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私が恐いこと

 生きてることが世の中で一番恐いことだってなまじ本気で思ってる私がどうして今この年まで生き長らえて、これを誰に対して何で報いれば良いのかをもう長いこと探してる。
瞬間瞬間を生きていくのに必死すぎてずっと溺れてる。たとえ打たれ弱いと非難されたとしてもたった一つの出来事が苦しくて、上手く生きられないのがもどかしいよ。

 この年まで何をするわけでも無く生き長らえて、この先も何の価値も生まずに生きていくなんて嫌だよ。まわり道ばっかりして凄く凄く親不孝をしてきたけど、それでも何故だか長らえてきた命を無駄になんてせずに今度こそ私じゃない未来に繋がる選択肢を選びたい。還元したい。
生きてるって奇跡的ですごく貴重なことだけど、それと同時に、世界で一番恐いことだよ。それを忘れることが恐い。それを忘れて無駄なものばかり積み上げてしまうのが恐い。


 他には、なんとなく上辺を気にしながらも言いたいことを言えて、けれどその人の根底との相違で壊してしまうのが恐い。
価値観なんて違うのが当然で個体には個性があることを知っているぶん、近付きすぎるのが恐いよ。近付きすぎると慣れて安心してお喋りな私は余さず話してしまうから、考えも無いのに止まらない口が恐い。

 でも、たった一人での自由なんて何よりも孤独だよ。何をすれば良いのか、何が良くて何が悪いのか、右も左も基準が何かも分からなくなるから。それを理解しているから何かや誰かに感謝してやまないよ。

冬に拍車がかかる人恋しさが良い機会になりますように

 今日はお休みだったので友人と遊び倒してきました。
夕方まではカラオケに行き、その後は駅周辺で買い物や夕飯と盛り沢山で、こんなに充実した休日は久しぶりです。幸せ!


 充実した日を過ごすたびに、自分の周りに私を知っている人が存在する事をとても尊いことだと感じます。
私は親許を遠く離れて生活しているために同郷の知り合いが近くに居ません。そのため、誰にも頼ることができないこの場所でも友人をもてた事に本当に安心し、励まされてきました。
一人暮らしをしていると、何も予定の無い休日は朝起きてから夜寝るまでを、誰とも口をきかずに終えてしまいます。それが何だと言う人もたくさん居ますが、この寂しさは頼る相手がすぐ傍に居る人には分からないんだろうなぁ…食事時も感動した時も悩み事がある時も一人というのは、きっと寂しいものですよ。

現代はこうして電話やネットが普及しているために機械を通じて気軽に連絡ができますが、機械という媒介がなければ赤の他人です。
その相手が機械を通さずとも会える距離に居て、雑談をしたり遊びに出かけたりと一緒に居てくれるというのは恵まれている事だと思うんです。

別に過去に友人が居なかったわけでも両親と心理的な距離があるわけでもありませんが、これは頻繁に感じます。
ご飯を作るには材料を育てて調理器具を作り、水や火を調達することが必要ですが、現代社会は一人でそれを成し遂げられるような構成にはなっていませんし、お金も同様に払う側と受け取る側が必要ですから人間は一人じゃ生きていけませんよね。

誰かが傍に居るというのが当然だと感じて傲ることなく、喜びや感謝の気持ちを忘れない人になりたいです。貰った分をきちんと返してあげられるような、そんな最低限は人並みな生き方をしたい。
だから就活も生活も勉強もゆっくり丁寧且つきちんと頑張ります!

懐古主義者の可愛さの話

 以前、雑誌のロンドン特集で云百年モノの指輪がマーケットにごろごろ転がっていると読みました。懐古主義もそこまで極められたら憧れの域だよね。

もしも口先ばかりで過去を懐かしむならば怠惰な印象しか受けないけれど、重ねた時間の積み重ねを感じながら大切に使われてるティーカップだとか靴、指輪を思うと血が血管を逆流しそうなくらい私の何かが漲ります。
懐古主義なイギリスかわいい!素敵!紳士さま素敵!


 国という特殊な存在にとっては私たち人間からすると世代を超えて使われているティーカップも、云百年間ずっと自分が使っているティーカップになるわけで。

万象のなかで異端であるのに凄く人と近いところに在るところと、それ故の残酷なくらいの孤独だとか、人間にはとうてい手の届かない神聖さだとかをウダウダ妄想していると夜が明けます。なので今夜も我慢してシャットダウン。
…辛い、ヘタリアが好きすぎて生きるのが辛いです。



 そういえば前回の記事で張り切って頑張るという旨を書きましたが、翌日から一週間も風邪で寝込みました。空回り!
完全に出遅れた感が否めませんが、焦らず地道に頑張ります。この言葉を信じてオレンジ ペコの茶葉を景気付けに買ってしまったので…もう逃げられない(´・ω・`)
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