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同じ本を読んで

遠くに在るというだけで

幻想に思えるものがある

たとえば星の世界

多くの美しいものと同じく

瞬く間に消えてしまう


初めから気づいていた

彼がとても美しい人だということに

そしていかに遠い存在だということに

彼もいつか消えるだろう

多くの美しいものと同じように

刀を失った男たち

俳優の福山雅治さんは女性から人気があるイケメン俳優だが
なぜか男性にも人気がある

ノンケの男性からよく聞くのは


福山雅治は男の自分からみてもかっこいい
福山雅治になら抱かれてもいい

なんていう衝撃発言

福山さんがお断りだろうが

しかし、ゲイでもないのに

そういう考えに至るということはよほどの男前ということかな

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放課後の音符(キイノート)

金木犀が香っています


鼻の良い私には強すぎて、けっこう閉口(閉鼻?)しますが

ひとつひとつは小さな花なのに
ひとえだに群がって咲くためでしょう


町中に香水をふりまいたよう
甘く強い薫りは、なぜ人をセンチメンタルにするのかしら

この花が咲く頃に思い出すのは

『放課後の音符(キイノート)』
山田詠美著 新潮文庫


短編集です
高校生の女の子を主人公にしたコイバナ
と説明したら、引く人もいるかもしれません

ところが、わたしの超狭まったリサーチ範囲に限って
この本は圧倒的に男性(それも若くない)の支持率が高いの

山田詠美の作風は軽いようで、赤ワインのような独特なエグみと渋みがある
(とおっしゃる方もおるとか)

この本の中の女の子も、恋の相手はずっと年上の男性
しかもその人の子をみごもっていたり
ところが彼女はそれを「おいしいカクテル」という

「カクテルって、苦いお酒や甘いお酒をまぜるから、おいしくなるでしょ」と
自分の中にやどった命を「苦い」思い出
「甘い」思い出のカクテルに例えて微笑みながら
心配して涙する友達にハンカチを差し出す
「Baby Cocktail」

これはもう、酸い甘いもかみわけた大人の女の思考じゃないかしら

男性はこういうことをサラリと言う若い女の子にとグッとくるのね


さて、金木犀の話

赤いルージュの似合う年上の女性に彼氏を取られた女の子が、親友に語る話

その女性と彼氏とのことばのやりとりが、一編の詩のよう

(金木犀の匂いがする、とルージュ彼女は言う、そして)

甘くて歯が痛くなりそう
秋には恋に落ちないって決めていたけど、
もう先に歯が痛い

金木犀を食べたの?

金木犀も食べたの
だから
歯の痛みにはキス

(「Red Zone」より引用)



(そしてキスするふたり
彼の唇に残った赤い口紅のいろの美しさが、隠れて見ていた彼女の心にあざやかに残る)


フランス映画のワンシーンのよう
恋敵である女性は
ショートカットにシャツにジーンズという男の子のような格好
アクセサリーはただひとつ赤いルージュだけ
という実に印象的なひと

高校生の彼女はここでいさぎよく完敗をみとめるのね
「赤いルージュの似合うひとになろう」と心に決めた彼女がとった行動とは…

さて、この話の続きは、どうぞ本を手に取ってご覧ください

他にも、小さな宝石のようにきらめく物語が詰まっています

すっと心の中にかおってくる一節があったなら、うれしいですね



*この時期、この作品と金木犀を載せたブログは数限りなく存在することでしょう
そんくらい人気のキイノオト

*わたくし、電気レモンは、今日から3日連続の”病気治療に専念しなきゃ日”に入りました
というわけで、心にしみいるキイノオト聴いたり、読んだりしてウハウハうっふん♪気分転換してるのよんw

んじゃヾ(●゚?゚)ノv

In the nuddy

スカートの下の劇場 (河出文庫)
上野 千鶴子 (著)

ひとはどうしてパンティにこだわるのか?
なぜ性器を隠すのか?
女はどういう基準でパンティを選ぶのか?
セックス・アピールかナルシシズムか?
女と男のナルシシズムはどう違うのか?
―女と男の非対称性に深く立ち入り、

セクシュアリティの本質を下着の歴史を通してあざやかに描ききって
大きな反響をひきおこした、セクシュアリティの文明史。

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あらわす為に隠す

隠すということは
隠されたものがそこにあるということを
誇示する
隠すことでタブーが生まれそのタブーにより価値が出る

そんな内容の文から始まるこの本
パンツに対して「何故だ?」と疑問を抱、
問題定義しながらセクシャリティについての解釈を広げていく

面白い
反面なんか萎えルー


若干決め付けて放つ言葉がまた少し気持ち良くないです


そこで、この本を読んでいて思ったのですが
日本人女性がパンティーとやらを履きだしてから
まだ60年やそこらなのだそうです

ならば
パンツ使用歴の浅い日本人の

しかも平素から極端に布地の少ないパンツを愛用している私は
たまには大正時代にでも思いを馳せつつ
パンツを履かないのもアリなんじゃないか?





しかし私はまがりなりにも***だ
ただのノーパンではいけません




というわけで、はい


残念ながら中身はやはり無理ぽ

見えてしまってはノーパンの意味が無い
ノーパンというのは
ノーパンである事実こそに価値があり
そこにノーパンの美学があるのです

たとえ見えない状態であっても
可憐な女性に

「今日パンツ穿いて無いんです」などと言われようものなら
確かめる術など無いのにそれだけで大興奮でしょう?

それは可視化しようとも同じこと
この一見邪魔にすら思えるパンストさえ
劣情の可能性を秘めた妄想力を掻き立てる
アイテムの一つになっているのだと思っています


四の五の言いましたが
Tバックもストリングスも大好きだし
それらに感じるフェティッシュや私なりの美学も
結局のところ行き着く場所は一緒なんですけどね




ちなみに、この日はリアルにノーパンでした
結構快適なものだねー♪
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