呂翁は得意らしく髭を撫でた。
「では、寵辱の道も窮達の運も、一通りは味わって来た訳ですね。それは結構な事でした。生きると云う事は、あなたの見た夢といくらも変っているものではありません。これであなたの人生の執着も、熱がさめたでしょう。得喪の理も死生の情も知って見れば、つまらないものなのです。そうではありませんか。」
盧生は、じれったそうに呂翁の語を聞いていたが、相手が念を押すと共に、青年らしい顔をあげて、眼をかがやかせながら、こう云った。
「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いまんか。」
呂翁は顔をしかめたまま、然りとも否とも答えなかった。
芥川龍之介『黄梁夢』
調度昨晩読んだ作品。11日中にUPしようと思っていたのですが真夜中になりましたゴメンナサイ。
因みに明日は休みなので夜更かし悪い子。
芥川もこんな若者的希望に溢れた作品を書いていたのか〜(こんな時期もあったんだなぁ)
が一読して率直な感想(笑)どんな偏見。
いや、でも良い事言ってるし、芥川の上手さもあるなぁ、と。
モデルとなった説話では、青年盧生は道士呂翁に諭されて、栄達を諦めて故郷に帰るのですが、芥川は盧生にこの台詞を言わせた。
恐らく盧生はこの後、前段の夢の中の描写にある通り、苦難の末に出世して燕国公となり、多くの子や孫に囲まれて幸せなまま人生を閉じるのだろうと予感させる(とすると芥川は実在の人物を盧生としているのかと思って調べたけどさっぱり分からない)
しかし例えこの後、彼の選ぶ道が苦しいだけなのだとしても、ここに描かれている盧生は故郷に帰らなかった事を悔いないのだろう。
それが『真に生きる』という事かな、と。
生きてりゃ苦しい事悲しい事のが多いさ。
でも終わりを迎える時、『真に生きたと云えるほど』の人生は、その苦しさ悲しさの重みがそう云わせるのだと思う。
吹いて飛ぶような人生にならないように。
盧生は苦しい道を一歩一歩歩くのが人生であり、それを望む心持ちになったと言っているのだと思う。
道士は不死故に盧生の心持ちが理解出来ないのか、はたまた長く生きる中で人生に冷めてしまったのか。
身の周りの出来事に冷めてしまったら、人生は午睡の夢と変わらない。ただ、長く覚めないだけタチが悪い。
生きて死ぬまでの間は一夜の夢だとしても、覚めても忘れないような夢を見たい。
一瞬の光景を、大切に。
回りくどくなりましたがそれが今からあるべき生き方かな、と思いました。
まだ震災は終わっていないけれど。
そしてこちら西日本はあの日以前とほとんど何も変わってはいないけれど。
でもふとした瞬間、瞬間で、自分の生き方や意識を問う、また死を想う事は増えたと思う。
それが被害を受けた方、亡くなられた方へ対して些細だけど私達に出来る事かな、と
意識を持つ、というのは忘れない事だし。
結局それは自分達の為なんだけど、でも犠牲を無駄にしない事なのかな、と。
あと出来る事は何より経済活動!
私自身は福島のショップにお世話になってます!
もっと直に色々買えると良いんだけどね。野菜とか。
誤解を恐れず言えば、放射線とかそんなに恐れるべきじゃないなぁと思うんですが。
だってレントゲンの方がいっぱい浴びてるんでしょ?
瓦礫ももっと受け入れればいーのに…と個人的には思います。子供居たら考え方違ってくるんかなー…
それでも神経質になってストレス溜める方がよっぽど体に悪いよ。きっと。
広島だって今は普通に暮らせる街なんだし。植物もちゃんと生えるんだし。広島菜は旨いし。
…よく分からなくなってきた(笑)
まぁそんな感じで
結局私に出来る事も言える事も無いと重々分かっているんだけど、文章にする為に考える事が大事だと思って独り言垂れ流してみました。
大変失礼致しました。
日中はFMの達郎さんの番組で黙祷しました。
被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。