最近ずっとない頭で考えてる世間様と世代観について。
生まれたらバブルが弾けて、就学すれば教育制度改革の餌食になって、就職しようと思えば不況の煽りを受けて、就職ビジネスの餌食になって、就職できてもゆとり世代と馬鹿にされ、退職したら年金の差額は2000万とかで、ああこれは世代的に圧倒的負け組だわって思うじゃない。
でも、世間様は相変わらず20年も前の好景気の幻影ばかり追っているみたいで、とても間抜けだと思う。
典型所属者という言葉をテレビで聞いた。
正社員で、結婚していて、マイホームとマイカーを所有し、子どもがいる家庭とやら。
私らの親世代の典型。
正社員で終身雇用とかいうぬるま湯に浸かりたくても就職できない。
結婚したくても正社員になれないから結婚できない。
それが氷河期世代。
で、さらに
車は維持費がかかるし興味ない。
マイホームとか築20年の実家の風呂場見たら買う気にならない。
趣味に生きたい。
結婚したくないけど子どもはほしい。
とか言いだすのが私らゆとり世代。
つまり、親世代の幸せなんて自分たちの幸せとまったく違うのだよ。
非典型所属者はどんどん増えていくだろうし、かつその典型所属者になることを目標としてしまうとゆとり世代的には人生が急に無理ゲーになる。
それでも相変わらずバブル崩壊以前の典型を幸せと信じて子に押しつけてくる親世代。
時代が変わって不況であることなんて実感しているはずなのに、理解していない。
心底どうでもいいと思いながら、なんだかんだそれについて考えているということは私はそれに興味津々なんだろうと思う。
それというのは特定の何かではないけど。
私の口から出るのは嘘ばかりで、興味もないわと言い捨てるものほどよく考えていて、
逆にこれが好きだとかこれに興味があるといったことは、意外と「興味もない」「どうでもいい」と言ったことより考えていない。
プラスもマイナスも過大な言葉がつけばつくほど、興味があるのだろう。
でも好悪ばかりはいつも正直に口から出るのだ。
嫌いだから興味がないのではなく、むしろアンチほどそれに詳しいといったような、嫌いだからこそ興味があるのだろう。
つまり面倒臭いメンヘラ構ってちゃんは大嫌いだけれど、私はきっと興味津々なんだろう。
性別は嫌いだけど興味がつきないように。
私は優しいつもりも人間が出来ているつもりも正しいつもりもないが、自分の人間性が欠けているつもりはない。
だから私にとって私以上に興味をそそる対象がないということに反省をしない。
悪いことではないし、むしろ個人的に自己犠牲は害悪だと思っている。
だから、私はただのナルシスト、というよりもはやオナニストでしかない。
自分がよければそれでいいんだ。
自分がよくなるための方法は自分で実行する。
だから、あまり興味のない他人とか結構どうでもいい。
辛かろうと悲しかろうと私には関係ないし、傷つこうとさして構わない。
私は自分が言いたいことを言うだけだし、それで傷つこうと知らない。
傷つけるつもりはないけど、傷つきやすいなら私の近くに来ないでとしか思わない。
見た目からしてきつそうで、言葉尻もきつくて、そんな奴捕まえてメンタル弱いから優しくして!って、傷きたいのかしらって思う。
私のひとりよがりな解釈なのはわかってるから、交遊を断つだけだけれど。
私には他人の感情より自分の発言内容が重要なのだ。
嫌われても構わないから言いたいことを言いたい。
発言を我慢することのほうが私にとって人から嫌われることよりきついのだ。
人に優しくというのは行為の結果であり、優しくしようと思って優しい行動を取ることはあざとい偽善だと思う。
優しさ乞食はそれに気付いたら良いのに。
超嫌い。