「絵、書いてるんでしょ」
「どんなのか見せてよ」
そう聞かれて、言葉に詰まってしまいました。
「どんな絵を描くの」
「本名で描いてるの」
「検索したら絵、見れる?」
初めて会う人に、自分の描いた絵を見せるのは、少しだけ抵抗を感じてしまいます。
絵=本質、趣向と、囚われているようで。
「透世の絵は、皮を一枚剥いだ姿なのね」
昔、篠束ちゃんから言われたことを思い出す。
剥いだ皮、輪切りの肉、瞼の窪みに落ちた影。
そういう人なのかと、思われそうでイヤだった。
引かれそうで、イヤだった。
「絵を描く人って、見せてなんぼじゃないの」
見せるのを躊躇った私に、掛けられた言葉は、とてつもなく苦かった。
見せる相手を選んでいるの、なんて言ったら、この人は怒るかしら。それとも、情けないと笑うかしら。
「見せれるものが、描けたら」
誤魔化した言葉。
怯えていると、悟られはしなかっただろうか。