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気まずい出来事

ボスリバイバルシリーズ
2010年9月19日の記事。
いまだにあのときの光景がありありと目に浮かび懐かしい。




ある方のブログで、焼肉店で「とりあえずライス」と注文する男性らに驚きを覚えたとの記事があり、つい最近遭遇した気まずい出来事を思い出してしまいました。


先日、とある田舎の空いた食堂で昼時前、「とりあえずカレー。あとゆっくり焼肉定食ね」(何でハートじゃ)と注文したんですよ。

そして待っていたら、激しく肉体作業していると思われるボンタン姿の方々が続々と入ってきて、口々に「今日は塩」とか「俺は醤油とライス」とか、いかにも安い・早い・高炭水化物の食品を次々に注文しているんですよ。

私、いくらガタイがいいからといってもスーツにネクタイですよ。どう見てもハイカロリーを要する立場ではないわけです。

しかも運悪くその店は出前の対応で混んでまして、皆さんの注文がなかなか運ばれて来ず、あちこちで「おっせーなー」とか、「チッ、何やってんだよ」とか、どう猛な苛立ちのつぶやきが聞こえて来るわけですよ。


「 … 。まずいな」


私は非常にイヤな胸騒ぎを覚えました。わかりますよね私の心配が。

で、そうこうしているうちに私のオーダーしたものが運ばれてきたんですよ。ええ。バッドタイミングです。回りで苛立ちの余りテーブルを指でトントンと叩いている鋭い目線の方達の前に、私の注文したカレーと、焼肉定食が、調理にいちばん手間暇かかると思われる焼肉定食が、なんとフルセットで運ばれてきたではありませんか!

(イヤーーッ)心の中で叫びましたよ(女性かっ)。

その後、鋭い視線の中、激しく引け目を感じながらそそくさとカレー、焼肉定食を食したのは言うまでもありません(言ってますが。)


記事とは関係ありませんが桃でもどうぞ(何で桃じゃ)

テレビはできるだけ見ないようにしているが

テレビはできるだけ見ないようにしている。


新聞の番組欄を見て、極めて少ない番組を選んで見るようにしている。

ニュースとか、旅番組とか、料理番組とか。


バラエティー番組は気晴らしに見る方とかいらっしゃり、もちろん否定はしないしできないが、個人的にはきらいだ。
個人的には見る意味、意義がない。
得るものがない。
見ていてむなしい。
何も残らない。


今日テレビで家人がなにげにバラエティー番組をつけていた。
川柳の空欄を当てるクイズで、最終に罰的な業が与えられるというもので、最終的に冬の時期、滝業が与えられるというものがあった。

で、タカトシのタカさんが滝業をするハメになり、本人はいやがっていたが、罰としてやっていた。


こうした個々の極めて限定された番組にケチをつけるのも刹那的でいやだけど、私はほんと、見ていていやだった。


いまどき、わるさをしたとか、本人が希望していたとかでないのに、あんな荒い罰的なことを与えて、視聴者が「ギャハハ‥」とか笑う時代だと番組制作者は思っているのだろうか。

芸人にハードなことをさせて、たまに芸人がケガとかして、テレビ局では「今後このようなことがないよう注意します」とか、昔からしょっちゅうやっているのは、あれは何だったのか。

出演者が苦痛を感じている風景について、視聴者が見て笑ったり、日ごろのストレスを発散するとか気分がよくなるとかの状況があるとすれば異常だし、テレビ局側がそういうものだと思って番組を制作しているとすれば、これもまた異常だ。

これを若い人が見て快感を覚えたり、こうしたサディスティックなことがあるのはふつうのことだと思うようになったりする土壌になりはしないだろうか。

仮にタカさんが心臓マヒにならないように特殊なインナーとかを装着していたとしても、視聴者はそんなのはわからない。
クイズにまけただけで、割に合わないハードな罰を受けている事実しか表面に出てきていない。


私は見ていて非常に腹立たしかった。


とにかく、出演者が心臓マヒとかケガとか骨折とかをする可能性があるとか、苦痛に顔を歪めるとか、そうした罰ゲーム的なものが目的になるような、ウリになるような、そんな作りの番組が世の中からなくなることを願っている。

昔の風景の夢

ときどき、昔の風景の夢を見る。

私が幼少の当時の目線で見た風景とか、懐かしい風景とか。


そうしたときの風景は、低い視点からの風景で、大人になった現在感じる距離感よりもかなり広大に感じる距離感のある風景で、やはり幼少のころの視点なのです。

そしてその風景を見て感じる感覚も、幼少のころの不安とか畏怖とか、例えば物陰から妖怪が出てくるんじゃないかと思えるような怖さとかがあって、大人はちゃんと大人大人していて、やっぱりちゃんと幼少のころの視点なのです。そんな視点からの風景を背景とした夢をときどき見るのです。


そのときの気持ちはとても懐かしく、もの悲しく、怖く、薄暗く、純粋で、夢から覚めるととてもしんみりとした気持ちになるのです。



あのころからはるか、はるか遠くにきてしまったものです。

めったに感動も味わえない、恐怖も、わくわくすることも、地面の石とか草花、虫とかにも感動しない、気づかないような大人になってしまったものです。


でも、夢の中ではときどき幼少のころに戻って、やさしい気持ち、純粋で素直で初々しい気持ちになることができる。それも、すっかりまったく幼少のころに戻って、大人である現在があることも感じさせない純粋な気持ちになることができる。



たまにちょっと見る夢のなかでこうした世界を見ることができるのなら、いつかあの世に行くときにはもっともっと鮮明に、ありありと戻ることができるのではないかととても楽しみに思っている。

守りの人生

これからは守りの人生を送ろうと思う。


今回の手術を含む入院中、そして退院してからもずっとそう思っていた。


守りの人生。


体に関して、今から昔のようなモリモリの筋肉をした肉体になることはできない。
体力だって、低下していく中で、いかにその低下の坂をなだらかにしていくかを考えなければならない。

食べる量だって、腹5分目プラスごほうびみたいなデザートで、合計腹6分目がちょうどいい。

体を酷使しないなら、酷使に備えた量を食べる必要はない。

何かあったら更に3、4分目、追加して食べる余裕が残されているくらいがいい。


持ち物だって、今までさんざん買い物をしてきた。
身近にあるものでじゅうぶん暮らせるし、何かあっても手持ちの物でいくらでも工夫して暮らすことできる。



思えば、身の回りにはじゅうぶんすぎるほどのものがある。

でも今まで、更に何かを求め、たくわえ、しまいこんできたように思う。

持ち駒を使い切ってこなかった。生かしきってこなかった。

体についても、今ある状態を無視し、無理なことを重ねてきたように思う。

食べ物だって、よく噛んで食べてきただろうか。
ほんとうに味わって食べてきただろうか。感謝して食べてきただろうか。


考えればきりがないほどいろいろなものをたくわえ、とりこみ、そして反面、それらを使い切ってこなかった。楽しみきってこなかった。



これからは、そうしたたくわえたものをいとおしみ、いつくしみ、熟成させながら暮らしていきたいと思っている。



画像は今日、守りのスタイルで食べたハンバーグのめだま焼き&チェダーチーズトッピングです。

ロト7

ロト7という国内数字選択式宝くじの販売が平成25年4月1日、スタートする。

1口3百円。ロト6より百円高い。

1等当選金額は理論値で4億円。キャリーオーバーの場合、最高8億円が1等当選金額となる。
これらはもちろん、当該等級当選者数が増えれば減少する。

ロト7の第1回目の抽選日は4月5日、金曜日。
以降、年始年末の特定曜日を除き毎週金曜日、当選数字が抽選されることとなる。

抽選は、東京京橋の宝くじドリーム館にある数字抽選機械、通称「夢ロトくん」により公開で行われる。


ロト7の特徴は、選択数字個数の幅の狭さであるとも言える。

ロト6が1から43までの数字から6数字選ばれる(他にボーナス数字1個選択)のに対し、
ロト7の場合、1から37までの数字から7数字選ばれる(他にボーナス数字2個選択)もので、
ロト6に比べ6個少ない選択範囲から7個選ばれるということになっている。

単純に数字範囲幅を被選択個数で割ると、
ロト6は43÷6≦7
ロト7は37÷7≧5
で、
ロト6が約7数字に1個の割合で当選数字が出る計算であるのに対し、
ロト7は約5数字に1個の割合で当選数字が出る計算になる。

更にロト7の場合、ボーナス数字はロト6より1個多い2個。
2等当選数字の幅もロト6よりはるかに広がるということになる…


これ以上は語らない。

いままでロト6の43数字について、この中からボーナス数字を含む7数字を徹底的に予想し続け、自分なりにある程度満足できる成果を得てきた私としては、やっと来たか‥という気持ちで安堵しているところである。




画像はニューオータニのラウンジのモンブラン。女性の拳大の大きさでちょっと危険です(笑)お気をつけてお召し上がりください。
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