些か場違いなようだ。
しかし鮮やかだった。薄暗いバールの中、数席離れていてもわかる程の、あまりにも鮮やかな瞳を彼女は持っていた。冒険者になり様々なものを目にしてきたつもりだが、あのような不思議な輝きを見るのは初めてだ。もっと近くで見たいと思った。アレスはふらりと席を立つ。
「お姉さん」
声を掛けると女は僅かに視線を上向けた。やはり、いやアレスの想像以上の華がそこにあった。濃紫色の縁取りから紫、青紫と中心へ向けて移っていく虹彩は朝方の空や菫の花を想起させる。そして先程は地味に思えた顔立ちに一房だけ溢れた黒髪も、ふんわりと曲線を描き、色白の肌を引き立たせていた。アレスは思わず息を飲む。
しかし見上げてくる視線はとても冷ややかだ。
「私にご用ですか?『お兄さん』」
お兄さん、と強調する口調からやんわりとした拒絶の色を感じるがアレスはめげない。今まで声を掛け、また掛けられた時に作ってきた笑顔で言葉を続けた。
「こんなところに一人でいるなんてどうしたのかと思って。もし良かったら隣いいかな?」
女は目を丸くし、ためらうような素振りを見せる。やはり簡単に誘いに乗るタイプではなかったか。諦めかけたアレスだが場を離れようとした間際、どうぞ、という小さな声を確かに耳にした。声音から少しばかり強張りが解けているのはアレスの気のせいだろうか。失礼、と声を掛け彼女の隣へ腰掛ける。
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