話題:メンタル

以前からblogに登場している女性から、一緒に食事した際などにお金を支払って欲しいと言われた。
でも、俺は序のような背景があるので、払うことはないだろう。

お金をいくらかけられたから、大切にされていると思う。大切にされているから嬉しいと思う。私のためにお金を使うなら、破産してもかっこいい人と思う。その時、私はそれぐらいお金を掛けられている価値がある人だと思う。
らしい。

確かに、俺は親に「進学のためにお金をためているから気にせず進学しなさい」と言われた経験がある。その時は、嬉しいと思った。だけど、あとで知ることになるけどそれはむなしい言葉だった。財力と書いてある布をまとっていただけだった。なんて人だろうと親のことを思った。親という地位を守るために、財力があるふりをする。それまでにして、親という地位にしがみついて、この人達は何をしてこれから生きたいと思うのだろうと。
俺はもう親のことなんて見ていないのに、相変わらず親らしいことをして地位に就いていることに酔いしれている。
お金や地位だけでない。物、力の強さももとにして接してくる。もうそんな親(親だけでなく、俺の周囲の人も)なんて無視している。俺はもうそれらよりも大切だと思える自分を見つけてしまった。だから、親やそういう周囲の人の言うことを聞けない。


話がそれてしまった。
その女性に俺は聞きたい。あなた自身はお金がいくらかかったかで量れるほど価値が低いのですか、と。
お金よりもあなたがあなた自身でいる。そのことが、価値があると俺は思える。