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僕らは発車のベルを鳴り響かせて行かなくちゃ
だから、だけど、僕は桜ノ宮にも行かずに図書館で本を読みあさる。医学の本とか社会の本とか哲学の本とかを読みあさる。読み終わった後に、なんだか不思議な感覚に襲われる。僕って何だ。この名前は親がつけただけで僕ではないし、人間というカテゴリーだって男っていうカテゴリーだって、ただの概念でしかない。社会の枠組みなんてものも、人間が作り上げたものでしかない。その中で何気なく歳をとってる僕って何だ。科学って何だ。芸術って何だ。音楽って何だ。人が作り上げた概念でしかない。病気って何だ。考えるって何だ。生きるって何だ。高校ってなんだ。卒業って何だ。入試って何だ。親って何だ。愛って何だ。数学って何だ。言葉って何だ。
今まで誰もしたことがないような事がしたいなんて言っても、現実的になれだって。淘汰されて平均になれだなんて言われるけど。実際、僕は今、誰かが歩んできた道を歩んでいるんでしょう。事実誰かと同じように、自分だって臓器があって、血が巡ってて。心臓が止まれば、死ぬ。人間っていう、何億のうちの一固体でしかないし。なんか、それも考えてみたらおかしな話じゃないかな。本来無機物である機械が、有機物であるだけで、自分だってつきつめていけばただのマシンなんじゃないかって。病気になったら医者を頼るしかないし、ガンになったら衰弱して死んじゃう。それだけ自分ってのは凡庸な存在なんだなあってボーっと思ってしまう。デカルトの二次元論みたいに、体だけで考えれば。
前、現国のテキストかなんかで読んだ記憶があるんだけど、誰かの考えたものである言葉を使っている以上、その言葉で表現されうるものは誰かの概念の檻の中に閉じ込められたのもであるから、新しいもの、全ての枠を乗り越えたものだなんて存在しないんだって。「言葉の檻」、かなんかの話だった。そんなことを考えてたら、なんか虚しくなってしまう。人間として生まれたからには、その社会の中でやっぱり一人の人間として生きるしかないんだなぁって思って。その証拠に、今自分は誰かの考えたことを考えて、誰かの書いた本に影響されて、誰かの作ったパソコンを使ってこうして当てもなく文章を書いてる。『人は一人じゃ生きていけないじゃん』っていう意見とは、どこか違ってる感じもするけど。
今週はキリスト教の集会には行かなかった。今の自分には、宗教なんて「逃避」にしか見れない。神とか、天国とか、地獄とか。そんなのなくて、ただ「今」があるだけだと、そうとしか思えないから。この世界は誰が作ったとか、なぜこうなったとか、死後はどうなるとか。少なくとも「神」っていう言葉・概念は人間が作ったものでしかないんだから、僕は今はそんなの信じることが出来ないな。科学が進んで、全てが理屈で解決できるようになっても、まだそれでもわからないものがあるとして、それを神格化して神の為せる業として定義してるだけだと思う。だけど、それは逃避でしかないんじゃないかな。目に見えないものを頭の中でカテゴライズして自己解決してるような。(僕は別に宗教を否定するわけじゃないけど)
特別であろうとすればするほどに、自分の中にあるありふれた凡庸さに気づいて嫌になる。どれだけ人を否定しても、どんなに人を受け入れても、結局自分は人間なんだなぁって。この手で何が出来るんだろうって。文字を書いて、ギター弾いて、クロール泳いで、キーを打って、頭を掻いて、手をつないで。凄くおかしな話だけれど、そんな人間の限界をすごく虚しく感じてしまう。欲しいものなら、全て揃ってる。一昔前の人間だったら、お金持ちに憧れて一生懸命になれたりするんだろうけど、現代に生きる僕たちは、それなりのお金があれば、クリック一つでなんだって手に入ってしまう。だから、緊張感もないし、お金を稼いだってその先は見え透いてる。生きて、死ぬ。結局はそれだけなんだ。人生の質なんて考えたって、それなりの生活さえ送ってたら、それなりの満足が得られて笑って死んでいける時代。命のバトンも、その気があれば難なく次世代に渡すことが出来るよ。たぶんね。
こんな若造が人生の、こんなスケールのデカい話をするのは、浅はかだと思う。人生、生き抜いてみないと何が起こるかわからないって、わかる。わかる。わかる、って何だ。実感することとわかるってことは、別のことなんだろうか。単に「わかる」、数学の問題がわかる、といってる人がいても、それが実感を伴った「わかった」である場合って実は少ないと思う。人生の難問と高校の数学の問題を比べる事が間違ってるのかもしれないけど。なんか、冷静になって考えてみると、いろんなことが「わかって」しまう。あの人はこういう人だ、とかいう風に、物事全部に理屈があって、それは落ち着いて考えたら何となく掴めちゃうもので。だとして、達観した見方を身につけてしまうと、こうなってしまう。なんか、虚しい。人恋しいわけでも、大声で泣きたいわけでもない。寂しくない、怖くもないけど、なんか虚しい。それは、自殺を考えるとかそんな感じの虚しさじゃなくて。なんだか冷め切ってる自分を見てると、上に書いたような人間としての限界みたいな。自分だって所詮人間なんだなあとか思ってしまう。自分の目標がまだ見えないだけなのかもしれないけど。
自分は幸せなんだってわかってる。欲しいものがあって、好きなことが出来て、勉強できて。こんなことを考えられて。これ以上、何を求めるというんだろう、って考えると、何だかやりきれない気分になる。何を探して生きていったらいいんだろう。この先、何を信用して、何に夢中になって生きていったらいいんだろう。人間不信なわけじゃない。大好きな友達はいっぱいいるし、みんながいなければ自分も生きていけない。音楽は好きだし、水泳にだって真剣に取り組んでるつもりだよ。勉強も最近は嫌いじゃないし、現役合格を目指してる。学校は好きだ。でも、それを人生っていうスパンで見たときにだけ、やりきれない気持ちになってしまう。大人は「今を過ごして、今に夢中になればいい」だなんて言うけど、それは矛盾してると思う。少なくとも目標があって、それを目指すためにいろいろ計画を立てるのが大事だと、彼らは言う。だけど、人生設計なんて考え出してしまうと…、死ぬっていう話まで設計してしまうと、虚無感に襲われてどうしようもなくなる。それはタブーなのかな。どんな人生を過ごしたいかって考えて、どんな風に死にたいかなんて考えるのは、タブーなのかな。人間、死ぬってことを考えちゃいけないんだろうか。
なんだか、最近毎日が凄く楽しいんだけど、虚しい。矛盾してる?
17歳になって、やけに自分が年老いて感じてしまう。生まれて、幼稚園、小学校、中学校、高校。いろんな思い出がある。いろんな出会いがある。大切な人たちがいる。笑顔と涙で溢れてる。それで十分なはずなのに。
3月にある音楽祭に向けて練習を開始しました。
I got the key to the highway,
病みかけな僕を助けてください←
今日センター試験を受けてみたんですよ!
(駿台の模試みたいなやつ)
数 学 が 出 来 な い !! キャー
何を隠そう私は純粋な文系人間なのです。
わからなさすぎて泣きそうになった←
人一倍の努力はしてるのにねー…
なんで出来ないんだろうか。ぶす
追記は暗い話↓
なんか冷静に見てたらかわゆい。
今日の部活とか本当におもしろかったですね 笑
じつに単純でじつにオモシローイ!
何これ厨二病? 俺 高二で厨二病??
まぁ、いいーんだけどねぇぃ。^^
友達にも言われたけどテンションがおかしいgakです。
ぬはははは。
こんなところでちゃっかりと暴露しますが
実ははかなりかわいいもの好きです^^
決して女々しいとかいう意味じゃなくてね 笑
あああ〜最近ほんに忙しいのらあ〜
はああああ。つかれるつかれるつかれる。
明日はリバティ大阪?に人権学習しに行くらしい。
DAKARA学校は4時間で終わりなんだYO!”
ぬははははは。
ばいびー