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江戸屋敷

火曜日に都庁に行った際にこんなチラシを発見し、もらってきました。
「芝地域を考える」


勿論もらった理由はチラシの地図が「伊達家屋敷」のある場所だったからです。
地図は「嘉永5年=1852年」のもの。

よく見ると伊達家屋敷の近くに「田村家屋敷」がありました。さすが親族。


「増上寺」はさすがに広大です。
「樅の木は残った」に出てくる「良源院」を探しましたが見つかりませんでした。
探し方が悪かった?
時代が違うから?

また近くに「今地院」がありましたが祟伝と関係あるのでしょうか?
(見にくいですが、左の大きい敷地です)



昔、今より更によくわかってなかった頃に伊達家屋敷を「伊達」のまま探して見つからなかった事があります…。


そういえば政宗公が存命の頃は、桜田門に上屋敷があったがその後火災になり、汐留の中屋敷が上屋敷になった。と読みました。

その上屋敷が桜田門にあった時代の地図が見たいのですが、見れていません。

桜田門に上屋敷が再建されなかったのは「近くで見張っておかないと危険な政宗公も居なくなったし、汐留に中屋敷あるからそっちでいいか」という幕府の考えだったのでしょうか…?

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