ツイッターで以下のようなツイートを見た。


かまう/かまわれるの関係は、
甘える/甘えさせるの関係である。

両者が甘えさせることで
自分も甘えているような関係であれば
両者の中で関係は満足度が高くなる。

しかしその間に
子どもという甘えたあす存在ができると
パートナー間の甘えのリソースが
足りなくなる。


という話。

これ、膝を打った。

ハタからみたら強いデカい怖いみたいな
我がパートナーも、
私から見たら、甘えん坊の極みである。

自分の興味のない話は
できるだけしないでほしいけど、
興味のない話をしても聞いてほしい。

自分は他に女を作るけど
私には他に男を作らないでほしい。

有り体に言えば自己中なわけだけど
それは完全にただの甘えだよな。

皮膚接触も好きだし、
そう考えるとマジで甘えん坊である。

こんな甘えたと知ってたら
そもそも付き合わなかっただろう。
今自分で書いててちょっと引いてる。


私がAセク気味で
病んでる時にしか恋人ができないことも
これで理解できた。

そもそも他人に甘えたいと
あまり思わないんだよな。
病んでメンヘラってるときだけ。

精神が健全なときは
どっちかというと鬱陶しいから
あんまりかまわないでほしい。

気質的には私も自己中だけど
他人の許容を求めているというより
他人に嫌われてもいいから欲望に忠実
という感じだと思う。

そもそも他人に好かれたいって思ってない。
人から嫌われたくないとかもあんまりない。


それで2つ前の記事の出来事を思い出した。

あのとき
「狩野さんがちょっと甘えたっぽい仕草したら
めっちゃ男性陣はキュンとすると思うよ」
と言われたわけだけど
「キュンとさせてなんの得があるんですか」
って返した。

「仕事ふるよ!」
と笑いに変えられたけど。

「甘えたいとか思わないの?」
と聞かれてピンとこなかったんだけど
多分マジで甘えたいと思ってないんだわ。

精神が病んだときだけ
誰か支えてくれればいいよ。
まあ現状支えてくれそうな人は思い当たらんが、
そういうのはそのとき調達すればいいし。

去年の秋にストーカートラブルがあった時も
結構動けないレベルで気が滅入ったけど、
仕事仲間が相談先紹介してくれたりして
精神的に支えられたし。


パートナーの勝手も
甘えさせてるという自覚が全くなかった。

多分そんなに興味がないんだよな。

子どもができてから
本当に彼自身に興味がなくなってしまった。

興味があるのは
仕事と子どもと自分が楽しいこと。

パートナーといて楽しいかといえば
別にそんな楽しくもない。
だから父親の役割以外価値を感じないんだけど。

いや、
子どもの話を遠慮なくできるのは楽しいか。
それは役割としての子どもの父親だからな。


彼は自覚はないけど
ひたすら許容を求めている。

私は許容しているというか、
そんなに興味がない。

興味がない話をされても
聞いてほしいんだなって思って
興味ないまま聞いてやるので
これは許容しているというのかも。

あと馬鹿が馬鹿とバカやって、
バカバカしい話をしてるのは
ちょっと可愛い。

私は彼がなに話してても
馬鹿なんだなって思っている節がある。

私は馬鹿が嫌いだし、
その馬鹿を許容している時点で
甘えさせているのかもしれん。


甘えたがりは宗教に頼れと思う。
神や仏はどれだけ甘えてもぶっ壊れないし。

そういえば彼も彼で宗教があったな。
あまり敬虔な教徒とはいえないが。