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再会!

深夜更新すんません
とりあえず今日の記録。

今日は短大時の友人となんと五年ぶり!?の再会でした。
いや時間の経過って怖い。そもそも卒業してもうそんなに経ってんのか。
歳とる筈やわ〜。肌カサつく筈やわ〜。肉弛む筈やわ〜…何か飛んで来そうなのでこの辺でやめとこう。

あ、でも正直最近贅肉と顔の垂れ下がりっぷりが気になりつつありま…(いや顔は元から全体タレ顔…ナニソレ)

いや、で、
私の気分は卒業した当時のままです!ええ!←気分じゃなくて成長無いんじゃないかお前

だけど彼女はこんなに大人になってるの!?みたいな、いやなんか当時のノリでは無かったですね、既に。
え?緊張されてんのか?と思ったり。
なんか私間違った(と自分では思う)イメージ持たれてたり。
五年ってコワイ。うん。絶対に私は真面目では無かった、自信持って。(笑)

まぁでもそんなもんだよね(で何でも済ませる最近の悪い癖)
なんだかんだで会えて良かったです。ホントに。


で、午前中はぱぁこ(無駄に英語発音)でショッピング(!!)して、
いや私なんも買わんかったけど。
いろいろ薦めてくれたけど徹底的に貯金の二文字を念頭に置いて…貧乏性でゴメン。

昼飯は地下でケーキ馬鹿食いした(飯じゃねぇのか)
さすがにラスト二つ三つがキツかったんでワカメスープと一緒に食べようとした(発想が間違ってるかい?)ら、スープがやたら熱くて舌火傷した馬鹿。

で、ゲンビ行きました。ゾンビではありません。現代美術館です。
無料招待券があったから、で、中身よく知らずに行きました。一種バクチです。
まー現代アートは現代アートだからそんなにハズレは無い筈なんだが現代アート自体の当たりハズレは人によるよね、っていう…
まぁ美術科仲間だからいいだろ(ざっくばらん)

…レビュー書けたら書きます…


でも私的にはまぁ面白かったよ企画展。


で、共通の知り合い(になっていた)の画家さんの展示を見に行って、
本人もいらしてくだすったので三人で2時間は話してましたね…
私的には久しぶりに実りのある話が聞けたなぁと思いますが彼女が意外な所をガンガン突くので内心ちょっとドキドキしていたがまぁそれはそれで面白かった。
そこが一番彼女の素だったなぁと。それが見れて嬉しかったと言うか安心したと言うか変わらんなぁ、と(笑)
えぇキャラしてはるわ〜


つーかメモってよく分からんな(笑)
結局なんなんだ今日の収穫。


作品制作しようと思いました。(どこにそんな項目があったか全然伝わらんな…)

いろいろ

不評しか聞きませんが今年の大河は凄く面白いと思います蜩です。

数年前読みかけて投げてた白洲正子著『西行』を読み返しだしました。ちょっとだけ。
ドラマ見たら人物がちゃんと思い浮かぶので凄く読みやすくなった。
義清はホントに出家を思い立った瞬間娘を突き飛ばしたんだね。可哀相に。

大河に戻りますが、ストーリーとか台詞とか人間模様をよく見せてて面白い。
しかし時々カメラワークが決まり過ぎてて吹く(笑)
美術とか衣装とか、当時の風俗の良い勉強になります。はい。
広島だから贔屓してるとか全然無いっすよ
この時代の大河は当たらないって言うけどホント勿体ないなと思う平安Loverです。


そんなこんなで今日は展示のDM丸投げ決定しました(笑)
いや、あのー、私デザイン能力無いから相方さんに任せました。丸投げ。
どんな素敵DMになるか楽しみです。


作品も増えてます…と言いたい所だが
意外とと言うかなんと言うか
なにゆえ増えない。

春休みがんばります。
しばらく頼まれ仕事は受け付けまいと思う今日この頃です。
絵が描きたい…


構想がまとまらなくて全然捗りませんがね
とりあえずデッサン人形を手に入れたい(しかし金が…)
あると大分楽になりそうな気がするんだが。
人物はデッサンに毎回泣かされるからなぁ

描きたいのに。


今なんかいろいろ息苦しくて現実逃避ぎみと言うか自己から逃避したい
自己嫌悪の塊です。
いや今に始まった事じゃないが。

何か考える事が出来なくなってきている
ちょっとボケ気味。春だからか。

3.11の読書感想文



 呂翁は得意らしく髭を撫でた。
「では、寵辱の道も窮達の運も、一通りは味わって来た訳ですね。それは結構な事でした。生きると云う事は、あなたの見た夢といくらも変っているものではありません。これであなたの人生の執着も、熱がさめたでしょう。得喪の理も死生の情も知って見れば、つまらないものなのです。そうではありませんか。」
 盧生は、じれったそうに呂翁の語を聞いていたが、相手が念を押すと共に、青年らしい顔をあげて、眼をかがやかせながら、こう云った。
「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いまんか。」
 呂翁は顔をしかめたまま、然りとも否とも答えなかった。


芥川龍之介『黄梁夢』



調度昨晩読んだ作品。11日中にUPしようと思っていたのですが真夜中になりましたゴメンナサイ。
因みに明日は休みなので夜更かし悪い子。


芥川もこんな若者的希望に溢れた作品を書いていたのか〜(こんな時期もあったんだなぁ)
が一読して率直な感想(笑)どんな偏見。


いや、でも良い事言ってるし、芥川の上手さもあるなぁ、と。
モデルとなった説話では、青年盧生は道士呂翁に諭されて、栄達を諦めて故郷に帰るのですが、芥川は盧生にこの台詞を言わせた。
恐らく盧生はこの後、前段の夢の中の描写にある通り、苦難の末に出世して燕国公となり、多くの子や孫に囲まれて幸せなまま人生を閉じるのだろうと予感させる(とすると芥川は実在の人物を盧生としているのかと思って調べたけどさっぱり分からない)

しかし例えこの後、彼の選ぶ道が苦しいだけなのだとしても、ここに描かれている盧生は故郷に帰らなかった事を悔いないのだろう。
それが『真に生きる』という事かな、と。

生きてりゃ苦しい事悲しい事のが多いさ。
でも終わりを迎える時、『真に生きたと云えるほど』の人生は、その苦しさ悲しさの重みがそう云わせるのだと思う。
吹いて飛ぶような人生にならないように。
盧生は苦しい道を一歩一歩歩くのが人生であり、それを望む心持ちになったと言っているのだと思う。

道士は不死故に盧生の心持ちが理解出来ないのか、はたまた長く生きる中で人生に冷めてしまったのか。
身の周りの出来事に冷めてしまったら、人生は午睡の夢と変わらない。ただ、長く覚めないだけタチが悪い。

生きて死ぬまでの間は一夜の夢だとしても、覚めても忘れないような夢を見たい。
一瞬の光景を、大切に。


回りくどくなりましたがそれが今からあるべき生き方かな、と思いました。
まだ震災は終わっていないけれど。
そしてこちら西日本はあの日以前とほとんど何も変わってはいないけれど。
でもふとした瞬間、瞬間で、自分の生き方や意識を問う、また死を想う事は増えたと思う。
それが被害を受けた方、亡くなられた方へ対して些細だけど私達に出来る事かな、と
意識を持つ、というのは忘れない事だし。
結局それは自分達の為なんだけど、でも犠牲を無駄にしない事なのかな、と。

あと出来る事は何より経済活動!
私自身は福島のショップにお世話になってます!
もっと直に色々買えると良いんだけどね。野菜とか。
誤解を恐れず言えば、放射線とかそんなに恐れるべきじゃないなぁと思うんですが。
だってレントゲンの方がいっぱい浴びてるんでしょ?
瓦礫ももっと受け入れればいーのに…と個人的には思います。子供居たら考え方違ってくるんかなー…
それでも神経質になってストレス溜める方がよっぽど体に悪いよ。きっと。
広島だって今は普通に暮らせる街なんだし。植物もちゃんと生えるんだし。広島菜は旨いし。
…よく分からなくなってきた(笑)


まぁそんな感じで
結局私に出来る事も言える事も無いと重々分かっているんだけど、文章にする為に考える事が大事だと思って独り言垂れ流してみました。
大変失礼致しました。


日中はFMの達郎さんの番組で黙祷しました。
被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

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