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でん六「味のこだわり」で一杯やりながら

一杯と申してもお酒ではありません。
珈琲で。


たまにはスゥイーツ以外にも、あられなどカリカリ食べながら珈琲を飲むのです。

これがまたいい。


袋からとりだして、ティッシュとかに並べて計画的に食べると。


まずは鷹の爪豆でしょう。オレンジ色の。

でー、おこげせん。


あとォ、青のり豆。風味がいい。

次は‥うーん、えびあられ!
これは好き。

小魚のアジは後半。最後あたり。

どの種類が何個あるかも考慮して食べ分けていくと。

計画的。(ままごとかっ)


この、好きなものをどのあたりに食べるのか、もってくるのかということって、何かその人の人生を表していると思いませんか。

その人の人生の力配分とか、人生の楽しみのメインをいつころにもってくるのか、とか。


思い出した。
以前、所ジョージさんが話して笑ってたんですけど、ある人が中華丼食べているときに、いちばん好きなウズラの卵を最後に食べようと丼の横に寄せておいたら、他の人が「あっ、キライなの?」と取って食べちゃったという話があって(笑)。

楽しみとか大事なものとかはちゃんと管理しないといけないと。




何の話でしたっけ。


ああそう。人生の力配分の話でしたね。


私は先日、ちょっと重いものを持ったんですが、何か心臓に負担がかかり胸が苦しかったんですよ。

重いものと言っても115キロくらいのものだったんですがね。ふつうはそんなに重く感じないもの。


体力に自信がほんとなくなってきた。それを感じたんですよ。やっぱり病人なんだなと。


こうして体力に陰りが出てきた今、今までの経験とか世渡りのノウハウを、残りの人生に昇華しなければならないな、でなければいつしかしぼんでしまって取り返しがつかなくなるぞ、と思ったりしていたボスの今日の午後なのでした。

何でもないようなことが幸せ

さっきフレンチトースト作ったのですが、よろしければどうぞ



さて。お昼過ぎ、ソファで珈琲の香りを堪能しながらくつろいでいた私に、突然、災害発生に関する電話連絡が入ったんですがね。

心を落ち着け何事もないように話を聞いて今後の対応を考えたのですが。
で、今は対応がだいたい済んだので落ち着いているのですが。


それにしても、寝耳に水的な災害発生電話って、ほんとびっくりする。

動悸がして困る。


実は電話来る前、なんか気持ちがむなしいな、とか思っていたんです。

いろいろ考えごとをしていて。


でも、電話が来て、いきなり気持ちが引き締まり、覇気が圧縮されたというか。そんな感じになって。



さっきは「なんかむなしいな」と思っていたのに、今では「何事もないことが平和でいいのだな、何でもない日常が平和、幸せなんだな」としみじみと思っています。


東日本大震災で、この「何でもないようなことが幸せ」「ふつうが幸せなのだ」と思い知っていたはずなのに、人間って忘れやすい、現状に慣れるものなんですね。


以前どなかたのブログにこんなことが書いていたんです。

「幸せをみつけるより、幸せだと感じる心をみつけよう。」


……。


幸せを探すとキリがない。
で、見つけても、人って現状に慣れるもの。幸せを幸せと感じなくなるもの。
マヒするというか。

で、幸せなはずなのにむなしさを感じたりして。

幸せなはずなのに落ち込んだりして。


幸せだと感じる気持ちを持ち続けるのは非常に難しいものですよ。
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