はい、暗黒の中学生時代の続きです!
まだまだ暗黒は続きます。

2年生になりました。中学の中でこの時がたぶん一番辛くて、学校に行きたくなさすぎて泣きわめいていたw

クラス替えがあり、ひとりだけだけど部活メイトがクラスメイトになり、1年生の時仲良くなった友達も同じクラスになり、やったーと思ってました。
Tも同じクラスだったけどwwwwww

部活では顧問が代わり、そして後輩がたくさんできました。その後輩たち、すっげー強いスポ少チームから来た子ばかりですっげー上手いんです。すでに初心者に追い抜かされてる私なんて、勝ち目がすでにないレベル。
そして私、体力皆無。母曰く根性がない、とのことだったけど、甲状腺の病気も関係してたと思う。常にしんどいもん。

そして、すごく好きな先輩(女の)ができて、恋をしたように毎日ウキウキしてましたwカッコよくてプレイも上手で、憧れでした。I先輩I先輩♪って毎日のように言ってました。キモいくらい←

1学期のある日、席替えで最悪なことがありました。
隣がTになったのです。1年の終わりから2年のこの時期にかけて収まりつつあった私への暴言も、この時から再開しました。Tの前が部活メイトのAちゃんだったのがまだ救い。

Tはクラスでも問題児で、私以外の人へも暴言、男子には暴力もありました。そんな奴でも、何故か人気者でした。自分が気に入った人にはすり寄り、私のようなウザイやつにはすぐ暴言。

部活メイトAちゃんには優しく、私には容赦なくしねしね言ってきました。
その頃私はTに、エイプと呼ばれていました。当時意味が分からなかったんですが、原人?みたいな感じですか?そんなあだ名をつけられていました。
Tはそのあだ名をNや後輩に広め、私は男子後輩にもエイプさんと呼ばれていました。今思うと超失礼。後輩くんたちは分かって言ってたのかそうじゃないのか。

今でもエイプって言葉がトラウマです。


Tがある日、頭にタオルを被せていたことがありました。確か丸坊主にしたのを隠すためです。
担任はTにタオルを取るように言いますがTはしませんでした。取るまで帰りのHR始めない、と言われても取りませんでした。取るように、クラスメイトたちも言ったり目で訴えたりしました。

私はいたたまれなくて&ムカついて、隣であるのをいいことにTからタオルを取りました。後で、しねと言いながら殴られました。私悪くないでしょ。クラスメイトからもナイスって言われたもん。

あと、Tの机に置いてあった貯金箱の中身が盗まれたこともありました。そんなもん学校の机に置くなよ。
Tは、怪しい人をリストアップしていました。私も入ってました。まあ隣だしね。
怪しい人と言っても、特に根拠がなく、Tがいつもいじめている人ばっかりでした。他の仲良くしている子は無条件に容疑から外しているのにです。アホかと思いました。
1円玉とか5円玉しか入ってないような貯金箱誰が盗むかよ。(隣だったので丸見えでした)
大金入っててもTのお金なんて絶対いりません。

心底アホだと思ってるけど、それでも脅威でした。暴言吐かれる毎日が辛くて、学校を休みたがるようになりました。母が絶対に私を休ませませんでした。1回休むと続いちゃうと思ったんでしょう。よく分かってるけど、その時は鬼かと思いました。
毎日すごく死にたかったのに、逃げちゃいけないのかと思いました。熱が出るように、風邪を引くように、なんでもやったのに体調は悪くならず、学校には毎日行きました。

同じ頃部活でも嫌なことがありました。I先輩から、そしてI先輩と仲のいい他の先輩から無視されるようになりました。
今思うとキモいくらい好き好き(影で)言ってたので、引かれるのも当然かと思います、I先輩すいませんでした。
下手で体力なくて嫌われてる私は、クラスでも部活でも居場所がなくなったのを感じて、私はまた部活に行けなくなりました。

部活を3週間ほど休んだ頃、顧問から呼び出されました。
クラスのこと、部活内のこと、何も話せませんでした。話していれば何かが変わったかもしれないけど、何も言えませんでした。ただただ泣くだけで終わってしまいました。
私は、自分のことを話すのが苦手でした。頭の中ではいろいろ考えて、黙ってしまいます。何か言ってと言われたり、泣いてしまったりしたら、口を開いても息が出るだけで声が全然出なくなります。
社会人になってからもこれは変わりませんでした。
今でも、あの時クラスのことをちゃんと伝えてる私をたまに想像してしまいます。

結局正式に休部することになり、夏休みから復帰することにしました。
1学期の終わり、3者面談。担任は入院したので副担任の先生とお話ししました。いっそ私が入院したかった。事故にでも遭いたかった。なんで病気が欲しいときには来ないんだ…

副担任は、今日までクラスでしんどかったでしょ、辛かったでしょ、と言ってくれて、私は先生と母の前で号泣しました。
当時の担任は体育会系の女の先生で、細かいことは気にしない☆みたいな人でした。私が元気ないのには気づいてくれたものの、友達がおるじゃん☆頑張れ☆みたいなことを言う人でした。
そんな担任より副担のM先生の方が好きだった私、気づいてくれていたことが嬉しくて号泣。
M先生は、それから後も、卒業してからも気にかけてくれました。
2学期になれば席替えで離れれる、そう思うと頑張れそうな気がしました。

復帰してから、I先輩も他の先輩もちょっとずつ話してくれるようになりましたが、ミスが怖く、先輩たちもまだ少し怖く、ちょいちょい休んでいました。傍から見るとサボりですm(_ _)m

2学期になって、やっとTと離れました。
クラス内で話す友達はもっぱらAちゃんではなく、RちゃんWちゃんOちゃんになっていきました。
ある時Oちゃんがちょっと爆発してクラスを飛び出し、わたしとWで追いかけてその後3人+M先生とで一緒に泣いた、っていう事件がありました。
3人とも、クラスでそれぞれ嫌なことがあって、Oをきっかけに爆発しちゃったんです。
その時思いました。Tの暴言を止めたり注意してくれないAちゃんより、こうやって悲しいことを分かち合える人の方が友達っていうんだ、と。
私には部活以外でも大事なものがあるんだ、と。

1年の頃あんなに執着していたのに、あんなに楽しかったのに。
2年生の秋、部活を退部しました。





ここまでが2年生の話。私の数ある暗黒時代ーずの中で、1、2を争うくらいのbest of 暗黒時代です。(ワーストかな?)相変わらず発達障害関係ないな、備忘録みたいw

書いてたら泣いちゃって眠くなってきました(´・ωゞ)おやすみなさい