という訳でゴッホ展です。
大体の事はツィッターで書いてしまったので、それコピペすれば良いか〜と思っていたら、コピー出来ない罠で、また一から書きますがここで書くと知人があまり見てないのを良い事にとんでもない悪口を書きそうなので展覧会関係者とゴッホ崇拝の方は見ないで下さい。(笑)
まあ、ツィッターでも割と正直に書きましたが。
今回の展覧会の副題が『空白のパリを追う』、またコンセプトが『激情家と思われがちなゴッホだが、綿密に画面を構成し作り上げていった面がある事も見て欲しい』(表現違うけどそういう事が書いてあった)という事で覚悟はしていたんですが←
あまりにも有名な彼の画風の確立されてゆく過程を紹介する展覧会でした。
だからあくまで過渡期なんですよ。
言ってしまえば未完成期なんですね。
展覧会前半(パリ時代前半)はゴッホというより、よくある洋画家の作品という感じ。アカデミックな描き方から当時主流の印象派を徐々に認め近付き、それらをミックスしていく事で自分の画風を試行錯誤して作り上げていった、その様子はよく分かる。
ただ!ただでございます奥さん!←何
(ここから悪口注意報発令よ)
それを見せられてどうする!!!
というのが率直な感想です…(笑…ってごまかす)
いや、チケットがもう少し安ければ寛容になれるんですが…
同時開催の前述『ピースミーツアート!』のほうが内容が濃い上に(個人的見解ですよ)、チケットが400円も安いんですよ。すんませんねケチんぼな貧乏人で。
だからどうしても…それ以上の内容は期待するじゃないですか…(いや分かりますよ!運輸や税金なんかに超金かかってるって事は!)
だけどその諸々で、一つくらいはパリ後の作品、出来ればそれなりに有名な作品はあっても良かったんじゃないかと思いました。はい、きっとウッドワン(ひまわり所蔵の県内の美術館)に流れた人も少なくないんじゃないかと思わなくも無かったんですが、少なくとも自分は今すぐひろ美(ドービニーの庭所蔵の近くの美術館)に走っていきたい勢いでした。暑いから無理だけど!
というか、なんてーか、ものすごーく不謹慎を承知で言えば、ゴッホという名前に私達は踊らされてる感がする……
彼があのままの彼であれば、あの作品たちは今、海を渡って私達の目に触れる事は無かったでしょう。
やっぱりゴッホがゴッホたる作品というのは、晩年の作品群なんですよ。
確かにパリ時代に画風は確立されたのは分かりました。しかし確立されたのはあくまで画風で、それは構図であったり筆の動きであったり、『描き方』が創られていったというだけなんですよ。だけ、と言うには絵描きにとって重要過ぎるファクターである事は間違い無いんですけど。
でもそれは描く側の事情だと私は思うんですね。
見る側、それも彼の作品をぱっと出されて観賞する(研究者ではなく)側には、その段階の作品を出されても絵の表面しか見る事が出来ない。
つまり、彼の作風が本当の意味で完成されたのは晩年であり、そこで重要なのは表面上の技法や画風ではなく、情熱家と言われる彼の内面の込められた筆致なんです。
それはある意味冷めた目で『画』を『研究』していては絶対に現れないものだと思います。
だから、まあ、『空白のパリ』と銘打ってある時点でそれは折り込み済みで見なきゃいけなかったんでしょうが…
だから値段なんですよ(笑)
ゴッホという名前だけで1400円払わされたよね私、っていう…
名前だけで、『ゴッホ』の作品は無かったんすわ。
くれぐれも会場にあるのはゴッホの真筆です。
でもその真贋じゃなくて、序盤の『ゴッホ…?』からついに脱却する事無く出口にたどり着いた拍子抜け感が伝わりますかこれ。
唯一「お!」と思ったのが、よく見たら彼の知人である画家が描いた彼の肖像だったというこの徹底ぶり。笑
私ゴッホ嫌いなんかなとも思ったけど、ショップにあった星月夜の複製はやっぱり良いんですわ。
だからこんな文章を書いてしまったんだけど。
パリ時代のゴッホはあの時代ごまんと居た普通の印象派の域を出ない。そして私は印象派がキライだ。笑
でも一緒に行った美術科の時の友達は
良いね〜!最初は暗かったけど、こう、だんだん元気の貰える色使いになっていったんだね〜。元気貰ったわあ!
と仰せでしたので、見方は人それぞれです。(何も言えず笑顔で頷きながら黙ってしまった私が容易に想像出来るでしょう。そして眼鏡の話に話題転換)
そもそも私が自殺した人の作品ばかり好きな時点で、やっぱり見る基準が人としてひん曲がっているのだろう…
芥川もまた晩年が好きだしよ…
あと鴨居玲とか…
あ、でも太宰は性に合わんかったけ大丈夫!←何が←ばっちり人間失格を読んでおいて何を言う
ツィッターでは便宜上、自殺した事が重要ではない的な事を書きましたが、本音を言えばそれも必要なんじゃないかと。
命を削って、削り切るギリギリに表現できる美というのは存在するんですよ。
自殺を全く許す余地の無い現代のこの国では、多分そんなものは葬られるんだろうと思いますが、(だからあのコンセプトが成り立つというのは穿ち過ぎかもしれませんが)しかしそうやって表現されたものを葬るというのは、二重に作家を葬る、もしかしたら本人を葬る事より大きな損失かと。
だから、ゴッホが生前に全く作品が売れなかったというのは、必然だったんじゃないかと今回解りましたね。
だってあれは買わないよ(笑)
燃やされたのも仕方ないわ、と。(笑)
言い方は悪いが、作家の死を持って彼の作品は完成された。
少なくとも自殺が無ければ、あの、強い光を放つ晩年の作品群の発見は無かった。
そしてゴッホという作家の発見も。
芸術家のパラドックスはそこにあるんでしょうね。
まあ、そういう事を教えて貰ったという点では1400円以上の価値はあったのか。笑
でもなー、一般の、美術館で楽しみます!癒されます!な人たちはあれで良いのかって思うよ…
いや…要らん心配だよね、やっぱり私がひねくれてるだけで見方は人それぞれ…ってか本当は普通に『癒されて元気貰える』作品なんだよ!あれで楽しめば良いさ!笑
でも私は人に、どうせ見るならピースミーツ〜を見た方が良いよと言います。笑
人多くて見る気がせんかった、ってのが実は全ての真相かも知れない ……
ゴッホの名前は客寄せパンダ……いや何でも無い。