祖母にもらった鏡をで祖母にもらった赤いルージュをひく。
私にはそれは似合わなくて、すぐ洋服の袖で拭ってしまった。
袖に朱がつく。
電車の窓の外は雨で、雨にうんだように気だるい悲鳴をあげながら走ってゆく。
雨が世界を濡らしていた。
祖母は長男長女次女関係なしに私達を平等にかわいがってくれて私はそんな祖母が大好きだった。
ベッコウ色のツルンとしたこの鏡は3年前から"形見"という肩書きがついた。
祖母が亡くなった事は私にも、母にも勿論兄弟親戚にとても大きな衝撃だった。
祖母は祖母自身と引き換えに、私達にとても大きな悲しみを与えてくださった。
祖母の死で、一番ダメージを受けたのは他のだれでもなく、祖父だったと私は思う。
祖父は戦時生まれの軍隊出。頑固で不器用。
悪いことをすれば怒鳴られゲンコツが落ちる。
私達孫にとって一番怖い存在で、同時に近よりがたい存在だった。
祖母は祖父に私達が怒られたあとにそっと近づいて、叩かれた頭を優しく撫でて言葉をかけてくれた。
そんな何よりも恐ろしかった祖父が、祖母がなくなってから小さく小さくなっていったのだ。
私が何の予告もなしにフラッと祖父の家を訪れると、とても優しく笑ってくれる。
非常に嬉しそうに何度も何度も同じことを繰り返すから、私はすぐに飽きてしまうのだが、祖父の嬉しそうに話す姿はとても可愛らしくみえ、またすぐに来ようという気持になった。
祖父は焼酎党でお酒が大好き。
私がお酒強いのは祖父の血だと確信している。
20才になったら祖父とお酒を飲もうと決め、焼酎が飲めるように努力した。(努力というほどでもないけど。)
三が日が過ぎ、卒制を出したあと祖父の家に行き、鍋をつつきながらお酒をのんだ。
焼酎でも日本酒でも飲めると言うと、祖父はとても嬉しがり、秘蔵の焼酎と日本酒を出してくれた。
コップにつがれる無色透明のきらきらと光る液体はスッと喉に落ち、美酒というのはこういうものなのかと思った。
お酒は私の肉体に染み込み、いつもちっとも赤くならない私の頬は少し赤く染まった。
楽しい夜だった。
実家から連絡が入った。
祖父が入院したと言う。
胸が絞められるような気持になった。
ちょうど3年前の今日、祖母が入院したのだ。
そのまま祖母はいなくなってしまった。
「88才まであと1年。だから1年は頑張る。」
と嬉しそうに、少し寂しそうに正月(祖父の誕生日)の電話やお酒の席で言っていた。
まだ早い。
まだ早いよ。
行かなくちゃ。
と思った。
祖父を思い浮かべる。
祖母がいなくなってから毎日毎日コタツの前の特等席の座椅子に座って、お気に入りのブランケットをかけて寂しそうに外を見ていた。
今は病院のベッドで寝ているだろうか。
会いに行かなきゃ。
おじいちゃん。
堅物で頑固で苦手だと思ってたけど、大好きみたいです。