あとほんの少し勇気があったら。
そう悔やんだことが今まで何回あって、そしてこれから何回やって来るのだろうか。あとちょっと、指先程度で良いから今より勇気があったなら、何かが変わったかもしれない。
あとちょっと、ほんの少しだけ。
…メリエル・コートニーの場合。
「むっ」
「む?」
「むりむりむりむりっ、むりーーー!!」
建物内に甲高い声が響く。
声の主メリエル・コートニーは顔を隠すように両手で大きくバツを作ると、前にいるシリウス・ブラックにもう一度叫ぶ。
「むり!!」
「うっせぇな!聞こえてるよ!」
シリウスはガシガシと乱暴に頭を掻きながら吐き捨てるように言った。メリエルは腕の間からチラリと視線を送り、様子を伺う。
シリウスは俯いていて表情が見えない。少し長い前髪がその瞳を覆ってしまっていた。それでも彼の全身から溢れるオーラは、決して明るくはない。むしろ。
少し、寂しそう。
そんなシリウスの様子を見て、メリエルは胸がズキンと痛むのを感じた。いや、でも、しかし…。
メリエルはクロスしていた腕を下ろすと、先程の会話を頭の中で思い返す。
『おい』
『何、この腕。お手?私は芸なんてしないよ?』
階段を上っている途中、ふいに人気が途絶え二人きりになった。シリウスがこっちを振り返って腕を差し出してきた。
シリウスが小馬鹿にしたように笑う。
『ちげぇよ』
『じゃあ何?』
『掴まれよ』
『え』
思わず、シリウスの顔を見上げる。
『腕、掴まれって』
「むりぃーーー!!!!!!!!」
「うっせぇ!」
「あいたっ!」
メリエルは痛む頭を抑え、呆れたように自分を見下ろすシリウスに思いっきりイーッと歯を向けた。
あとちょっと、勇気があったなら。
自分から触れることが、できたなら。
…リディア・ヴィンスの場合。
「うわっ」
リディア・ヴィンスの口から、思わず声が漏れる。
視線の先にはやたらと距離の近い男女が一組。1つの本を二人で覗き込みながら、時々お互いに顔を見合わせながら微笑んでいる。
いや近い近い近い、近いって!
「リディア?」
じっくり見すぎていたらしい。さっきまで数センチ先を歩いていたリーマス・ルーピンが随分と遠い。
リーマスが不思議そうな顔で待っている。
「ごめん、今行く」
リディアは、人目を気にしない勇者たちから視線を外し、慌ててリーマスに駆け寄った。リディアが着くと同時に、リーマスはまた歩き出した。
少し首を捻り、こちらを見ながらリーマスが言う。
「何を見てたの?」
「別に」
早口に答える。
しまった、これじゃあ如何にも何かを見ていたようじゃない!と、リディアはドギマギしながらリーマスの横顔を盗み見たが、リーマスは特に怪しんでいる様子はなかった。
リディアが気付かれないようにホッと息を吐いた瞬間。
「リディアも、ああいう事したいと思うの?」
リーマスの笑いを含んだ声に、思わず息を呑み込んだ。
「しっ…知ってたの?!知ってて知らないふりなんてっ…趣味が悪いわよ!」
大きな声が中庭に響く。
リーマスが口許を抑えて必死に笑うのを堪えているのが、余計に勘に障る。
「ごめん、からかうつもりはなかったんだ」
リーマスが息を調えながら、目尻に溜まった涙を指で拭う。涙まで出して、どの口が「からかうつもりはー」なんて言うのだろう。
リディアは不機嫌そうな顔をそのままリーマスに向けてやった。
「じゃあどういうつもりだったのかしら」
「だから、リディアもああいうことがしたいのかなって」
まだ言うかとリディアの顔が険しくなると、リーマスは慌てて言葉を重ねる。
「純粋な疑問だ」
そう言われると、リディアはすぐさま返事をしてやった。
「別に、興味ナシ」
「全然?」
「全く」
「一ミリも?」
あまりにもしつこく聞いてくるリーマスに、リディアは段々怒りよりも疑問の方が強くなっていく。
「しつこいな。だって別に楽しくなさそうじゃない」「試してみる?」
「は?」
「だから、本当に楽しくないかどうか、試してみる?って聞いたんだけど」
リディアが驚いて顔を上げると、予想外に真面目な目とぶつかった。
何を言っているんだと言わんばかりに、リディアの顔は険しい。
「誰と誰が?」
「猫とフクロウにでもさせる気かい?僕と君でだろ」
呆れたようにリーマスが呟く。
本気で言っているのだろうか。リディアがどれだけリーマスの瞳の中を探っても、そこには至って冷静で、真面目な目が見えるだけだった。思わず視線が揺らぐ。
リディアは何か答えようとするも、唐突な出来事に弱い頭からは何の言葉も出てこない。
リーマスはひたすらにリディアの返事を待つつもりのようだ。
どれくらいそうしていたのか、ようやくリディアが口を開いた。
が
“むりむりむりっ、むりーーー!!!”
遠くから聞こえてきた聞き覚えのある声に、リディアの口は再び閉じてしまった。
「メリエルの声だ。またシリウスが何かやったかな?」
リーマスは苦笑いをしてそう言った後、呆然としたままのリディアに気づくと頭を軽く叩く。
「授業に遅れてしまうね。さぁ行こう」
そう言ってリーマスは優しく微笑むと、さっさと歩き出す。
「…うん」
リディアは変な緊張から解き放たれた安堵と、少しの残念感を感じながらリーマスの後に続いた。
あと少し勇気があったなら、何か変わっていたのだろうか。
あの時、ただ一言言えたなら。
ーーーーーーーーー
あれ、ガールズトークの予定だったのに。