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自分で自分を心から褒めてあげられないし、認めてあげるわけにもいかない。

私はつくづく、他人の期待を裏切る人間だ。
人を信じられない生き物だ。
どんなに親しい友人でも、どんなに親しみを込めて接せられても、その中の細かい幾つかの納得いかない部分で、自分の中にある「受け入れる基準」というようなものを越えることが出来ない。
故に、疑いを持たないで接することはない。

薄情者だ、「人はそんなに悪意を持って、企てを抱いて私に接することはない」という家族の言葉でさえも、受け入れることが出来ない。

私に近づく人間はみんなそうだった。
自分を保つための材料として、都合の良い手駒として、すべて己自身のために私と友達であることを望んでいただけに過ぎなかった。
他に、私と友達でいる価値はないと、必要性はないという人しかいない。
友達や親友というのは、そんな綺麗な絆なんかで出来ている訳ではないのだと、よく知っている。
否定なんか思い付きもしないくらいには。

絆とはなんのことなのだろう。
友情はとても軽い。都合が悪ければ簡単に捨てられてしまうもの。
私の気持ちは、姿勢は、声は、心は、何のために存在して、どんなことに使えば良いのだろう?
どんな使い方が、人と違っていて悪い方にいってしまうのだろうか。

不完全なものを認めるには、自分の不完全さも認めなければならない。
なあなあな気持ちも、面倒くさがりな性格も、逃げられるなら逃げてしまいたいと本当は思っていることを、人間としての価値を上げなければ人と対等でいられないと思っているこんなダメな自分も、それでいいんだと、認めてあげなくてはならない。

そんなの、無理だ。
私は絶対に、今の存在している価値のない自分自身なんか、認めない。
認められない。認めてあげない。認めてなんかやらない。

限界の淵に、嘘の私に。

とうとう薬を服用することになってしまった。
どうも鼓です。

なんとか自力で直したかったんだけれども、思った以上に不安な気持ちが普通の生活を妨げているようでお医者様からも服用を薦められてしまった。
こんどから処方箋飲みますよー。
忘れないようにしなければ…

ということで現在の状況ですが、悪くないです。
なんか、悪い方向に転がっていかないし、グルグル考えたりもしない。
結構これは効果があるのかもしれないです。
気持ち悪くはならないし、合うようであれば今は処方箋の力を借りて持ち直そうと思います。

この不安になりすぎない状態がこの先続いて、いつかコントロール出来るようになれれば良いのですが…
頑張ろう、とにかく取り組むしかない。


あとは、予防線を張る為に嘘をつく癖をなんとか出来るようにしたい。
人から批判されないようにとか、変な風に見られないようにとか、そういうのの為に自分を偽って伝えるのをやめたいなと思います。
本当の自分に自信がなくてさらけ出すのが怖い。
だから、おそらく8割は嘘の自分で接している。
素直に、自分が苦しくならないために嘘をなくしていきたいです。

出来るかな…
勇気を出してやってみたとき、強烈に否定されないと良いな…
昔みたいな状況はもう嫌だ。

一人で立っている為に

今日も今日とて、精神的に不安定な一日でした。

やる気も出ず、向かえば動悸。
いったいどうしたいというのか。
自分がやらなければ進まない、やらなければ自分が困るのに、
これであっているのか、無意味にならないか不安で何も手につけられない。

きっと自分ではどうもしたくないのだろう。
誰かが助けてくれて、そこから少しずつ身につけていって、
少しずつ誰かの力になって…
そういう風な人生を歩みたかったのだろう。

一人では弱すぎる、たどり着けないところがあると、
思っている。知っている。

自分だけで立っていられるようになるには
どう力をつけていけば良いのだろう?
どう振る舞っていけば良いのだろう?
どんな私であったら良かったのだろう?
偽らない自分でいても良い場所は、どこにあるのだろう?
彼女がいないなら、探し出さなければならない。
私の希望を、意味を、方向を、ぶれないよう固定する為に。
一人でも大丈夫である為に。

4年経つ

改めて、立ち直るなんて不可能だなと思った。

もう4年経つことになるけれど、
私も家族も、思い出を話し始めると涙が出てしまう。

楽しかったこと沢山あった。
うまくいかなかったことも、大変だったことも、
普通だったら経験しなくても済むようなことを、沢山一緒に経験してきた。

彼女は私の世界の中心であり、家族にとっても世界の中心だった。

それが突然、なくなってしまったわけだから、
しょうがない、無理もない。


そう、まるで何者かに奪い取られてしまったかのようだった。
生きていく目的も、一生懸命向かっていく先も突然なくなって、
未だに宙ぶらりんの状態だ。
私は何のために生きてきたのか。
助け合って、協力して楽しく生きて、ただそれだけでよかった。

毎日、どこかに面影を探してる。無意識の内に。
はたと気づいて、その思考を振り払うんだ。
そうだ、君は居ない。

生きたい、やりたい、色んなことでいっぱいで
いつもまぶしかった、元気づけられた、心強かった、私の妹。
大好きだった、私たちの大切な家族。

全然、まだ悲しいよ。
寂しいよ、乗り越えられないよ、こんなこと。
あの強い母が、涙声になって話す。
口数の少ない父は、その分纏う空気が悲しそうなものに変わる。
兄弟は、何も言わないし態度にも出さないけれど、
優しいから、いつも買ってくるお菓子は妹の分も絶対買ってくる。

きっと一生この気持ちのままだろう。
時間が忘れさせてくれるなんて嘘だ、涙が抑えられるようになるだけで、
いつまでもずっと寂しいままだ。


つらい現実から逃げたかった

なんだかんだ言って、
結局私は逃げたのだ。

大切に扱ってもらえなくて、
正当に評価されなくて、
使い捨てのように適当に扱われたことが悲しかったから。

みんな円滑に雰囲気良く、チームワーク良く仕事をしていたのに、
自分だけはじかれている状況に耐えられなかったから。

誠心誠意取り組んでも、
周りの状況を考えながら取り組んでも、
評価どころかマイナスにしかならなくて、
結局ストレスの捌け口として扱われたことが悔しかったから。

それでもなんとか食らいついた。
置いて行かれないように、
はじかれていても業務に支障が出ないようにするために。

それでもダメだった。
だから、私は諦めることにした。

それが逃げだったのではないかと、今少し感じる。
病気にはなっていたけれど、また倒れるまで取り組んでいけば、
取り巻く環境は変わっていたかもしれない。

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