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【ブータン旅行記】8日目(パロ→バンコク→帰国)

朝食にクレが出たーっ!\(^O^)/
蕎麦粉のパンケーキ。
実はこれも食べたいとリクエストしてたんですが、食べさせてくれるレストランがないとのことで諦めてたら…。まさか私にこれを食べさせるために欠航したんじゃなかろうな( ̄〜 ̄;)
味はまんま蕎麦風味のパンケーキでした。普通のパンケーキよりも蕎麦色。

そして食堂の下にヤクの剥製(作り物?)があったので、パチリ。
うーん、牛との区別がよくわからない…。角が派手かな?


5時に部屋の前にスーツケースを出しておいたら回収してくれるとの話でしたが、基本的に外人の言うことは信用しないようにしている(日本人の感覚からすると、いい加減やからねぇ)ので自力で5時前にロビーまで運んだら、すでに回収の済んだスーツケースの山が。…やっぱり信用しなくて良かった(^o^;

このホテルは、4代目王様の戴冠式の時に賓客の宿泊のために建てた豪華ホテルらしいんですが…古いだけに設備はあるものの性能がイマイチでした。
電気ストーブはあるけどちっとも部屋がぬくくならなくて。寒いので、部屋がツインだったのでもう片方のベッドからも布団をはぎ取って2枚かけてたけど寒かった…。
ドライヤーがあったのはびっくりしたけど。


3台目か4台目の最終車(ワゴン車とマイクロバスでのピストン輸送だった)で空港着。
また荷物チェックだの出国審査だの。
そして7時。出発時刻を聞いてみたら、天候次第とのこと(T_T)

空港の無料ネットでパロの天気予報を見る。降水確率60%。明日は80%。明後日は晴れると。
私は明後日まで出国できないんでしょうか…。有視界飛行だもんなぁ。
雨季はよく欠航するけど、3月はめったに欠航しないとチェンチョさんは言ってたのに(Тωヽ)

8:15、なんかさっきから晴れてるんだけど…と思ったら、来たーーーーーっ!\(^O^)/私らの乗る飛行機がパロ空港に来たっ(≧▼≦)到着できたーっ!
たかが飛行機が空港に降り立つのを見てこんなに嬉しかったことはない…。あちこちで乗客が拍手や万歳してるよ!
あとは私らの離陸まで天候がもってくれますように!

添乗員さんに聞いたら、欠航証明書は英語で「フライト・キャンセル・ドキュメント」と言うらしい。
あと、バンコクから関空までのタイ航空のチケットは、ドュルク航空が手配してるはずだけど、乗り継ぎのバンコクでタイ航空のカウンターに旧チケットを見せたら手配ができてたらそのまま発券してくれるらしい。

8:45搭乗開始!
欠航証明書はバンコクで受け取れと言われました。

9時離陸。
ブータンを離れがたかった私の気持ちを整理させるための欠航だったかのようだ……と思いながら機内からまた写真。やっぱり山が近いw (添付写真参照)

9:40頃、経由地なインドのバグドグラに着陸。
着陸直前に、自分の乗ってる飛行機の影が地上に映っていて面白かったのでパチリ☆
バグドグラってどこか知らないですが…近っ!大阪と東京くらいの距離ですか?

降りる人達と新たに乗る人達が入れ替わり、10時すぎに再び離陸。


機内で、隣席のインド人がスッチーさんに食ってかかってて、私の英語力じゃ、詳しくはわからなかったですが、どうやら欠航のせいでスケジュールが狂った、どうしてくれる!さらに俺はベジタリアンじゃないのに、機内食がベジタリアン食しか残ってないのはどういうことだ!とか言ってるような気がしました。

そのインド人が一息ついた隙に、私は「欠航証明書ってどこでもらえるの?」と聞いてみたら、スッチーさんは知らないと言って、ちょっと待ってと言って去り、二度と戻ってきませんでした。
ええ、もう、外人スッチーにはよくあることで( -_-)私の英単語会話がよくわからないから逃げたっぽい。

なので、次に他のスッチーさんに、今度はそのへんの紙に「欠航証明書、どこでもらえるの?」と英文で書いて渡したら、ちょっと待ってと言われ、ちゃんと戻ってきて答えてくれました!\(^o^)/

ああ、やっぱり私の壊滅的にブロークンすぎる英単語会話が問題なのかorz
文字にすると、ちゃんと考えて書くから、文法もだいたい合ってるんだと思います。わからない単語は携帯に入ってる簡易和英辞典を頼りになんとかしました。

で、証明書は私のメアドにメールで送ってくれるそうで、ドュルク航空の地上スタッフに言うように言われました。


14時頃(タイ時刻。ブータン時刻だと13時)、着陸。
飛行機から出たすぐのところにタイ航空のスタッフが紙を掲げて待っていて、私の名前を見つけました!

その紙に、私の新たな飛行機の時刻が書いてありました!23:15!
パロ空港のネットで調べたら、関空行きはバンコクを8:30発、11時発、23:15発、00:40発だと知っていたので、パロを離陸した時点で、早くても23:15発だなと予想してましたが、可能な時刻で最早の飛行機になっていて良かったです。9時間もバンコクの空港で待たなきゃいけないけども。
8:30とかだったら、バンコクに泊まらなきゃならないし。

そして、今回はいったんタイに入国して、預けたスーツケースを受け取って、タイ航空に預け直さなければならなかったので、入国しましたが、行きと違って入国審査場はすいてました(^o^;
しかし、出入国カードに書く項目で「宿泊ホテル」という欄があるのですが、別にタイじゃ宿泊しないので空欄にしていたら、入国審査官に「書け!」と横柄に言われて、「荷物を預け直すだけでタイには泊まらない!」と説明しましたが、またも通じない英語で時間がかかりました。
最後には不満そうに審査官が何か宿泊欄に書き込んでましたが。そんな文句言われてもよ〜。


次にドュルク航空の地上スタッフを探しました。
行きにチェックインしたカウンターには予想通りドュルク航空スタッフはおらず(1日に1便か2便くらいしかないみたいなので)、その付近で暇そうにしてる空港職員に聞いたら、無人のドュルク航空のカウンターに連れていかれ、「ここだ」と言われて放置されました。
いや、あの、誰もいないんですが(;^_^A

カウンターに電話番号が書いてあったので、これに電話したらいいのかな?と首をかしげていると、別の空港職員が声をかけてくれて、私の用件を聞いて、ドュルク航空スタッフを呼び出してくれました!

やっぱり今回も筆談のほうが通じましたw
口で説明してもわかってもらえないのに、書き付けを見せたら一発。
後日メールで証明書を送ってくれる約束を取り付けました。
やれやれ。


あとは、タイ航空のチェックイン開始時刻まで空港内をふらふらするだけです。入国したから外に出てもいいですが…暑い(*_*)
とりあえずバンコクまでは着いたことを萩原さんに電話入れました。
海外旅行保険に、飛行機の遅延損害金のがついてて良かった。たったの2万円までですが、遅延に伴う国際電話の料金も補償されるので。(このために欠航証明書をなんとか入手しようとしてました)

【後日の請求書を見たら、国際通話やメールの代金は、総額2585円でした。うーん、小さくはないけれども、この金額のために欠航証明書入手にあんなに苦労したのかと思うと、微妙(^^;)内訳は電話発信料が1725円、着信料が660円、iモードが200円。着信料の存在が結構大きいなぁ】

18時…暇です。
空港内施設案内を見てたら、リラックスルームがあったので、よし、これに行こう!と思ったら、出国審査後エリアにしかありませんでしたorz
スーツケースの受け取りと預け直しさえなければ、今ごろリラックスルームにいれたのにーっ!
タイ航空がチェックインを始める21:15まで出国審査も受けれません…。

3階のショップ街を見ていても、今1バーツが何円なのかがわからなくて(これだけ海外行きまくってるのに、いまだに両替店のレートの見方がわからない←)、1時間380バーツのマッサージって安いのかな?高いのかな?

そして「キン・ラーメン(和食)」と書いてある店を見て、とうとうラーメンは中華ではなく和食になったんだなぁと、ちょっと笑いました(^^)

紙パックの250ml程度のジュースが25バーツ、トム・ヤン・クンが220バーツ、フレッシュココナッツジュースが95バーツ、グァバシェイクが75バーツ。

…60分マッサージが380バーツって、無茶苦茶安いじゃないですか!
【後日クレジットカードの請求書を見たら、1000円しませんでした!】
でも、普通のマッサージだったのが残念です。私はアクロバティックな古式ゆかしいタイマッサージが好きなので。
しかーし、風邪のせいで凝り固まっていた筋肉がほぐされて、少しは楽になりました。

で、そこはかとなく大抵の食事にパクチーが混ざってたブータン生活のおかげで「かなかなはレベルが1上がった!パクチーが食べられるようになった!」です。
相変わらず好きじゃないですけど、1週間前までの「うげぇっ!」という状態から考えると格段の進歩です。

あと、トム・ヤン・クンって、タイ料理の超辛いスープとして有名ですが…エマ・ダツィを知ってしまったあとでは、「唐辛子の破片しか入ってないやん。全部あわせても唐辛子数本分くらい?けっ、エマ・ダツィなんか唐辛子数十本がまるごと入ってるし!」とかw
まぁ、トム・ヤン・クンも辛くて涙目に鼻が凄いことになるわけですが、エマ・ダツィと違って完食可能な辛さですわ。
というわけで、夕飯にトム・ヤン・クンとココナッツジュースを食べましたw
ココナッツはちょっとまだ若くて、果肉が硬くて食べられなかったのが残念。

バンコクの空港はお土産物が充実してますね〜。パロの空港は職場に持って行けるような消えものお土産がなくって、かなり困りました。

というわけで、チェックイン時刻にタイ航空のカウンターに行ったら、もう出発時刻が過ぎてる旧チケットを出したので係員がびっくりしておりましたが、事情を説明したら、手続きがちゃんとできてたようで、すぐに搭乗券がもらえました。

というわけで、無事に翌朝、関空に到着できたのでした。
まさか旅行最後にこんなに印象に残るトラブルに出くわすたぁwww
でも、ほんとにまたブータンは行きたいです。タシガンとかの東ブータンや中央ブータンは行ってないし♪
でも今度はインドから陸路で出入国したいような気分もw


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【ブータン旅行記】7日目(パロ→空港→欠航→パロ)

朝食はホテルのレストランにて。
また、何がいいかとざっくりした聞き方をされたんですが、向こうにあるものを言わせてみたら、トーストと目玉焼き(調理法は今回は聞かれなかった)と…おかゆと、豆スープもありました!これは言えばラーメンもある!?←ねぇよ(^o^;

おかゆは、マスターが日本語で言い直してくれたので理解できました。
豆乳粥みたいな味でしたが、これに蜂蜜を入れて食べるんだと言われて試してみたら…甘い蜂蜜風味のお粥ってビミョーですね〜。むしろ塩か醤油を入れたい味でしたので。

豆スープは、トマトベースの普通の洋式で、美味しかったです。


8:40ホテル発。
あれだね〜。
毎日朝から晩まで、寝る時以外はほぼずーっと一緒にいると、情が移るねぇ。
風邪も移されたけど(爆)やはりもっと早くマスクを押しつけるべきだった…。
ブータン人もマスクをしている人を多少は見かけるんですが、なぜか皆さん真っ黒なマスクなので、最初見た時はびっくりしました。

今までも添乗員だの現地ガイドだのと何日も一緒だったことはありますが、私1人だけに専属ガイドと専属運転手ですから…。まぁ、それだけでなく、タクツァン僧院での多大なる助けとかもあったからでしょうけども。

あと、ブータン人は、基本的にあったかい人が多いですね。ホテルのレストランのマスターすら別れがたい気持ちになりました。
ちょっと日本語喋る気のいいおっちゃんでした。

ガイドや運転手と、お別れの時に涙腺が弛んだのはさすがに初めてです。
いつもはきっぱりと「向こうは仕事、仕事。これっきりの付き合い」と割り切って、添乗員さんに「うちに遊びに来てね」と住所を渡されても、現地ガイドさんにメアドを渡されても、「社交辞令、社交辞令」と割り切って、一切連絡取ろうとはしませんでしたが、今回だけは「またこの人たちに会いたい!」と本気で思いました。

……いつもは1回行った国には2度は行かずに他の行ってない国を優先して行ってたんですが……ブータンは本気でまた行きたいです。
お別れの時にチェンチョさんが「また絶対に会いましょう!」と言ってたけど、おいこら、本気にするぞwww

私の職業内容を以前説明したら、弟さんのレントゲンを診てほしがってまして「レントゲンは苦手だし、そこまで細かくはわからないからCTにしてくれ」と言ったら、さっそくCTを撮ってくれるようにと(ブータンはCTも無料)知り合いの医師に私の目の前で電話かけて頼んでましたw

で、もしCTの診断に困って必要があれば、私のメアドに画像送ってくれたら診るからとメアドを渡しました。いつもの私なら、絶対にそんなことはしません。メアド教えてくれと言われても、ガイドや添乗員とはこれっきりと線を引いちゃいます。社交辞令でも「連絡してね」なんて言わない。
私の持てるスキルを無償で提供してもいいと思えるくらい、お世話になったんですよね〜(^^)

CTと言えば、最初チェンチョさんは「CTは怖いから」と言ってて、何が怖いのかと聞いたら、以前CTで死んだ人がいる……て、んなアホなーっ!
造影剤使ってたなら可能性0ではないけれども、使ってないのにって……それは重症すぎてたまたまCT撮ってる最中に亡くなったってことでは(^^;)
誤解はしっかり解いておきましたw


スーツケースを預けて、これは日本まで行くのか、バンコクでピックアップ(いったんタイに入国して荷物を受け取って預け直す)しなきゃならないのかを聞いてみたら、日本まで行くように手配してくれました。が、本当に日本まで行ってくれるのかは神のみぞ知る…。
とりあえず、またあの大行列のタイの入国審査を受けなくてよさそうでホッとしました。

出国審査後の免税店はとても小さく、お酒、ブランド化粧品、ブランド香水、ブランド時計・アクセサリー、王様バッヂ(王様の写真の入ったバッヂ)、世界中の免税店で見かけるチョコレート…と、あまりブータン産のものはありませんでした。
その横に「スナック」と書かれた小さな店があり、そこに飲み物やおつまみと一緒に、ブータン産のハーブティーや蜂蜜、ジャム、石鹸あたりが少しありましたが、職場のお土産にちょうどいいような大きさのものが見当たらず……。

11時にパロ発の飛行機ですが、待合室にいると、アンケートを書いてくれるように頼まれました。
ブータン旅行のきっかけだの、なにが良かったか悪かったかだの、ブータン旅行の質を改善するための。
ただし全部英語だったので、わからないとこは「英語わからん」と英語で書き、質問の意味はわかるけど選択肢の意味がわからんときは、空いてるスペースにローマ字で書き込みましたw
学歴も聞かれたんだけど、大学院って英語で何?(;^_^A
【今調べてみたら、graduate schoolなのかな?】


で、すでに11:15なわけだが、出発どころか搭乗すら始まりません。
遅延してますね〜。
何かアナウンスがされてますが、英語なのでさっぱり…。タイでの乗り継ぎに間に合いますように。

11時半…何回かアナウンスはされてましたが、相変わらず聞き取れないので、そのへんのスタッフらしき人にきいてみました。
2時間遅れで13時出発になったそうですorz

12:20、カップ麺の無料サービスが始まりました。
いや、添乗員付きのJTB日本人団体客(中年から老年の人ばかりでした)の声が聞こえてきて知ったんですが。
私は、まだお腹すいてないし、いいや。

ミネラルウォーターのサービスも始まりました。て、もう13時なんですがっ!
何時になったら搭乗開始するの!?

14時半…まだ飛行機が来ません。滑走路を見ても1機も無い。さすがにお腹がすいてきました。
乗り継ぎ、もう間に合わないことを覚悟したほうが良さそうかもです。
はぁ、携帯でこの長文旅行記を書き終わっちゃったよ。充電器の充電が切れたら終わりだから、ちょっと携帯切りますか。

15:15…サンドイッチと春巻1/2とコーヒー牛乳が配給されました。
何故春巻…。
乗り継ぎどうすれば…と空港スタッフに言ったら、乗り継ぎ予定便の情報を書類に書くように言われました。どうやらドュルク航空が予約の取り直しをしてくれるらしい。
書類はもちろん英語でしたが、一部を除いてわからないところはなかったので、なんとか書けました。出入国カードと項目が似てたのでw
でも英語がわからなくて空欄にしたところは、どうやら私の目的地(関空)を書くところだったらしく、空港職員が書いてくれました。

なんでも、飛行機がカルカッタから飛ばない?カルカッタからは50分くらいでパロに着くらしいが…。
とりあえず、ブータン人な空港職員はやはり親切で、私の通じない英語をなんとか理解しようとしてくれる。欧米人じゃこうはいかないので、有難い。

16時半、空港の無料ネット(2台あるが、通信速度が無茶苦茶遅い!そのせいで行列が……)を見たらカルカッタは晴れ。なのになんで?とJTBの添乗員さんに何となく話し掛けたら、パロ空港が曇ってるのが問題で、パロに着陸できないから緊急にカルカッタに着陸しているだけとのこと。

ああ、昨日山火事があったのは知ってたけど、それで曇って欠航するたぁ…。農家のおじさんの不注意の山火事だそうです。軍が消火に向かってましたが。


パロ空港は17時半までしか使えない(レーダーとかなくて視認飛行だから)とのことで、どうやら欠航しそうらしい。
欠航が確定したのかどうか聞いても私の英語力ではよくわからないので、荷物チェックの係員が暇そうだったので聞いてみたら、私の名前を聞かれたので、なんで?と思ったら、次にガイドの名前を聞かれ、チェンチョと言ったら、どうやらガイド仲間(単なる知り合い?)なのか、チェンチョさんに電話をかけてくれた。チェンチョって名前、多いらしいのに、なんで一発でわかった!?

電話の向こうでチェンチョさんが「電話来ると思った」と言っていて、「萩原さん(私が申し込んだ旅行代理店「株式会社PINK」の担当さん)も心配していた」と。
フライトがスケジュール通り行ったかどうか、日本で確認してくれてるんだ!?凄い!

チェンチョさんによると、欠航したら、ドュルク航空がホテルを確保して、航空機の予約の取り直しをしてくれるらしい。支払いもドュルク航空がするらしいが、添乗員さんが自分のお客に「3万円くらい持ってますか?」と確認してるのが聞こえてきたので、いったんは自分で払わないといけないのかな?

欠航が決定したら、チェンチョさんは来れないけど、代わりにチェンチョさんの友達のガイドさんをよこしてくれるらしい。まあ、ドュルク航空がどうにかしてくれるっぽいけど、それは心強い。

と、書くために17時に携帯を起動したら、不在着信が。東京の番号ということは、ひょっとして萩原さんか?

添乗員さんが自分のお客に「飛行機は一応カルカッタを飛び立ったから、17時半の天候によるけれど、まだ希望はあるから17時半まで待って」と言ってるのが聞こえる。

ほんまに英語が不自由だと、日本人観光客がどこに行ってもいることには、情報収集的に感謝せざるを得ない(^o^;普段はちょっとウザイと思ってるんだけど。←私も日本人観光客の1人のくせにw

デリー行きが欠航だとアナウンスが入った!私の英語力でもわかった。
私のバンコク行きはどうなの!?
頼むから運航できますように(>人<)

バンコクに行きさえしたら、1日3便大阪行きが出てる(ネットで確認した)のでどうにか明日中に帰国できる。私は1人だから、新たな座席確保は団体より融通がきくはず。
やっぱり死に物狂いで引越荷造り終わらせてくるんだったorz
木曜のバイト、念のため休みとっといて良かった。

デリー行きのお客達が出ていって、待合室が寂しくなった。


17時半。JTBの添乗員さんが私に話しかけてきた!え、誰かJTBのお客と間違えてる!?と思ったら、「同じ日本人じゃないですか(^^)」と!感動した……。

どうやら欠航決定らしいけども、アナウンスを待っている、と。
ドュルク航空が明日臨時便を飛ばしてくれるそうです。ホテルも食事もドュルク航空持ち。ホテルはお客が多いから、分散されるだろう、と。ドュルク航空が用意したバスに乗ればOKと。
有難い情報をいただきました。ありがとう、親切な添乗員さんm(__)m
添乗員さんは、自分のお客の搭乗券を集めていました。どうやら手続きに必要らしいです。
アナウンス、まだかなぁ。

17:45。アナウンスがないまま添乗員さんに言われて出入国審査場を逆流。
飛行機はカルカッタに引き返したそうです。乗客も大変ね。

さっきチェンチョさんに電話してくれた親切なおしさんが、また電話や誘導をしてくれました。ドゥルク航空カウンターでの手続きとかも係員に言ってくれて、さらに荷物までホテル行きワゴン車まで運んでくれて…。
有難いんですが、貴方、誰!?まるで私のガイドのようです(^o^;

写真のが、カウンターでもらった欠航乗客証明みたいの。これをホテルで見せたら無料で宿泊できるそうです。


ホテルについた。オラタンホテル。また添乗員さんと会った。「同じホテルでしたね〜。ここ、いいホテルですよ」と。そうなのか〜。

しかし、部屋は本館から遠く離れたコテージだった…。
さっきの東京からの着信に電話してみたら、やっぱり萩原さんだった!
日本時間は今22時頃だというのに、ご親切にも情報収集してくれている、と。
日本の誰かに連絡したほうが良いなら連絡するけども、とも言ってくれた!
え、こんなサポート(?)がしっかりした会社だったなんて……PINK
普通この時間は営業時間外でしょ!?連絡取りたくても緊急番号すら設定されてない旅行会社も多いのよ!
……たまたまとはいえ、この会社に申し込んだ私がラッキーすぎる。

チェンチョさんにも電話して、部屋番号を伝えた。
さて、私はこれからどうしたらいいの?
明日の飛行機は何時なの?
夕飯は?朝食は?この机の上のポットの水は、日本人でも飲めるの?
とか悩んでたら、19時半、停電。
ぜーんぶ電気消えた。浜松エアパークで買った太陽電池のLEDライトが役に立つ時が!自衛隊、ありがとう(違)

電気ストーブも消えたから、寒いなぁ。手持ちのカイロが尽きたら、凍死できるなぁ。
隣の部屋の外人が、停電に慌てて、壁を叩いて私に話し掛けてきた。
こっちも停電してるよ〜と壁越しに伝えたら、安心したようだ。
ブータンは停電が多いってガイドブックにも書いてあるやん。


チェンチョさんが来た!ティンプーからパロまでの暗い道が怖いからと言って奥さん同伴でw
チェンチョさんは「今朝別れた時、また会えると思ってた!でもこんなに早くまた会えるとは思ってなかった」と大笑い。私も大笑いw
シャラップさんは、私のツアーのあとはお休みだと聞いてたのに、急きょ別の仕事が入ったとかで、もうティンプーでもパロでもないとこに発ってしまったそうです。ちょっと残念。

チェンチョさんが、机の上のろうそくを点けてくれた……て、ろうそくがあることに全く気付いてなかったし、気づいててもインテリアだと思ってただろう私orz
そうか、停電の時のためのろうそくだったのか。

皆、もう夕飯食べてるよと言われた。…誰か教えてよーっ!知らなかったよ。
懐中電灯持参のチェンチョさんに連れられてレストランに行き、蝋燭の光の中、食事。バイキングだけど、ろくに見えないw
何回か停電が数秒直ってはまた停電になった。

チェンチョさんや萩原さんが頑張って連絡あちこちにしまくってくれて、明日は5時半にチェックアウトして6時にホテル発に決まったと教えてくれた。
レストランで4時半から朝食も始まるらしい。

今晩は停電でお湯も出ないからお風呂はやめておこう。
もう、笑うしかないから、私は明るく元気いっぱいで、萩原さんがびっくりしていたw

ドュルク航空は貧乏なのに、今回の費用は全部持ってくれるそうです、チェンチョさんによると。
やっぱり観光に力入れてる国だからかな?
以前他国で欠航を経験した人の話では、ホテルとか飛行機の予約取り直しとか全部自分でやらされたみたいなことをかつて聞いたので、私はたぶんラッキーなんだと思います。

そして、チェンチョさんの話でやっと、あの空港での親切なおじさんの正体が!
飛行機が遅延の時点で、チェンチョさんは空港内の友達に私を探すように頼んでくれてたそうです(ガイドは空港内に入ってはいけないので)。
でも探しても見つからなかったそうで。
私、ずっと待合室にいたけどな(;^_^Aどんな探し方…w

だから私の名前聞いて、チェンチョさんのことも知ってたんだなぁ。
チェンチョさんは、遅延の時点で私が連絡してくると思ってたそうで。
いや、欠航じゃなきゃ、わざわざ手をわずらわせることもないかな〜、乗り継ぎできなかったらドュルク航空の人が予約取り直してくれるって言ってたし。

そして、チェンチョさんの風邪は奥さんにもシャラップさんにも伝染していたことが判明…をい(^o^;
あ、チェンチョさんが帰ったあと、電気ついた。21時。
いやぁ、明るい室内っていいですね!物にぶつからないですむし。やっぱり早く原発動かしましょう!



8日目に続く。


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【ブータン旅行記】6日目(ティンプー→パロ)

朝食は、ホットミルクをかけたチョコレートシリアル、トースト、目玉焼き、紅茶。見事に外国人向け。

今日の出発は9時半なので(郵便局とかが開くのは9時…とブータンで表示されていると、実際はだいたい9時半頃になるそうです。時間にルーズ)、朝食後にティンプーの街ウォッチング。いろんな学校の制服のキラやゴを着た子供達が通ってました。手にはお弁当と水筒入りの竹籠を持って。

ところで、チェンチョさんが「タクツァン僧院に行った日はドツォに入ったほうがいい。そうしたら脚も腰も痛くならない」と言ってて、薬草浮かせたただの風呂にそこまでの効果があるわけないと思ってましたが…あの疲労困憊っぷりの久々の運動だったというのに、いまだに筋肉痛が全くきてないんですがっ!
これは凄い。我が身で体験しつつも全く信じられませんw(°0°)w


そういえば昨日は3.11でしたが、私の行ったチャンガンカ・ラカンですが、午前中には王様達も来られての日本に向けてのお祈り(復興祈願?鎮魂?)をしてくださっていたそうです。
本当に、半端ない親日国なブータン…これからも良き友人でいてほしいものです。

昨日のチャンガンカ・ラカンでは、ついに勇気を振り絞って(?)、チェンチョさんにマスクを押し付けましたが、今日も同じマスクをしてたので、「それ、使い捨てだから。1日1回は新しいのに替えたほうがいい」と言って、手持ちのマスクをあげました。
ブータンじゃマスクする人がほとんどいないので、入手困難なのだろうと思います。

最初は息苦しいからと嫌がってる感じがしたので、「マスクしてるほうが喉の保湿になって楽になるよ」と教えてあげたら、「全然知りませんでした!埃をガードするだけかと思ってました」と言って、それからはちゃんとマスクをしてくれました。
ブータン人の医療知識って、本当に低いなぁ。

この頃から、私はチェンチョさんと喋っている時でも、わかる範囲で英単語を使うようにしてました。そのほうがチェンチョさんに正確に伝わるし、シャラップさんも何の話をしてるのかわかって、退屈が多少マシになってそうな感じでしたので。


今日は自力でキラを着てみました。なんとなく着れたと思いましたが、チェンチョさんに会ったら、だぶつき部分の引っ張りが足りないと言われました。
キラの右端にだぶつき部分の一部を潜らせるくらい引っ張らないと綺麗な着方ではないそうです。

あと、ワンジュとテュゴも、何故か妙に皺になってたんですが、ブローチやピンで止める位置が悪かったようです。
今日はホテルの女性スタッフが直してくれました。
さすがは本職(?)で、華麗に直してくれました(´∀`)


さて、まず最初は中央郵便局に行きました。エアメールを出したり(日本までは20ニュルタム…約40円。日本の国内じゃハガキ50円なのにね〜)、ブータンの有名な珍しい切手なんかを買いました。
十二支の切手とかもありました♪

ブータン近隣のネパールだのバングラデシュだのの国旗絵の切手とか…著作権とか大丈夫なんですか、他国の国旗絵て(^o^;

どうせなら日本の国旗切手も作ってほしいなぁ……と思ったら、ブータンと日の丸の両方が角に入った切手もありました!
どうやら日本のブータンに対する技術指導とかの写真の切手のようです。
ちょっと嬉しい(^O^)

有名なCD切手も1枚買ってみました。8cmCDに王様の写真が印刷されてるのは王様についてのお話、動植物が印刷されてるのはブータンの動植物のお話が録音されているそうです。たぶんゾンカ語だと思うので、聞いてもわからないから、見た目で選びました。

この切手はどうやって郵便物に貼るのかと聞いてみたら、チェンチョさんは爽やかに「使えないね☆コレクションして楽しむだけ」とw
使えない切手を作る郵便局♪ま、CDとしては使えますが、切手としての存在意義は(笑)というか、単なるCDを、何が何でも切手だと言い張るわけですな、ブータン人はwww

あと、その場でインスタント切手も作成できます。
自分の顔写真の切手が!
背景は王様&お妃様と、仏教画が選べます。もはやプリクラ切手。
20ニュルタムと10ニュルタムと15ニュルタムのが各4枚ずつで、1シート180ニュルタム。

ただ、残念なのは、やたら顔が真っ黄色になってしまったこと。
プリンターの性能の問題か…。いくら黄色人種でも、これじゃ黄疸だよ!な真っ黄色w


次は伝統医療院。
膝が痛い人が温蒸気で膝を温めていたり、鍼の部屋があったり、普通の診察室があったりしました。
薬はいわゆる漢方薬といいますか、ブータンの薬草や鉱石で作ったものが処方されていました。

マニ車もあちこちにあって、たくさんの患者がお祈りしていました。
しかし最近は効きがゆっくりな伝統医療よりも、西洋医療の病院のほうが患者が多いそうです。

写真不可な薬草の展示スペースもありました。
どれが何の植物なのか鉱石なのか、英語なので基本的にさっぱりわからなかったですが、効能に関しての英語はある程度わかったので、結構楽しめました。
ブータンの国花である青いケシは、骨折に効くのだそうです。あと滑膜の液体貯留にも効くと書いてあったので、関節炎に効くってことかな?


次は伝統美術(工芸)学校。
ブータンの伝統刺繍や仏像彫刻、機織り、仏画などを教える学校で、寮もあります。
基本的に6年制らしいですが、優秀だと飛び級もあります。
緻密な仏画やその他工芸品を作る練習をする学生達を見学できます。観光客だらけでしたので、人気観光ポイントなのだと思います。
入口入ってすぐの広場に、例の「仲良しの絵」のフィギュア……じゃないや、三次元立体像がっ!

会釈するとニッコリ笑顔を返してくれるブータン人学生が多かったです。年齢的には小学生高学年から高校生くらい?

日本人留学生にも会いました。
仏画コースにいて、私が日本人とわかるやいなや、凄い勢いで喋り始めました。私やチェンチョさんのように、日本語で会話できる相手に飢えていたようです。
飛び級してるくらい優秀らしいので、もう少しの辛抱だと思うから、頑張ってほしいものです。

そして、キラを着てたためか、私は、ブータン人にブータン人だと間違えられましたw


次は民族博物館。打って変わって、こちらは私以外の観光客はいませんでした。美術学校から近いのに。

何代目だったかの王妃様が、このままではブータンの伝統建築や生活様式が消えてしまうと懸念して作ったそうです。

石を重しにした板の屋根や、最上階のわざと壁を作らないようにして風を通し、屋根が吹き飛ばされないように工夫した建築が再現されていました。
水車の力で粉を曳く装置や、牛の餌を作る鍋、石臼、杵と臼、穀物貯蔵庫、ヤクの角でできた酒器、竹籠、刀、着物掛け…皮の袋。

あの〜、ブータンは殺生は…?と聞いたら、またも「これはチベットで作られたものだから大丈夫☆」と。
ほんと、ブータンの殺生禁止って、ご都合主義よねw


このあと、近くで昼食。
インド風味な焼きそば、ご飯、チリ肉?、野菜煮、ポテトのカリカリ煮?でした。


その後、民族舞踊と伝統音楽の鑑賞をしました。
本来はツェチュ(ブータンのお祭り)じゃないと見れない舞踊等のダイジェストが見れます。
野外の芝生の上がステージでした。

お客が多い時期なら無料で見れるらしいですが、今はシーズンオフで常設ではやってないとのこと。
他に見たいとお金を払っている人がいたら便乗して無料で見れるらしいですが、運悪くいなかったので、日本円にして8000円くらい(100ドルだったので円高バンザイ)を払って見ました。
やっとここまで来たのに見ないで帰るのももったいないので。

ガルーダや獅子や龍なんかのお面をつけてダイナミックに踊るのは、本当に体力がいりそうでした。

最初は歓迎の歌と踊りから始まりました。伝統的に、どんな時であっても歓迎の時にはこれを歌い踊るそうです。

次は、ツェチュ系踊り。…どうすれば携帯動画(iモーション)をネットに載せられますか?orz
ツェチュの歌やダンスは、神様がどうやって魔物を退治したか等を伝える内容なんだそうです。
このダンサーは、学歴の低い人達がよくなるそうです。

今度は王妃様の踊り?チェンチョさんの日本語は結構怪しいので、女神様あたりと間違えてそうな気がする…。
ブータンの伝統楽器のギターみたいなのを弾く仕草をしています。

またツェチュ系踊り。
勇壮です。息切れしてるのがわかります(;^_^A

標高4000mくらいに住むヤクを飼って生活しているラヤッパという民族(ブータンは多民族の集合体)の衣装での踊り。

ブータンの東北地方のブロクパという民族の衣装での踊り。

鶴の歌と踊り。

最後は輪になって盆踊りのような。
なんか参加しろと言われたので混ざってきました(´∀`)
手振りもステップもそんなに難しくはなかったですが、綺麗には踊れてない自信があります☆

しかし一番印象に残ったのは、ヤンチェンという琴?木琴みたいに棒で弦を叩きます。
3弦が1セットみたいで、ちゃんと弾けばドレミファソラシドの音階になっていました。
ちょっと棒の角度が悪いと、聞いたことのない妙な音がしましたが。
きちんと弾くと、とても澄み渡った響きの美しい楽器でした。天上の調べとかいうやつですか?(≧ω≦)


ところで、このステージが始まるまでがちょっと暇だったんですが、シャラップさんが楽しそうに遊んでたので何かと思ったら、小石で落ちてた枝を削って遊んでました。
面白い?と聞いたら、本当に楽しそうに「very interesting!」と。
…いかん、むっちゃ可愛い(≧▽≦) 

今どき、日本じゃ田舎の子供でもやるかどうか怪しいような遊び(?)で無邪気に楽しそうな27歳w
中卒のなせる業なのか!?(≧▼≦)
(すべてチェンチョさん情報wチェンチョさんは高卒らしい。ブータンには大学はわずかしかないので。さらにチェンチョさんの頃は、確か大学がなかったとか言ってはりまして、大学に行きたかったらインドに留学するしかなかったそうです。でも何を聞いてもちゃんと答えてくれるから、物知りだわ。ガイドになるには高卒以上じゃないとダメっぽい?)

私、あんまり三次元萌えはしないんだけどな(*/ω\*)
そういや、そのへんの草を手に持って嬉しそうに揺らしてたり、そのへんの犬猫をつついて遊んでたりしたな、この人。
あー、純朴ってこういうのを言うんだなぁ。゜+。(*′∇`)。+゜

ちなみに、チェンチョさんの趣味がボディービルだということは散々聞かされたので、シャラップさんの趣味をある日思い立って聞いてみたら、困ったような顔をして、「特に無い」と言ってはりました。
でも、横からチェンチョさんが「音楽聴くの、好きだよな」と助け舟(?)を出してはりました(^^)

ツアー中は、ホテル泊の時とか、ガイドさんとドライバーさんは同室で一緒に泊まるとか言ってたので、本気で1日中ずっと一緒だから、良くも悪くも深い付き合いになるんでしょうねぇ。

しかし私の見たところ、シャラップさんは興奇心旺盛で(チェンチョさんのiPadを貸してもらった時、むっちゃ嬉しそうに遊んでました。チェンチョさんはタイでそれを買ったと言ってましたが、シャラップさんは外国に行ったこともないし、どうやらiPadもとても買えないような感じで、ガイドと運転手って、それだけ給与に差があるんだなぁ、と)、なんでも楽しむ人だと思うので、趣味は無いというより、この世のすべてが趣味とかそんな感じに見えます。特定のこだわりがないだけでっ!


次は織物工場。本当は織物博物館に行く予定だったんですが、改装中でしたので代わりに。
工場も部分改装中で、本当は10人以上の織り手がいるはずなのに、6人くらいでした。

手織りの複雑な模様のキラなんかは高価で、1枚で20万円くらいしたりするようですが、織るのに1年とかかかるらしいので、さもありなん。
チェンチョさんは結婚式の時にここで衣装を買ったそうです。


このあと、街の機械織りのお店に連れて行ってもらいました。手織りは高すぎて、とても手が出ないので(^^;)
でも、機械織りのキラは、インド製が大半らしいです。

この店への案内は、「機械織りの店はシャラップが知ってるから」と、なぜかシャラップさんでした。ガイドさんでも知らない店があるんだ\(◎o◎)/!
最初、風邪でしんどいからシャラップさんに頼んだのかと思いきや……。

駐車場から店に行く途中、映画館がありまして、シャラップさんがそれを指して何か言いました。
何度も聞き直して、やっと「シネマ」と言ってることが聞き取れました……て、「シネマ」すら聞き取れない私の耳よorz
「こっちね」だけシャラップさんは日本語喋ったんですが、もっと勉強して日本語ペラペラになってください……と他力本願な私←

店では、最初にここがキラコーナーだと示された場所のを見ると、紐がついてませんでして、紐つきキラは別コーナーでした。
紐無しが売ってるってことは、自分で後で好きな紐を付けたりするんでしょうか?……と聞ける英語力があればなぁーっ!(T_T)

ここのは、まぁまぁ、勿論お土産にするにはやや高価ながらも、手が出ないことはないお値段でした(´∀`)


ティンプーからパロへの移動。

移動途中、パロ川とティンプー川が合流する橋の上でちょっと休憩。合流地点にチョルテンが3つ並んでまして、向かって左からネパール式、チベット式、ブータン式でした。

…って、西岡さんのも3代目王様のも、メモリアルチョルテン、チベット式で作られてるじゃないですか!
なんで?と聞いたら、見栄えがいいからだそうです。いいんですか、ブータン式を王様自らないがしろにして(^o^;


公務員の給料は安いと聞きましたが、実際いくらくらいなのかと聞いてみたら、350ドルくらいだそうです。3万5千円くらいか。……その割には物価、高すぎじゃないですかっ!?
で、民間人の家の家賃は、給料の60%くらいだそうですが、公務員は15%くらいですむそうです。民間人の給料レベルは聞きそびれましたが。


ブータンの(ゾンカ語でなくて)各出身村の言葉には、文字が存在せず(だからメモの習慣がなく、ブータン人は忘れっぽいらしいw)、ゾンカ語の文字は難しいので、手紙等の文字は皆英語を使っているそうです。文字が簡単だから、と、英語が選ばれたんだそうです。

そっか〜、それで皆、英語が母国語のようになって流暢なんですね。
ブータン人は中卒でも英語ペラペラなのに、日本人は大卒でもごく一部の人しかできないのは、圧倒的に英語の使用頻度が違ったからなんですね。

ゾンカ語には単語が足りないので、ゾンカ語を喋っていても、該当ゾンカ語がない部分は英語を使っていました。日本みたいに日本語翻訳しないんですね。まあ、日本でも外来語をそのまま使うこともありますけども。


またもホテルはガンテ・パレス(ブータン初日に泊まったホテル)。
部屋はこないだとは違いました。

そしてトイレがとても見晴らし良く……て、丸見えやんか、外からーっ!!(写真参照)ブータン人の思考がわからない(^^;)

もちろんカーテンひいて使用しましたとも。


夕飯はご飯、野菜煮、ケワ・ダツィ(唐辛子の代わりにジャガイモがメインだが唐辛子もそれなりに入っている)、肉煮、魚煮。

喉が痛くてもチェンチョさんはエマ・ダツィ食べてました。ブータン人、どんだけ好きなの(^o^;味覚障害なんじゃなかろうか……と思いつつ、チェンチョさんが日本に仕事で来た時の話(ブータン旅行のPRに行ってたらしい)を聞いてたら、日本食は一部を除いておいしく食べれたらしいので、味覚は大丈夫らしい。

配膳の前に、ホテルのレストランのマスターに、3人での写真を撮ってもらいました。


最初見たときは「田吾作!?」と思ってしまったゴも、すっかり見慣れておりました。

チェンチョさんだけでなく、シャラップさんともも少し喋りたいけども、英語がわからないと言ったら、ちょこちょこ話しかけてくれるようになりました……が、やっぱり言語が障害でorz
ああ、どうやったらこんな人が育つのか、生育環境を聞いてみたかったのにーっ!



7日目に続く。


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【ブータン旅行記】5日目(ウォンディ・フォダン→ティンプー )

朝食はトースト(ブータンの食パンは日本の半分くらいの大きさが標準?でもその分薄くてパリパリで、私としてはこっちのほうが好きかもです)、卵料理(今日はスクランブルにしてみた…が、ケチャップが欲しい(Тωヽ))、紅茶(どうやらブータンにはストレートとミルクしかない模様。私はレモン派なんですが)、バナナ(日本のより小さいけど、味は同じ)、りんごジュースでした。
これも外国人向けですね。

しかし、卵料理をどうするか(目玉焼きとか)聞きにきたウェイトレスの態度がイマイチで、なんだかな〜と思ってましたが、食事を終えてレストランを出るときに「ごちそうさまでした」と思い切り日本語で言ったら、ニコニコしてたので、おそらく英語が通じない日本人に苛立ってあんな態度になった模様(^o^;

部屋を出る時に、昨晩の夕食でのミネラルウォーター代40ニュルタムを請求されました。
1リットルのミネラルウォーターで約80円か…。


8時半出発なので、朝食後30分くらいキラと格闘してみたけれども、見てわかったつもりでも、いざやってみたら覚えてないものですねぇ。
車のとこにいったらシャラップさんがいたので、チェンチョさんが来るまで着方を教わってました。

最初に「キラの着方教えて」と伝えたら(言語というより身振りで(^^;))、シャラップさんが困ったような顔をしたのでどうしたのかと思ったら、向こうの喋った英語のうち理解できた内容と様子を総合して推測するに、シャラップさんは、私は今日もキラを着たかったのに来てくれなかったから着れなかったじゃないか!と言ってるように受け取ったらしい。
いやそうじゃない、単に日本に帰国しても自力で着れるように着方を覚えたいだけだと何とか伝えたら、やっといつもの笑顔に戻ってくれました。
この人、いつも楽しそうにニコニコしてるのが良いんだよなぁ(^^)

ホテルの駐車場で他のツアーのガイドさんやドライバーさんも見てる中、シャラップさんは照れながら自分でも着てみせてくれました。キラは女性用なので、スカートの着方を男性が実演するようなもので(//∀//)すみません、恥じらいっぷりに萌えました(笑)
いやもう、あれだね。日本人も「恥じらい」を取り戻すべきですねwこんなに萌え力が強いとはっ!(≧▽≦)


《ハーフキラの着方》(添付写真参照)
1:左腰にキラの左端をあてて、固定します。裾は足首が隠れるくらいの位置に。

2:キラの右端を背中側をくぐらせ、お腹側、また背中側と、1回転半体に巻き付け、キラの右端を右腰で固定します。するとキラがだぶつきます。

3:そのだぶついた布を左方向に帆を張るように軽く引っ張って整えます。

4:だぶついて左方向に引っ張って伸ばした部分を左腰か左前腰あたりの位置で谷折りにし、お腹側にかぶせます。つまりお腹側は布が3枚重なった状態になります。背中側は布が2枚の重なり。

5:キラの両端についている紐をお腹側に回して一回しっかりと結び、そのまま背中側に回してまたお腹側まで持ってきて、きっちり縛ります。だぶつき部分もずり落ちないようにしっかりと紐で縛ります。

これで完成。

あとは先に着ていたワンジュの裾も綺麗にキラの中にたくしこんで、上からテュゴを羽織って袖をワンジュごと折り返し、前をピンやブローチで留めて出来上がり。


さて、出発。
以前、専用車でなく路線バスでブータンを回りたいと言ったお客さんがいたとのことで、チェンチョさんがその話をしてくれました。

たとえばティンプー(西ブータン)からブムタン(中央ブータン)まで長距離バスに乗ると、190ニュルタムくらいで、タクシーだと4000ニュルタムくらいかかるそうです。

バスは時刻通りに来るそうです。
ティンプーからプナカまでだと、4時間くらいかかります。トイレ休憩とか色々あるので。

そしてこういう長距離バス用のホテルもあって、途中宿泊しながら行きますが、ホテルが満室の時は、あぶれた人はバス内(とても寒い!)で寝るそうです。
(日本の夜行バスと違って、夜は休むんですね。街灯少なそうだし、クネクネ道路で危なそうだしなぁ)


以前はバスは車自体が少なかったので、週1便しかなかったそうですが、今は毎日運行しています。
こっちのバスは、いわゆるマイクロバスで、日本のより小さいです。

以前はインド製の車だったので、座席が硬くて大変だったそうですが、今は高価いけども日本製の柔らかい座席の車になって良かった、と。

最初にブータンに舗装道路を作ったのはインドで、それまでは未舗装の細い道だったのでティンプーからインド国境まで2日間かかってたのが、今は5時間で行けるそうです。


ところで、こんな何も途中にない道なのに、道端で野菜を売ってるところがありました。
シャラップさんが車を停めて買いに行ってました。今晩はティンプーの自宅に泊まるから、ついでだそうです。

ほうれん草を買ったといいつつ、パクチーの臭いもしました。
そういえばブータンでの料理には、結構普通にしれっとパクチーが入ってるので、嫌だなぁと思いつつも食べてたら、だいぶ慣れてきました。パクチーの濃度はタイほど濃くないですし。

道には牛なんかもいて、崖下の村から登ってきてるそうです。


ブータン人の名前は、ファーストネームだけで、名字がないそうです。
チェンチョという名前には意味はないけれど、シャラップというのは「知恵」という意味だそうです。

ブータン人の名前にはあまり種類がないので、チェンチョさんも学校で同じクラスに3人チェンチョさんがいたので、チェンチョ1、チェンチョ2とか、チェンチョA、チェンチョBとか呼ばれていたそうです。
名前はお坊さんにつけてもらいます。

ブータンでは、目上の人の名前を呼ぶのは失礼に当たるので、目上の人のことは「お兄さん」「おばさん」「おじいさん」等と呼ぶそうです。日本のような「さん」「様」みたいな敬称はないとのこと。

それでか!チェンチョさんがシャラップさんを「シャラップ!」と呼んでるシーンはたくさん見ましたが、シャラップさんがチェンチョさんを呼んでるシーンで「チェンチョ」と聞いた覚えがないと思ってたら……。


ドチュラ峠に着きました。10時くらい。
今日はブータン1高い山(7500m)がちゃんと見えます。そのまわりの布引山脈は7200mくらいだそうです。
横にたなびく雲かと思いきや、冠雪した布引形の山脈で、一部にちょっとだけ上に突き出たところがあり、そこが霊峰の未踏峰のブータン1高い山。

峠の展望エリアに、いつものごとく野良犬がいました。
ブータンの動物は、人間が何も攻撃しないので、全く人間を怖がることなく、寄ってきたりします。
寝てるのに近づいても逃げようともしません。
うーん、動物と共存していて、動物愛護団体な人には理想郷でしょうね〜(´∀`)
狂犬病さえなけりゃなぁ。

この峠にもちょっとした建物があり、この回りを時計回りに回るとご利益があるそうで……結構長い1周でした。


ティンプーにつき、まずは3代目王様のメモリアルチョルテンへ。

でかいっ!西岡さんのチョルテンの3倍はあるかな?
1代目や2代目の王様のチョルテンはブムタン地方にあって、もっと小さいそうです。

このチョルテンの周りを時計回りに3周すると、願い事が叶うそうです。回ってる人がいっぱいいました。

このチョルテンに向かって五体投地するための板が地面の上に置かれてました。
このチョルテンの庭には鳩がたくさんいました。
あと、3周する体力のない老人はマニ車をひたすら回してました。

チョルテン備え付けの大きなマニ車も回せない人達は、ハンディタイプのマニ車を回してました。見た目は、子供をあやすガラガラを振っているような図w


次はタシチョ・ゾンへ。
普通のゾンは県庁と寺院と裁判所を合わせた施設ですが、ここのは首都だけあって、王様のオフィスと寺院でした。


王様がゾン内にいるときは、ゾン内の見学はできないそうです。でもゾン内にいないのに、警備が厳しく、荷物チェック、金属チェックがありました。

ゾン内は他のゾンとたいして変わらない造りでした。ちょっと大きいだけで。
ゾンの前にピンクの花の木があって、てっきり桜だと思ったら、梅だそうです。

ゾンに行く途中に、外務省や国会が右手に見えるんですが、大きくて立派です。
で、その外務省とかの隣に、2階建てのこじんまりした建物があり、それが王様の宮殿でした。…ほんとに質素で小さいΣ( ̄□ ̄;)
宮殿は写真撮影不可で、見やすいところに近寄るのも禁止でした。
遠景。赤丸がゾン、黄丸が王様の宮殿、矢印が外務省等。


そして野菜市場へ。

露店が並んでるだけのプナカのとは比べものにならない大きさで、2階建ての広い建物にぎっしり野菜売り場、果物売り場、乾物(ガチガチに干した魚とか)売り場、米売り場なんかがありました。
ハエも牛もいませんでした。

やっぱり主にインドからの輸入品だそうですが、ブータン産のも少しはありました。
ヤクの乳のチーズがここでも売ってたので、ひとかけトライしてみました。
触っても硬いけども、口に入れても硬いっ!石みたい。

最初はナチュラルチーズ系の味が口内に広がったものの、すぐに何の味もしなくなり、石を食べてるような感じでした。
チェンチョさんもシャラップさんも、美味しくないから好きじゃないそうですwうん、確かに硬いだけで美味しくないw
30分経ってもろくに溶けてくれなかったので、諦めてポイしました( -_-)

この野菜市場でも、シャラップさんがおうちに買って帰る野菜漁りに消えてしまい、車のところでチェンチョさんと待ってたのですが、あまりに暇だったので、無意味にチェンチョさんでも撮ってみました(爆)

シャラップさんは11人きょうだいの末っ子で、高齢のお母さんと、あとはいとこと、計3人で暮らしているそうです、チェンチョさんによれば。
なんか、仕事とはいえ、何日もおうちから引き離してごめんねという気分にもちょっとなりました(^^;)


昼食は、バイキング。
ですが、私がプタ(ソバ粉のスパゲティ)とヒュンテ(ソバ粉の皮の餃子みたいの。具は乾燥したカブの葉やエゴマの実だそうです)を食べてみたいと言ったので、チェンチョさんがレストランに頼んで、バイキングメニューに加えてくれました(´∀`)

お味のほうはといえば、プタのほうは、昔長野で買ったソバパスタと似たような味でした。ただ、プタは麺を数cmごとに切ってあるので、マカロニのようなショートパスタを食べている気分でした。

ヒュンテも、無難な味で、ソバ粉皮の野菜餃子な感じでした。
あとは、いつもの赤米、カボチャ煮物、じゃがいものチーズ煮、エマ・ダツィ、ひき肉のトマトソース煮でした。

デザートにバナナが出ましたが、やっぱり日本のより小さいです。


次はドゥプトプ尼僧院。
尼さんは男のお坊さんに比べて圧倒的に少なく、この尼僧院には30人くらいしか尼さんがいないそうです。

ここの駐車場に停まってた車の窓際に、アクセサリーよろしくソーラーマニ車が回ってた時にゃあwww太陽光発電で勝手に回るミニ・マニ車だそうです。楽ちんだから最近流行してるそうです。……ブータン人よ(^^;)

ここに祭られているのは、ブータンとチベットにあわせて108の橋をかけたと言われる男性僧で、鎖の橋が有名らしいです。
ここの敷地では、マニ車の製作もしていて、絵に色をつけている作業を見れました。
それから、マニ車の中に入っている紙もみました。マニ車内には、大量のお経が詰め込まれています。
お経は非常に小さい字で、ぎっしり書かれていました。

チェンチョさんは生まれ変わりを信じていて、今のこの祭っている人の生まれ変わりもちゃんと認定されているそうです。

どうやってこの人の生まれ変わりと判断するのかと聞いたら、この人のと他人の持ち物を2歳児に見せたら、この人の持ち物だけを自分の持ち物だと正確に選びとれるんだそうです。

ちなみにチベットの高僧の生まれ変わりがブータンで発見されたこともあり、生まれ変わる場所はどこになるかわからないそうです。


次はターキン放牧場。
世界中でブータンにしかいない珍獣で、本来は標高3500mくらいのところに生息しているのですが、角を漢方薬にするためにチベットから中国人が入り込んで乱獲するので、保護区を作って放牧しています。

なんか、もっさりしていて可愛いなぁ…顔でかい、てか、鼻でかい。とか思っていたら、結構気の荒い動物らしいです。
ターキン用の餌が置かれてましたが、なんとかいう草だか葉っぱだかも食べるそうです。

ヤギのヒゲだの、○○の△△だの、牛、馬、羊……いろんな動物のミックスみたいな見た目の動物ですが、別に品種改良で合成したわけではなく、昔からターキンはこの姿なんだそうです。


次はチャンガンカ・ラカンという寺。特に子供の健康を守ってくれると考えられていて、ティンプー市民は毎月子供を連れてくるとか。

ここの観音様は世界で唯一座り姿で(観音様は立ち姿と決まっているそうです)、彫り師が間違えたとのことで、発注した貴族か何かが怒って、壊して作り直せ!と言ったら、この観音像自らがしゃべって「私はこのままでいいです。でもよそに行きます」と言ってブータンのこの地に自ら飛んできたそうです。うーん、お伽噺(´∀`)


他のティンプーの見所は、今日はお休みとのことで、明日回しになりました。
ホテル・ペリンに着くと、ロビーでちょっとお茶をしたあと、チェンチョさんやシャラップさんはティンプーの自宅に戻っていきました。

このホテル……4人部屋なんですがっ!

ずーっとツインの部屋ではありましたが、まさかダブルベッド2つの4人部屋に通される日が来るとは……。

このホテルからちょっと行ったところに、有名な「交通整理の交差点」というのがありまして……。ブータンには信号機が1つも無いです。
かつて設置されたことがあるそうですが、ブータン人の気質に合わなかったとかで、撤去されて、結局お巡りさんが車をさばくことになったとか。

ホテル前にあるスイス・ベーカリー(とっても美味しいらしい)と、そのへんの建物にも王様とお妃様の写真がっ!

時計塔広場にも行ってみました。

本屋にも行ってみて、ブータンの写真集の薄くて軽いのはないかと聞いてみたけれども、でかくて重いの(5000円くらいした!)しかなくて、結局お土産用の写真集は、お土産屋さんでゲットしました。
ブータンって、あんまり物価安くない……というか、日本より高いかもです、本は特に。

とまぁ、一人で街をちょっとぶらついてホテルに戻ったら…部屋の鍵が閉まらない。ま、ブータンは治安が相当良いので、ドア前に重めの椅子を置いて開けにくくしてそれでよしとしました。


このホテルは一度に使えるお湯量のタンクが見えるので、湯の残量を気にしながらお風呂に。寒いし。
湯がいくらでも出る日本て本当に良いなぁ。

そんでもって、ユニットバスなのにシャワーカーテンが存在しないとかorz
床が水浸しになりましたよ、ええ。


ホテルの夕飯はコーンスープ…コーンが固くて豆かと思った。あとはご飯、パスタ、肉の煮込み、野菜煮込み、野菜サラダ、魚フライ、マッシュルームのチーズ煮…と外国人向けでした。

ブータンに来て、初めて1人での食事でした。
今までは、義務としてチェンチョさんが一緒に食べてて、シャラップさんも気が向いたら一緒に食べていたので(シャラップさんは厨房で賄い食を食べてるほうが多かったみたいです)。

おかげで、英語が相変わらずさっぱりな私は、ここのレストランで微妙に苦労を(^^;)
いつもはチェンチョさんが私の希望をきいて通訳してくれてたもんで。

そしてここで飲み物を注文させられ(どこでも注文はさせられてた)、ウェイターがお釣りを持ってなかったので、翌日お釣りを払うと言ってましたが、結局翌日になっても返ってきませんでした(--;)
ブータン人、悪気はないけど、基本的にいい加減だからなぁ……。




6日目に続く。


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【ブータン旅行記】4日目(パロ〜プナカ〜ウォンディフォダン ) 

朝はブータン人らしいエマ・ダツィとご飯と茹で卵。
朝から辛いわっ!

チェンチョさんに聞いても、シャラップさんに聞いても「3食エマ・ダツィとご飯だけが普通」と。飽きないそうです。私はもう飽きたwそりゃ、体は温まるのですけども。


ホームステイで同じ家に泊まってた関係で、チェンチョさんが、洋服の上(寒いから)にゴを肩に羽織っただけの姿で登場。「ゴを着るの、難しいね」と言いながら、ご飯食べてる私の前で着付けショー(?)が始まりました…いったい何なの、この状況www

で、私にも、キラを着るかと聞かれたので、お願いすることにしたら、着付けはシャラップさんがやってくれるそうで(^o^;え、あの、この家の27歳のお姉さんがまたやってくれるんじゃなく!?

私は寒いから黒い長袖下着も着てたので、タートルネックカットソーも脱いだほうがいいのか?スカートはどうすれば?と、どこまで脱げばいいのか首をかしげる私(尋ねるだけの英語力が無いw)に、シャラップさんが「寒い、からね」とだけ日本語喋りました!Σ( ̄□ ̄;)
押し留める手振りで、上着だけ脱いで、カットソーもスカートも着たままで良いとわかり、その上から着付けました(´∀`)うん、それで丁度いいくらい寒かったです。

ホストファミリーの夫婦が、私のキラ姿を「綺麗」だと誉めてくれたそうです、チェンチョさんの通訳によれば。


で、7時すぎには出発。プナカに行く途中の道路が工事中で、決まった時間帯しか通れないとのこと。
車中で、色々とブータン文化のお話を聞きました。

ブータンの山の木は基本的に自然林で、山火事等で焼失したところだけ、植林しているそうです。杉やら松やら色々と.

道端に片腕を差し出す学生が結構いて、何かと思ったら、通学のためのヒッチハイクだそうです。
基本は徒歩で片道7〜8km歩いて通っているそうですが、乗せてもらえるなら乗せてもらいたいんですね。

しばらく車で走ると、真っ黄色のスクールバスが。
あの学生達は、このスクールバスの停留所まで乗せて欲しがっていたそうです。確かにスクールバスに乗れるまでが相当遠い…。も少しあちこち回ってあげなよ、スクールバス(^^;)

ブータンはキノコの宝庫で、松茸や椎茸、シメジなんかよりもっとおいしいキノコがたくさんあるとか。
キノコは7月がシーズンで、松茸は8月がシーズンだそう。

ブータンの山には金(きん)が結構埋まってるそうですが、王様の方針で、将来国民が食うに困った時のために、敢えて採掘しないで残してあるそうです。

4代目国王(福島に来てたのは5代目。今4代目は引退中)は、3代目の急逝で、16歳で王位を継いだそうですが、引き継ぎが全くできなかったのにも関わらず、王制を立憲君主制に自ら変えたり、とにかく素晴らしい施政を次々敷いたので、ブータン人は皆、王様が大好きだそうです。5代目も4代目の方針を踏襲しているそうです。

いいなぁ…名君の専制政治って最高だよね。でも、民主主義に移行したのは良くなかったかもです。日本みたいな衆愚政治になりかねない…と思ったら、天皇陛下と違って、政治の最終決定権は王様にあるそうです。それなら安心(´∀`)


9時すぎにティンプーに到着。ブータンの首都。
ブータンにしては都会(人口10万人)なので、高い建物が多いけれども、地震対策で、6階以上の建物は建ててはいけないそうです。

車窓から、シムトカ・ゾンを見学。
過去の要塞だったんですが、ここのお伽噺として、魔物が石に逃げこんだので、その上に封印的に建てたんだそうです(^O^)

あと、建築中の「世界一大きい仏像」も車窓から見物…この距離で肉眼でわかるくらいなので確かに大きいが、金ぴかw


車中でチェンチョさんからブータンの結婚事情についてのお話がw
チェンチョさんは5代目の王様と同じ日に結婚したんだそうです。今36歳だそうだから、35歳の時かな?ブータンではかなり遅い部類の結婚だそうです。こんなにイケメン(たぶん。……私、三次元男性の顔の美醜が良くわからない(^^;))なのにΣ( ̄□ ̄;)

あ、ボディービルに夢中で結婚が遅れたとか?と思ったら、ブータンではとても離婚が多くて、子供が1〜2人いたら、離婚理由が妻にあっても旦那が養育費として給料の20%も払わないといけない…子供がもっといたら給料の40%とか払わないといけないというのが怖くて、結婚になかなか踏み切れなかったそうです。(最近は、離婚理由になったほうが払うように決まったとか)

【後日日本で、バイト先上司に「ブータンって意外に離婚多いんですって〜」と話したら、「幸せの国なのに!?あ、簡単に離婚できるから幸せなのかもしれないなぁ」と返されまして、上司よ、何があったんだw】

でもブータンの離婚理由は、お酒の飲みすぎが一番多いので、チェンチョさんはお酒はあまり飲まないから、大丈夫そうかな?とやっと結婚したとか。
ブータン人はお酒の飲みすぎで体を壊す人が多いそうです。


ティンプーからプナカ方面に向かうチェックポイントに到着。
チェックポイントの事務所に入域許可証を提出に向かうチェンチョさん。
手続き自体はあっという間でした。ガイドさんだけがカウンターに行けばよく、旅行客は車あたりで待機でOK。許可証もビザ取得の時に旅行会社が取得してくれてました。許可証は見た目はビザと同じでした。

外国人は、ブータン内の地域移動には全て事前の許可証が必要なので、移動のたびにこういうポイントでチェックされます。宿泊地域や旅行地域を当日の気分で変更しようとしてもダメ。ただし、同じ地域内での宿泊先ホテル変更なんかはOKです。

このポイントのあたりは、戦争からダライ・ラマとともに逃げてきたチベット人の居住区となっているそう。顔つきがブータン人とは少し違います。

その露店で、ヤク(という動物)の乳のチーズが売ってました。とてもかたくて、飴のように食べるんだとか。
あとは、リンゴもたくさん売ってました。チベット人が作っているそうです。


ドチュラ峠(標高3100m)に到着。晴れわたっていれば見えるはずのブータン1高い山は雲で見えず。残念。

ここにある公衆トイレは汚いしトイレットペーパーもないしドアは閉まらないし水も流れない…。
トイレットペーパーは、車中に常備してるらしく、私が持参のを取り出す前にシャラップさんが渡してくれたので、それを持ってトイレに行きました。


ここを出発したらすぐに工事のところに到着。9時半前に着いてしまいましたが、開通するのは10時なので、しばし休憩。車外で休憩するインド人をよく見かけました。

このあたりはしゃくなげや木蓮がいっぱい咲くそうです。
あと、やっぱり水車なマニ車もありました。

それにしても、パロとティンプーの間の道路は、国王の戴冠式があったから、外国からのお客を迎えるために整備されてて比較的広めで滑らかな道路でしたが、ティンプーをすぎてからというもの、ガタガタの道路ばかり。しかも1車線で、なんとか車がすれ違える程度。

山道でカーブの連続だし(酔い止め飲んでなかったら間違いなく酔ってた)、片側は崖で、ガードレールらしきものは所々にしかなく、対向車とすれ違うたびに怖かったです…。
ブータンの運転手という職業は、運転技術がラリー車並みに高くないとやってられないらしいです。それでも時々転落事故が起こるとか。 


ウォンディ・フォダンに到着。11時半くらいでしたが…暑いっ!
ウォンディ・フォダンは標高が1300mくらいなので、亜熱帯気候です。ドチュラ峠じゃダウンコートに手袋でしたが、ここじゃコートなんて、手袋なんてっ!半袖の人もいたくらいです。

ブータンは基本的に乾燥してますが、ここは湿度がそれなりにあります。
大きな川(プナツァン)がど真ん中を悠々と流れてますし。
サボテンも生えてたり。
先日のお風呂に浮いてたらしい草も生えてて、日本でも生えてるそうです。


ブータン名物(?)棚田。
リンチェンガン村。昔、ゾンの建設のために移住してきたインド人達の村だとかで、非常に古いそうです。


まずはウォンディ・フォダン・ゾンへ。
ここは壁以外は改装中でした。
なので、制作中の浮き彫りや窓枠の作業を見られて、これはこれで得した気分(^O^)

ちなみにブータンの建物は、最近はセメントなんかも増えてきてますが、基本は土と木で壁を作るので、朽ちても自然に還るだけでゴミにならないそうです。
そんな素敵観念があるわりには、河原や空き地にゴミのポイ捨てが結構目立ってましたが( -_-)

ブータンの大工は、大半が出稼ぎインド人で、ブータン伝統建築の時くらいしかブータン人大工は出てこないそうです。


昼食は、赤米と、クレープと、カリフラワー、マッシュルーム、鶏肉…と、外国人向けの辛くないものばかりでした。
チェンチョさんとシャラップさんは、見るからに真っ赤な料理を食べてまして、ちょっとだけ味見させてもらったら…やっぱりむちゃくちゃ辛いっ!

チェンチョさんに色々ブータンの話を聞いてたんですが、日本語なのでシャラップさんがすっごく退屈そうにしてました。
逆にチェンチョさんとシャラップさんが話してるときにはゾンカ語なので、私が退屈ですがw
チェンチョさんもシャラップさんも英語はできるから、私さえ英語ができたら、3人一緒にお喋りできたんですけどね〜(´Д`)


ブータンの医療事情。
健康診断の習慣がなく、皆症状が出てから病院に行くので、手遅れのことが多い。
尿管結石で死人が出るとか、日本じゃ考えられないです…。

重病だとブータンではお手上げなので、そういう患者は皆インドに運ばれるけど、ブータン内では医療は無料ですが、インドに搬送されるお金がない人も多い。

つい最近までは、皆、病気になったらお坊さんにお祈りしてもらっていた。それでも治らなかったら(それで治ることがあるの!?(^o^;それで治るなんて、精神的な病気くらいじゃ…)、薬草中心の伝統医療を受けていたけども、西洋医学に比べて効きが遅いので、今は皆西洋医学の病院に行くようになったそうです。

ブータンでは医者は高収入を見込めるけども、とても忙しいそうです。
ブータンで医者になろうと思うと、ブータンの大学に行ったあとにインドに最低5年間は留学して、試験に合格しないといけないそうです。


王様の話。今の5代目の王様は、今までの王様と違って、小学校からずっと、庶民と同じ学校に通っていたそうです。大学だけはイギリスに留学したけれども。
そして、庶民の声を直接聞くために、宮殿に呼んだり、自ら地方に出向いたりして、困り事がないか直接情報収集しているそうです。

チェンチョさんも、ツアーガイドとしてと、ボディービル選手としての2回王様に呼ばれたことがあって、ツアーガイドとしての困り事としては、外国人向けの料理を作れる料理人が少ないことだったので、それを言ったら、料理人を海外留学させて、料理人のレベルが上がって、ツアー客の満足度も上がったそうです。
ボディービルのほうは激励されたそうです。

でも、王様の質問に答えるだけで、庶民からは質問してはいけないので、宮殿内が暑いこともあり、王様の話し方がゆっくりなせいもあり、自分が質問されてないときは、つい居眠りしてしまったりするそうですw
過去には携帯をいじっていた人もいたらしく、さすがにそれ以降は携帯の宮殿内持ち込みは禁止になったそうです。

写真は王様専属カメラマンがいて、王様に会えた時の写真は、そのカメラマンが撮って後日送ってくれるので、カメラの持ち込みも禁止だそうです。

チェンチョさんは、私の前は、おばちゃんグループのガイドをしたそうですが、事もあろうにそのグループは「王様に会わせて欲しい」「王様に会いたい」と無理を言っていたそうです。身の程をわきまえろ!
王様に手紙を書いてきたとかで、仕方ないので手紙だけは政府の人に一応渡したけれども、王様が読んだかどうかはわからない、と。

なんという恥ずかしい日本人か!と情けなくなりました。王様なんて、名君であればあるほど超多忙なのに、しょうもないことで王様に時間をさかせようとするなんて(怒)

そういえば、私がブータンに行くと同僚に言ったら、皆口を揃えて「王様に会いに行くの?」と言われました。そんな簡単に会えるわけがないし、自分が会えるほどの立派な人物なのかを考えろ!とその時も思いましたが…日教組教育の弊害ですかね。

王様は、地方では敢えて貧しい人の家に泊まり、中から見ないとわからない問題を知ろうとしたり、農業なんかもとりあえず体験してみて、どれくらいしんどいものなのかを理解しようとしてはるそうです。
でも売名目的じゃないので、ニュースにも載らないから、あまり知られていないとか。

ヤクを飼って生活しているのは、標高4000m以上くらいのところに住む人達ですが、電気も水道もない貧しい暮らしなので、王様が自ら出かけていって(このあたりは道もないので徒歩でキャンプしながら片道1週間とかかかるそうです)、もう少し低地に住んで農業をしてはどうか、と、土地を与えたりしたそうです。
ただ、その人達は、厳しい生活でも、昔から慣れた生活のほうがいいと言って、相変わらずヤクの放牧で生活しているそうです。

さらに王様は、国のお金は将来のためになるべく使わないように心がけていらっしゃるとかで、宮殿も、庶民の家よりちょっと大きい程度だそうです。

車も、外国にプレゼントされたものに乗っているだけで、ボロくなったからそろそろ新しいのを…と側近が言っても、「このままでいい」と、国のお金には極力手をつけないようにしているそうです。

学校の視察や、村の子供なんかともなるべく直接話すようにしてらっしゃるとか。
庶民を宮殿に呼ぶために1週間に1回3時間程度、時間を取っているそうです。
それやこれやでとても多忙。

王様は常に国民のことばかり考えていて、自分のことを考えてらっしゃらないそうです。
だから国民は王様を大好きで、尊敬しているそうです。(でも居眠りはするんだw)
チェンチョさんは、王様に「もし自分が王様に生まれなかったら、ツアーガイドになりたかった。いろんな人に会えるし」と羨ましがられたそうです。


いいなぁ、こんな王様が日本にもいたらなぁ…と一瞬思ってしまったのですが、うちの天皇陛下もこの王様と同じくらい質素な生活しながら、常に国民のことを考えてられて、激務をこなしてらっしゃるじゃないか!Σ( ̄□ ̄;)
真っ赤な教育と、報道しない自由のせいで、うっかり失念してましたorz

この王様の話を聞いていると、日本も天皇陛下が統治してくだされば良いのに、と主張する人の気持ちも少しはわかりました。
(私個人としては、ただでさえ激務の天皇陛下にこれ以上仕事を増やす気か!?と、あまり賛成できないと思ってましたが)


さて、長話のあとは、プナカ・ゾンを見学するためにプナカに移動。

途中で、野菜市場も見ましたが、売っている野菜はインドから輸入したものばかりだそうです。

ドマ(噛みタバコ)の実も見ましたが、黄色い実よりも、飛びかうハエのほうが強烈でした…。

ここで野菜を買うと、重量は昔ながらの天秤で測定してました。

市場内にも犬や牛がうろうろしていて、ほんとにブータンはどこにでも普通に犬や牛がそのへんにいるなぁと思ってたら、市場の売れ残りをもらうために、どうやら牛達も市場のある曜日を覚えて、勝手に通ってきてるらしいですw


途中、ダーツをやっている風景も見ましたが…私の知ってるダーツとスケールが違いました。
よくバーとかにあるお洒落なダーツではなくて、矢自体も一回りか二回りくらい大きく、的は小さくて遠い。アーチェリー並みの距離がありました。
的に命中したら、歌って踊るんだそうです(^O^)
かなり遠いのに小さすぎる的www


プナツァンは、流れの緩やかな女川と、流れの激しい男川とが合流して1本の川になっているのですが、その合流地点にあるのがプナカ・ゾンでした。

明るい青の男川、やや黒い女川が合わさって、落ち着いた青になってまして、それらの川の色と、白砂のコントラストがかなり綺麗でした。

プナツァンの川辺には砂がたくさん堆積するので、それをトラックでティンプーまで運んで、建築材料に使ったりしているそうです。
今はティンプーとプナカは2時間半くらいかかりますが、今、山にトンネルを掘っていて、それが完成したら、30分で行けるようになるそうです。

プナカ・ゾンは洪水で数年前に流されて再建されました。
上流の湖が年々巨大化してきていて、氷河が溶ける時期になると危ないそうです。

エンジ色の屋根と、白い壁が綺麗です。
橋を渡って目の前にすると、かなり大きいです。
野良犬がまた堂々と寝そべってるしw

このゾンは、どんなゾンにしようかとアイデアに困っていた大工さんが、夢の中で、これこれこういうゾンにしなさいと、あご髭の老人にお告げを受けて、起きても細部までどんな建築だったか覚えていたので、その通りに作ったそうです。
ゾン内の寺院には、あご髭の神様も祭られていました。(ゾンは基本的に県庁で裁判所で寺院も併設されてたりするようです)

ゾンから出てきたら、煌びやかなゴやキラを着た人たちがずらっと並んでいて、何かと思ったらシンガポールのテレビドラマの撮影でした。
ブータンの王様役やお妃様役の役者さん達も準備中w


16時くらいにはウォンディ・フォダンのホテルに着きました(ウォンディ・フォダンとプナカは車で30分くらい)。
プナツァンチュ・コテージというホテルですが、暖かい地方なので、ベランダでお茶もできるようになってました(ただしオートロックなので、ベランダに出る時は扉に何かはさんでおかないとベランダに取り残されるという恐ろしい仕様(^^;))。
海沿いならぬ、川沿いのリゾートホテルでした。

しかし、蚊がいるとのことで、蚊取り器具かな?と思った白い平たい円筒状の物体が、タコ足配線用延長コードだったなんて…日本人としては見てもわかりませんでした(;^_^A(添付写真)


夕飯は、スープと、赤米、野菜の煮物、豆とチーズの煮物(なのにやっぱり唐辛子入り)、肉の煮物、じゃがいもの煮物、デミグラスソース系のマカロニ。
え、マカロニ?まさかブータンでパスタに出会うとは!外国人向けですね(´∀`)

チェンチョさんが、「お客さんが少なくて嬉しい」というから何かと思ったら、今はシーズンじゃないのでお客が少ないから、部屋が余ってるからホテルの部屋に泊まれる、と。繁忙期だと、部屋が満室なので、お客は部屋に泊めて、ガイドさん達は寝袋で車中泊になったりするそうです。

そしてチェンチョさんが風邪をひきました。頼むから、こっちむいて咳をしないでほしい…というか、マスクしてくださいーっ(T_T)
自衛のために、手持ちの龍角散の喉飴を差し上げました。
咳、止まってくれたらいいなぁ…私、すぐに風邪もらうからorz

そしてこのホテルも、シャワーのお湯が十数分で出なくなりました(;_;)何時間でも熱いお湯が出る日本って本当に素晴らしい国だなぁ。
水道水も飲めるし!うがいの最後にミネラルウォーターで口の中を洗わなくていい日本バンザイ\(^O^)/

貰ったキラ一式が入ってたビニール袋も、ちょっと触っただけで、ざらついてて貧弱そうで、質が悪いのがすぐわかりましたし。
日本は、スーパーのビニール袋やゴミ袋に至るまで、ほんとに質がいいです……と、外国のを使うとよくわかります。




5日目に続く。


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