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ワンルーム

けつけん!


この部屋で彼と過ごすのももう何年目だろう。
昔と変わらず彼はベランダの窓を開けて、そこに腰を下ろして煙草をふかしてる。
きりきりきりきり。胸が痛むのももう何年目だろう。
「健くんはさ、ほんとに面白い曲作るよな、俺にはない引出しばっか持っとる」
燃えて三分の一くらいの短さになった煙草を、右手の人差し指と中指の間に挟みながら、彼は身振り手振りで何か話をしている。
おれのこと褒めてくれてるの? なんだかもう飽きちゃったなあ。
彼はおれに構わず話を続けてる。おれの曲はすごくて、自分はまだまだだとか。
彼の右手からあがる白煙をぼーっと見つめていた。きりきりきりきりきりきり。
ゆうくん。ゆうくん。
「…どうしたの、健くん」
気づいたら、泣いていた。
こころが、こころの奥のほうがね、きりきりぎりぎり痛むんだよ。
おれはゆうくんの、たくさんの仲間のうちの一人。
ゆうくんはおれの中の唯一の存在。
どうして、どうしてこんなに違うんだ。
「ゆうくん、」
あのね。
ほんとに自分が嫌いだっておもったこと、ある? ゆうくんはないだろうな。
おれ、ゆうくんと一緒にいたらだめだ。どんどん卑屈になる。ゆうくんは凄いなあ、何で自分はこうなんだって、比較してうんざりするんだよ。きっとゆうくんはこんなこと一度も考えたことないんだよね。
それはそれでいいと思う。おれとゆうくんは別の世界に住んでるから。おれの考え方なんてゆうくんにはきっと、わからないから。
「健くんどうしたの、何が言いたいの」
ぐすんと鼻を鳴らしたら涙が頬を伝った。
おれのことを上っ面で舐めただけで、面白いとか、凄いとか、適当な褒め言葉で繋ぎとめないで。
ゆうくんはおれの唯一の人だけど、おれはゆうくんの一番じゃない。
きりきりきりきり。積もり積もった痛みを、凄いだなんて、面白いだなんて、笑わせるな。何もしらないくせに。
「…出てって」
合鍵は置いていって。
何年も積もり積もった白煙の染みを、このきりきりする痛みを、ゆうくんが気づいてくれたらどんなにいいだろうな。
それは仕方ないことなんだけど。違う世界の住人だから。
この先何年この部屋で寄り添ったって、おれは異世界の住人同士、ずっとひとりぼっちなんだ。
彼はずっと白煙を吐き散らして、おれはずっとこの四角い部屋で、ひとひきり。



fragile dream



明美譚より明美ちゃん





「お茶を淹れてちょうだい」
微かに香るフローラル。四角い木造テーブルを挟んで目前に立つ少女が着ている白いエプロンの香りだ。
私はこの嗅ぎ慣れた香りが好きだった。いつでも彼女は恐れることなく私の側に来て、笑顔で給仕をしてくれる。彼女の笑顔に、異質な私は平生抱いている使命感を一時的に忘却し安心感を抱く。そんな時必ずこのフローラルが私の鼻を掠めたから。
「お嬢さま、具合が悪いのですか?」
私が愛用しているカップに、今し方急須に淹れた緑茶を注ぎながら彼女は首を傾げて尋ねる。
元より私は顔色が良くない。というのは、齢十五にも満たない遊びたい盛に、私には友人と呼べる存在がおらず、遊ぶことすらも許されていなかったということが関係している。精神的にも肉体的にも、私は塞ぎ込んでいた。
私は笑って首を横に振った。寧ろ彼女といる時が私の一番の幸せだった。
「美味しいわ」
カップに注がれた緑茶に口をつける。
緑茶特有の渋み、甘みが熱く喉を伝っていく感覚。日本人ならば誰でも落ち着くその味わいに、私はほっと息をついた。
私がありがとうと礼を言うと、彼女は白い髪をさらりと揺らし微笑んだ。
その表情に安心感を抱き、私は思わずねえ、と声をかけてしまった。彼女の表情が微笑からきょとんとしたものへと変わる。
しまった、と思った。こんなこと、他人に話したところできっと困惑されるだけなのに。
すぐに何でもない、と言い直したが、彼女は満足してくれないようだ。私とお嬢さまの仲でしょう、と頬を膨らませて拗ねたような表情で迫られる。まあ、それは、確かに。
仕方なしに私は口を割った。
いつか私の力を使わずとも何も起こらないような平和な村になったら。何も心配することなく、外の子供達のように遊んでみたいと。またその時には、貴方に変わらず側にいてほしいと。
そんな日が来るはずもないことは分かりきっている。人々が暮らすから村なのであり、村があって人が生きる限り必ず問題は起こり得る。
この不思議な力を恨んだことはない。けれど、寂しいと思うことはある。
だから、私は叶うはずもないことを願う。そして今唯一の友人である彼女に、恥ずかしくもそれを伝えたのだ。
彼女は馬鹿になどしなかった。いつも通りの優しい微笑でもちろん、と答えてくれた。
何となく嬉しく恥ずかしくて、私も笑ってしまった。今は、この瞬間だけは、私は平凡な少女として、親友と笑いあえている。そんな気がして嬉しかった。実際にそのような境遇に出会したことがないから、確たる自信はないのだけど。
私がお茶を全て飲んでしまい一息つくと、彼女は村長が呼んでいる、と告げた。
私は無言で頷き、空のティーカップを彼女に渡すと立ち上がった。先ほどの喜びは、束の間の夢。現実だってちゃんと分かっている。
私が自室を出ると、彼女もそれに続いた。そしてご無理はなさらずにと声をかけてくれた。大丈夫。今の私は、彼女の存在で支えられているから。

私はこの時、彼女が本当は何を考えているのかなんて知らなかった。知る由もなかった。
ティーカップを盂蘭盆の上に乗せて運ぶ彼女が、私と並んで歩いている最中にふわりと微笑んだのを見て、当時の私は、安らぎすら覚えたのだった。

ループさとよし

気がつくと俺はベッドの上で目が覚める。
同じ景色。同じ時間。同じタイミングで、下の階から母さんが同じ言葉をかけてくる。
渋々俺は布団から起きあがって、次に由香を起こしに行く。
何一つ変わらない。日付はあの日に逆戻り。
由香がベッドから出てくるのを見届けてから、朝食と両親の待つリビングへ向かう。予想通りのメニューを半自動的に平らげた。父さんと母さんはまた同じ会話をしている。
支度を全て終えてから、由香より早く家を出た。
家を出て、あの曲がり角を曲がれば、良樹がぼうっと空を見ながら、俺のことを待っている。
それで、俺が角を曲がって来るのを見つけた良樹は、へらっと笑っておはよって言うんだ。
ほら。
俺と肩を並べて歩き出した良樹は、笑顔はそのままに昨日バイトで起こった面白いことを身振り手振りで話し始める。
もう何十回も聞いた話で、オチなんか最初から分かってる。けれど俺は何一つ変わらない相槌を打って、良樹がオチを言った後には大笑いする。
何で。どうして笑ってんだよ。俺もお前も、これから死にに行くんだよ。
良樹と笑い合いながら、俺は頭の中であの惨劇のことを思い出していた。放課後になったら、俺たちは呪いのおまじないをして、恐ろしい場所へ迷い込む。みんなも良樹も死んで、俺も死んでしまうと、再び今日の朝に逆戻りする。
全部分かってんだよ。いやだ。またあの苦痛を繰り返すのは。幾度も目にした仲間や良樹の死に顔が頭から離れない。今目の前で良樹は笑っているのに。放課後になったら、またあの血塗れの死体になってしまうんだ。
良樹はふいに照れ笑いしながら言う。今日バイトないからさ、放課後、どこか遊びに行こうぜ。
俺は笑って、いいな、どこに行こうかと返す。全部予め決められていること。もう何度も繰り返してきたことだ。
当たり前の筈の今日の放課後は、俺たちは一生迎えられないんだ。今話している遊ぶ約束だって果たせない。
不意に視界が滲んだ。今し方今日の放課後のことを楽しげに思案していた良樹の瞳が俺に向けられ、驚きで見開かれている。
どうしたんだよ、と良樹が声をかけてくる。おかしい。こんな会話は今までになかった筈だ。こんな展開、俺は知らない。
俺の顔は勝手に笑おうとしていた。何でもない、と取り繕った言葉も僅かに震えている。
それでも、怪訝そうな顔をしつつ良樹は何かあったらいつでも言えよ、と言って、また前方を向いた。
だめだ。またいつもの今日に戻ってしまう。同じ結末を迎えることになってしまう。そんなの、だめだ。
「良樹!」
気づいたら良樹の腕を引き、走り出していた。良樹が驚いた様子で、どうしたんだよオイ、と叫んできたが、無視した。
良樹の腕を掴む手は次第に掌の方へ移動していき、指を絡めた。良樹は、抵抗はしなかった。
そうだ、逃げよう。呪いの手の届かないところへ。
何度も見てきた、変わらない筈の空がとても目新しく非日常的に見えた。
今日の放課後の約束を果たすために。俺たちはどこまでも走った。

からまわり兄弟

「なあ、俺とばっか帰ってて平気なわけ?」
学校帰りの道中。良樹の口から零れた突飛な言葉に、言うまでもなく疑問を抱いたが、反面共感を得て安心した自分が居た。俺も心のどこかで蟠りを抱えていたのかも知れない。
それでも口先では、何のことだと軽く笑って答えを濁した。上に述べたような心理の変化は実際にはごくごく微かなものであったから当然の反応だと思う。
良樹はいや、と呟いたきり首を傾げたり唸ったりしながら考え込み始めてしまった。
「直美のことか?」
「いや‥違う。俺ら、天神小に飛ばされる前から、こんなに毎日一緒に居たっけと思ってよ」
言い出した良樹自身ですら疑問の核心には至っていないようで、ああだこうだと散々悩んだ結果、結局俺の気のせいかも、と言ってへらりと笑った。
いつもの別れ道で良樹がまた明日と手を振る。それに笑顔で手を振り替えし、そこからはひとりで家路を辿った。
何も変わってなどいない。変わらない筈なのに。
良樹の言葉は俺の中でぐるぐる渦を巻いていつまでも離れない。ほんの、本当に少しだけだが、天神小を脱してからというものの常にぽっかりと心に穴があいた気がするのだ。無論思わぬ形でクラスメートを何人も亡くし、その上脱出したらしたで天神小に行った俺達しか彼らの存在を覚えていないという事実。ダメージを受けない筈はない。
全ての蟠りを断絶する為にはもう少し時間がかかるのだろう。勝手な理由をつけて自分を納得させる。不条理を飲むことはあの事件以来大分慣れてきた。
思考をやめて歩み始めるとふいに、行き交う人々に意識が移ろいだ。
刹那。その一秒は正しくスローモーションのようだった。
お兄ちゃん、と高い声が耳を掠め、微かな風と共に少女が傍を駆け抜けた。
瞬間、俺とその少女が寄り添って笑い合っている、懐かしいような、温かな情景が脳裏に浮かぶ。言いようのない感情が胸に込み上げ、気付いたら勢いよく少女を振り返っていた。
「ふぇ?」
俺の行動を尻目に認めたのか、少女は戸惑ったように立ち止まって俺を見つめた。
亜麻色の髪に桃色のヘアバンド。少女の着ている見知らぬセーラー服が何故だかいやに不釣り合いに思えた。
その目と視線を合わせると、言いようのない感情は更に肥大していく。ひとりでに俺の口が、ゆか、と呟いたが、そんな名前の女性は知らない筈なのに何故だか懐かしい。
無意識だったからかそれは吐息の如くごく細やかなものであったから、俺以外の人には聞こえていなかったようだ。それだけが幸いだ。何故なら、込み上げた言いようのない想いは少女の背後に兄らしき銀髪の男を認めた途端に温度を失い始めたのだ。男は俺を捉えるとふわりと微笑んだ気がした。
「由香、帰るぞ」
男の言葉で止まった時は一気に解凍された。由香と呼ばれた少女ははっと我に返り待って、と叫ぶと、俺に背を向け走り去っていく。
先ほど俺が無意識の内に呟いた女性の名と、男が呼んだ少女の名は一致していた。どうして俺は彼女の名を知っていたんだろう。考えてみても心当たりはない。
俺はその背を呼び止めることも出来ずに、ただ見送った。
二人の背が見えなくなる頃、ようやっと俺は歩き出した。
さっきの感情は一体何だったのだろう。何となく考えたが、その内忘れて、俺は再び良樹との会話を思い出していた。
真っ赤なアスファルトに、ひとりぼっちの影がどこまでも伸びていく。家に帰ったら課題片づけないとなぁ、と思いながら、一人で家路を辿った。

それ以来心の中に蟠りを感じることは、もう二度となかった。






刻命の微笑は確信犯ってことで

刻由

ざっくりと理想



由香がお兄ちゃんと呼んで微笑んだ。
何故だろう、俺は由香が生まれてからずっと兄でいたはずなのに、由香の声を聞いた瞬間じんわりと心に沁みて涙が出そうになった。俺は何度も同じ言葉を心の中で反芻した。
お兄ちゃん。そうだ、俺は、兄さんだ。
大丈夫。もう俺達は、ずっと一緒。
込み上げた想いを、由香を抱く力に込める。
刹那。腹部に違和感を感じた。
違和感の正体が分からず訝りを声色に滲ませて由香、と声をかけると、微かに笑い声が聞こえる。
違和感は徐々に鈍い痛みへと変わってきた。腹部に手を回すと、生暖かい何かが腕を濡らして滴った。
数秒遅れて、それは血液だと理解する。一体誰の。黒崎のか? いや違う。俺の血だ。
ぐらりと歪む視界。今度は、笑い声がはっきり聞こえた。
「由香‥?」
抱きしめた小さな身体が、俺を見上げる。
やはり笑っている。けれど、その瞳は潤んでもいた。
「お兄ちゃん、これでもう、ずっと一緒にいられるでしょ?」
今度は腹部の鈍痛が鋭いものに変わった。何かが抜かれていく感じがする。それが何かなんて、大方見当はついているが理解したくなかった。とりあえずナントカは刺すよりも抜くときの方が痛いって話は本当みたいだ。
抜き取られたそれは俺が想像した通りの鋭利なアレで、どす黒い血に塗れている。ああ、腹がドクドク痛む。
その激痛と由香の突飛な行動を未だに受け入れられない衝撃で、身体を動かせない。その内に由香の手の内の鋭利は見る見るうちに彼女の腹部へ吸い込まれるように近づいていく。お前は、自分で守るというのか。誰かに虐殺されるというリスクから自分の運命を。
身体から力が抜けていく。ぐしゃりと腐った木板の床にくずおれる。由香も同時だった。
床が異様に冷たくて寒い。いや、出血多量で身体から温度がどんどん失われているのかもしれない。
名前を何度も呼びながら由香の方に何とか顔を向ける。彼女は寂しい、お兄ちゃんとだけ呟いて、泣きながら笑った。由香。由香。
本当のことなんて最初から俺も、きっと由香も、分かってた。分かってたんだよ。
畜生。ちくしょう。


追記に解説
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