CNNニュースを聴くことを習慣にできればと考えている。
大前研一の著書『下剋上の時代を生き抜く
即戦力の磨き方』に興味深い記述があった。
「受験勉強で終わる日本人の勉強」というサブタイトルが付けられ、"試験のための退屈な知識を
身につけること=勉強"を批判している。
確かに、試験に合格すればそこで満足をしてしまう人も大勢いるだろう。
残念なことに大学合格後の私もその1人に数えられる。大変悔やまれる。
テスト週間にだけ、試験勉強のために図書館利用者が急増していた様子を思い出すと、大前が、"試験と縁が切れたらパタリと勉強をやめる人がほとんど"という主張が的確だとわかる。
試験期間が終われば図書館はガラガラである。
また大前は、散々ペーパーテストで知識を問うても、社会で実践できないと意味がないという内容も述べている。また彼は「この大陸を生き延びるための能力を養うことが勉強」と最終的に説いている。
学生時代に、「こんな紙切れで俺たちを判断するんじゃねぇ」と反発した者を見かけたことがあるが、この意見を真っ向からねじ伏せるのに一旦手をとめてみたくもなる。
知識のインプットは誰でもできる。
知識のアウトプット(実践)から経験を通して、反省・構築のプロセスを踏むことは少ない。
また、同時にアウトプットをする機会があまりないのだろう。
大型の試験は高校受験・大学受験時にやってくる。知識の放出はここで行われる。
英語教育は大抵6年携わることになっているが、はたして英語はしゃべることはできるか?
我々は残念ながら今も明治時代と同じ英語教育を貫いてしまっている。
つまり「英文を読んで内容を理解する」ことだ。グラマーはあっても「スピーカー」がない。
不定詞は「toプラス動詞の原型」で名詞的用法と・・・という文法構造を前面に押し出すことは何十年も前から批判されている。まずは構造は抜きで聞かせる。これが足らなかったのだ。
本来望ましきあり方としては「聞く→話す→書く」という順で言語習得するべきなのだが、日本は全くの逆である。大前はこの逆パターン方式では、英語は全く身に付かないと痛烈に批判している。
現在、私も外国語教員免許取得の過程にいる。
カナダ人教授のもと、ネイティブの授業も履修している。
しかし残念ながら、私はお世辞にも英語が上手にしゃべれるとは言い難いレベルだ。
そして彼のしゃべる内容に毎回食らいつくことに必死なのだ。
思い返せば単語もひたすら書いて覚えた。口を動かすことは稀であった。
もっと早く気づいていれば・・。悔やまれる。
という残念な気持ちから、CNNニュースのサイトを開いたわけだ。
ちなみに冒頭から紹介しているこの著書は40〜50代などの中年層向けのようで、特にビジネスパーソンに読まれることを期待している印象だが、我々のような若年層が読んでも理解できる内容にもなっている。
彼の著書は読むたびに、自分の未熟さが露呈される。
だが、それはいい刺激なのだ。
さて。以下ツイートだ。
話は変わるが、最近時間に追われる感覚にとらわれている。
私は準備に時間をかける人間である。とにかくシナリオを考えるのだ。
だが、準備に時間をとられるだけで終わることもしばしばで、ひと段落がついたとしても何かが物足らないのだ。これはいわゆる完璧主義と呼ばれるようなものとはちょっと違う。
何らかの不安が絡むのだ。無意識の領域なのかもしれないが、そうは思いたくない。
シナリオとは違う状況も常に予測して対応しているが、とにかく満足がないのは事実。
うーー・・む。
「何事も8割」対応でやるべしか・・・。
しばらく自問自答が続きそうだ。
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