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抱いたはずが、突き飛ばして。

久しぶりに書いてみたくなりました。最近イライラしたり、上手く行かなかったりすることが多くて。受験ばかりじゃなくて。気がついたら嫌味に聞こえるようなことばっかり言ってたり、自分自身をコントロールできてなかったりすることが多い。それはきっと、勉強での苛立ちとかじゃなくて、もっと根本的なところに原因があるんじゃないかなと思うわけですよ。

他者性、っていうの。他人のことは他人のことなんだから、理解できるはずがないし。寛容であれとか、人の気持ちになれとか言われてるけど、なれるわけないもん。他人なんだから。例えば善意で行ったような行為でも、誰かにとっては不本意だったり傷ついたりすることだったり。でも、それは理由とか言葉で割り切れるものじゃなくて、なんとなくイライラするとか。なんとなく止めてほしいとか、なんとなく嬉しいとか。そういうもんだから、きっと本人でもわかってないような。訳のわかんない感情なんだと思う。

それは言葉にして伝えなきゃならないのはわかってる。伝えようとしない限り、何も伝わらないんでしょう。けど、上手く言葉にならない。言葉にしたら、なにか間違っているような。どうしても「感情そのもの」を形にしてはいないっていうか…。誤解を生まない、語弊を招かないような言い方を探せば探すほど、そのときに抱いた「感情そのもの」っていうのは伝わらない気がして、どうしようもない。

まして、他人。っていうね。そうやって逃げ続けていてもどうしようもないんだけど、なんだかやるせなくなっちゃうなぁーみたいな。

目標を立てるってすごい難しい。

良い目標と、悪い目標がある。自分を生かす目標と、自分をつぶしてしまう目標と。例えば誰かが何かを目指して頑張ってるって言っても、単なる高望みや虚栄心でそれに引きずられて、切羽詰って壊れかけてる人を見るとなんだか切なくなる。丁度、この前まで自分がそうであったように。

「分相応に生きろ」とか「足るを知れ」とか偉そうなことを言うわけじゃないけれど。結果の受け止め方なんて自分次第なんだから、頂上を決めることには慎重にならないといけない。目標という名の「型」にはまろうとするあまり、そのままの「自分らしさ」を失うことになるかもしれない。

……という、ある人の話を自分なりにまとめてみた。あの人が言うから説得力があるわけだけれど、目標設定に際して、特に受験に際して一度は聴いておきたかった言葉。
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