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イノセント

あれは 朝から台風が最接近した8月の下旬

朝の打ち合わせを終えて 駐車場に行くと
小さな猫が 廃れた花壇の雑草の中で
必死に泣いていた



レンガ造りのその花壇は 朝からの雨で 既に水が溜まり
子猫は なんとか水を避けながら 親を呼んでいる


1時間前に来た時には
鳴き声を聞いて居ないので

きっと 近くに親が居るだろう

そう思い そのままそこを離れて車に乗り込んだ


ラジオから流れる天気予報が 午後に向けて更に 雨と風が強くなると伝えている




1時間半ほどで 仕事を終えて駐車場に戻ると もう鳴き声はしない


きっと 親の所に帰ったな


僕は安心して会社に戻り 午前の仕事を終わらせる事にした


昼食の為に会社を出た時 なんとなく気になって花壇を覗く


安心したかった


子猫が居なくなってるのを確かめて
僕は安心したかった




でもそれは叶わなかった


そこには 逃げ場を失って
腰が水に浸かり 泣き疲れて震える彼が居た










「世話が出来ないのなら 拾うな」



僕が小学校の低学年の時に
目も開いていない子猫を拾って帰った時に母から教わった


正確には 犬猫飼育禁止の団地住まいで

「飼えないから 元居た場所に戻して来なさい」

だった


そして僕は その子猫を元居た場所に戻した


数日経って その場所を
居なくなっていて欲しいと 祈る様な気持ちで確認した


居なくなってるなんて 非現実的だと 子供なりに理解していたけれど
現実は 更に酷たらしかった






僕が捨てて 殺した










その時の罪滅ぼしとは 言えないが
僕は 今こうしている猫を 放っておけなかった


直ぐに車に乗せて 家に連れ帰ると

温かいシャワーで全身を綺麗に洗い ドライヤーで乾かし
バスタオルに繰るんで 様子をみた

相変わらず震えているが 少しずつ落ち着き

夕方には うたた寝する僕に寄り添って 一緒に眠った



その晩 帰ってきた妻に事情を話し 2人で飼おうと決めた


名前は 拾った日にちなんだ名前にした



猫好きの友人から 猫用ミルクを用意するように アドバイスされ

翌朝 与えると
元気よく飲み干してくれた


その日は
買ったおもちゃに見向きもせず コンビニ袋で夢中になって遊んでいたのが 可愛かった



明々後日から新婚旅行の予定だったが 彼を一人で留守番させる訳にいかず
旅行を諦めようとしていたのだが


その後2日間
問題なく 元気に過ごしている事を聞いた 件の友人が 好意で彼を預かってくれて

僕等は旅行に出発した





3泊4日

旅行から帰り お土産を持って友人宅に行くと 彼は衰弱しきっていた


預けて2日目の夜から 食事をしなくなり
獣医に栄養剤と補水の注射をして貰っていたが 回復できず


再会した時は ほんの僅かに頭を動かし

にぃ…

と短く鳴いただけだった



動かすのはキケンと 友人に託して 帰ったが
その晩の内に

「息を引き取った」

と連絡が入った




キジトラのとても器量好しの 可愛い子だった


最初の晩
僕の腹の上で コクリ コクリと香箱座りで眠る 彼の事を
今も覚えている

MR. RAINDROP



初めて貰ったバレンタインチョコは 中3の時だった



女子部の同級生 Kasさん
ちょっと風変わりと噂の娘だった


子供故に 先入観があり
しかも 公然と渡されたチョコは 好奇の目に曝された



今考えると ああなる事は判っていたのに
実行に移した彼女は 立派な人だ



とは言え その当時にそこまでの思慮は出来ず
囃され 茶化され 散々弄られた




でも 僕は不思議と嫌な気はしなかった


だって 僕自身
初めての経験で 噂通りに風変わりではあったけれど

自分に好意を抱いてくれている人に
興味を持ったからだ




そして そのチョコ





HERSHEY'Sの板チョコ1枚







食べるのが勿体無かった様に 記憶している





包装もなく ただ手渡されたチョコの 包みと銀紙の間に
手紙が差し込まれていた

「Kasです ゆうさんの事が好きです」

たったそれだけ



僕は その手紙に何と返したのか
もう忘れてしまった



それでも
しばらく手紙のやり取りをした記憶がある

彼女の目指している夢や 考え方
意外なことに 自分自身が周りから 疎まれている事を
冷静に 自分なりに分析していたので驚いた



そして ある程度
お互いに語りつくすと 話題に困るようになり始め

いつしか 手紙のやり取りが終わってしまった



僕がそのHERSHEY'Sを食べたのは
その頃だったと思う


実際にどこかへ 一緒に出かけたり
直接話す事もほとんど無いまま

彼女との恋は終わった





その後 彼女は

高校の時に付き合い始めた 僕と同じ姓の先輩と
短大卒業後に結婚した



僕は

もしかしたら 彼女は実は今でも僕のことを?
なんて バカなことを想像してみたが



誰に訊いても

「偶然だよ」

と言われた





んなこと 解ってるよ


結局 初めてのチョコは
ほろ苦く 粉っぽい味だった

疾走るために

日曜日

約2カ月ぶりのバイク

薄暗い倉庫から 引っ張り出してみると
思いのほか 汚れていなかった

こびりついた汚れをスプレーワックスで緩めてマイクロファイバークロスで拭き上げた


陽向だとかなり暖かい


拭き掃除の間だけだが 日光でバイクが温める


どんなもんだろ?


空冷を思わせる程の深いシリンダーフィンに触ってみたが



冷たかった



キーを捻り メインスイッチをONにする
インジケーター類は全て正常に作動した

バッテリーは大丈夫っぽいな


チョークレバーを半分動かし
セルスイッチを入れる

キュキュッと 軽快にセルモーターが回るが エンジンが掛かる様子は無い


まぁ 仕方ない


アクセルを静かに回し ワイヤーの遊びを無くす
チョークをいっぱいに引いて

再度セルを回す



キュボ ボッ…


タイミングを合わせて アクセルを開ける


が 一瞬ズレたらしい
セルをキャンセルした途端に エンジンが止まってしまった



フルチョーク状態で少し長めにクランキングをして
アクセルを ほんの僅かに開くと


リトライ


グズグズと寝ぼけるエンジンを騙して
何とか火が入った



チョークでアイドリングを調整したら
ゆっくりと走り出した



何もかもが 冷え切っている


住宅街を抜け 表通りをしばらく行っても
まだ エンジンすら暖まらない


ゆったりと走るバイクなんて 車から見たら邪魔なだけだ

それでもここは堪えどころ


少し走った所で チョークを戻して エンジンの様子をうかがうと
アイドリングは安定した


でもまだ


オイルが暖まるまでは ゆるゆると進むしか無い




こんな自転車の様なスピードにもかかわらず

交差点を曲がる時
マンホールにのったリアタイヤが

ズッと滑った



勘弁してくれ…


思わずヘルメットの中で唸ってしまった



スタンドまでの往復約10キロ

思ったよりも 身体がちゃんと反応して バイクを動かせているのが嬉しい



給油だけ


そう思い薄着で出てしまったのは失敗だった
もうちょっと乗りたい



満足感は足らないけれど
今年も楽しいバイク始めになった



来月は車検だ

97年式だから 16年目
楽し過ぎる車体に不満は無い


でも もう少しだけ…

はっきりした「これ」っていう物はない

でも同系列の800とか もう少し趣味性の高いツインのバイクに目が行ってしまう



あー 友人宅の倉庫に眠ってるシングルも
今年こそ 車検を受けさせ…

と もう5年言っている


今年も 無事故無検挙で楽しみます

瞬間(TOKI)



あまりにも唐突に でも必ず来るであろう時が

僕のまわりの空気を縛りつけ 僕さえもがんじがらめにする

来ることを知っていても逃れられない 今逃れることが出来ても必ずやってくる

空気は重たく 時はひっそりと

見えていた物は形なく 見えない物はさらに形なく

これまでが夢なのか それとも現実か

これは夢なのか それとも現実か

形ある物は形をなくし 形ない物はさらにまどろむ

あまりにも脆い時間の中の 全ての出来事を

なす術もなく ただ受け止めるだけ

誰にぶつけられる訳でもない 誰かにぶつけられる訳でもない

怒りと落胆 平静と混乱

ただなす術もなく ・・・・・・・・・

                              1988 Aug


話題:散文

経験の唄


風邪をひいた


インフルエンザA型



まぁ たいていどこのSNSでも こう書くと
「大丈夫ですか?」
「早く良くなって下さいね」
「暖かくして 寝てないとダメですよ」
「医者は行きましたか」

などなど
レスポンスがある

実際 僕も知り合いが「風邪」だと知れば そんな風なレスポンスをする



ただこれ

正直 僕的には面倒くさい



一番しんどい時は はっきり言って 記事書くどころか
ログインするのすら 辛い


となると

何かしら アクションを起こした時には
ほぼ 治った時だからだ



なので 僕がレスポンスする側の時は たいてい
「いつから? もう大丈夫なの?」
なんて訊くようにしている



まぁ なかには
心配される 心配するのが好きな人も居る訳で

それはそれ


僕も ネット通信を始めて間もない頃は
話題作りの一環として
天気 病気なんてのを使っていた


便利なのは 事実だ




中学高校の頃なんて
病気や怪我に憧れたりもした


いわゆる厨二病? 違う?
良く解らない


まぁ 健康だからこその 無い物ねだりだったのだろう


逆に この歳になると
調子が悪いのが普通で 元気だと自慢になる




それにしても
久しぶりに 掛かったインフルエンザは

かなり 体力を使わされた



仕事にほとんど影響しなかったのが 良かった


とりあえず 体力回復の様子を見ながら
溜まったオーダーを こなす事にしよう
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