私が生まれる前から家には大きな樹があった。祖母も父も母も、その事は知っている。けれどある日、彼等はそんなものはないと言うようになった。私の目の前には変わらずあるのに、彼等にはどうやら見えてはいないようだった。
切った掘ったという話を私は聞いたことがなく、自分の家の庭だ、家の人間が誰も知らないというのはおかしい。だが、あったということは知っているのに、今はもうないと彼等は口を揃えて私に言った。小馬鹿にされていると憤慨した私は、逆に頭の心配をされるようになった。
あれから、20年もの時が過ぎた。この樹は未だに実家の庭にしっかりと根を張っている。家族に何かあったとか、奇怪なことが起きたとか、そう言うことを聞かない辺り悪いものではないのだろうが、昔も今も、見えるのは私だけのようだった。帰ってくるたび、それがあることに安堵する。いや、それが見えることに、だろうか。もしこれが幽霊で(樹が幽霊になるかは知らないが)、私にだけ見えているとしたら。そう考えたこともあったが、私は他にそういった体験をしたこともないし、霊感というものは私には無いように思うので、その線は薄いだろう。
では、これはなんだろう。
1年ぶりに帰ってきた実家の庭で、ひとり樹の前に立つ。枝葉の具合も、幹の様子も、驚くほど変わっていない。生物の成長や代謝といったものが全く感じられない。ああ、やはりこれは、普通の樹では無いのかもしれないと、改めて感じた。
皆が樹など無くなったと言った日から、私はこの樹に触れることを止めていた。無意識に距離を置いていたのかもしれない。下から上に視線を動かし、改めてじっくりと見る。テレビで見る樹齢何百年という樹には劣るだろうが、それでも立派な樹だと思う。しなやかな枝も瑞々しい葉も、贔屓目に見ているとしてもとても美しいと感じる。
久しぶりに幹に触れた。ほんのりと温かい気がする。日中の陽射しの名残だろうか、とても優しい温かさだった。
頭に突然滴が落ちてきて、慌てて上を見上げる。葉に滴が残っていたようで、それが私目掛けて落ちてきたらしい。最近は晴れの日ばかりだったのに、と思いながら滴を拭う。
もう一度幹を見ようとして、信じられないことが起きた。
樹の姿はどこにもなくなっていた。
周りを見回してみても、そこに樹が生えていた跡もなく、雑草だけが生えている。
訳が分からなくてキョロキョロと見て回っていると、兄が昼飯時を告げにやってきた。
樹が無くなった。そう言う私に、兄は呆れたような目を向け、またその話か、とうんざりしたように言った。
私はその顔を見もしないで、ただぼんやりとなにもなくなったその場所を見つめていた。