連れてこられた国は画面上で見たことがあるようで、しかし馴染みのない様子だった。海夜は自分の記憶と照らし合わせながら見て回ったが、どうにも記憶と合致しない。
海夜が落ちたのは何処ぞの国境の辺りだったようで、彼等は何かの協定に基づいて調査を進めていたらしい。手続きをする間、時間にして2、3日近くの町で過ごしたのだが、ちょっとしたごたごたがあって結局海夜はアッシュ達に引き取られた。
同席できた訳ではないので自分がいない間にどれだけの迷惑をかけたのか分からないが、詳細を教えてもらうことができなかったので、海夜は出てきた結果に素直に従うことしかできなかった。
途中まで移動して、歩くのに疲れてきた辺りで合流したのは、ガイという彼らの知り合いだった。
海夜は一方的に既知の相手であるため、彼が異性との接触が苦手なのは知っているし、必要以上に何を言うこともないと思ったので軽い挨拶程度で済ませた。単純に話すのが得意でないだけだったのだが、ガイは海夜にクールな印象を持ったらしい。だからといって話しづらいということではなさそうなので、海夜はいいか、と訂正しなかった。
彼らの国、彼らの町に辿り着いて、また海夜は部屋に一人置いておかれることとなった。勿論、そこに至るまでに、敷地内に入る少し前から興味本意の視線やあからさまな差別的な視線も受けた。それが少し引っ掛かった。
視線に対する不快感、というだけではないと海夜が思ったのは、その視線の原因が自分だけではないとうっすら感じていたからだった。
「んだよ、馬鹿にしやがって」
ルークが毒づき、ガイが宥める。不思議に思って海夜が尋ねると、偉い方々特有の問題を聞かされることとなった。要は、後継ぎ問題だ。
どちらが後を継いだら自分達に利益があるか、という理由でルーク派アッシュ派が存在するらしい。家の関係はよく分からないが、当事者達よりごたごたしているようだ。それは貴族間だけではなく、王家に仕える騎士の中にも見受けらるらしい。ナタリア王女の力もあってあくまで中立は多いようだが、実際のところは分からない。
これはまた、とんでもない。そう思いながらも情報を頭に入れつつ、彼らが説明をするためにと席を外してからただ一人、海夜は規則正しい針の音を聞き続けていた。
これからどうしよう、と思うが焦ってはいなかった。働くのに何が必要か、生活するのに何を学ぶべきか、そもそも今の自分に何ができるか。淡々とそんなことを考えているのは、特に目的がないからだった。
この世界に馴染む必要はなくても、何もしないわけにはいかない。元の世界に戻る必要はあっても、それは目的たりえない。彼らと友好的になるのは厳しいだろう、自分の性格では何処に行っても期待は持てない。海夜はただ漠然と、したいことを除外してしなくてはならないことを選り分けた。
「おい」
「あ、はい」
「何をボケッとしてやがる」
帰って来たアッシュから現状の説明を聞いた。難民として受け入れてもらえること、生活基盤の補助はするということ。飢え死にや野垂れ死には回避できる程度と理解したうえで、海夜は知識や仕事を与えてもらえるよう頼み込んだ。
働く気はあるようだなとアッシュに鼻で笑われたが、それなりに人手が必要になっているところを教えてくれるところを見ると、事前に想定していたんだな、と海夜は思った。
「そういえば、他に異世界から来ている人とか、知り合いにいたりします?」
「何の話だ」
「なかなか対応が柔軟なので」
「馬鹿にしてやがるのか」
「まさか!こうして配慮して頂けるだけでも有り難いです」
それはそれとして、納得のいかない部分がある。海夜は素直にそう伝えた。海夜のことを知らない彼らが警戒する以上に、相手の気質を知っている海夜は疑心暗鬼に陥っていた。
「知りたけりゃ勝手に調べるんだな。何でも与えて貰えると思うんじゃねえ」
「それは多少の自由を約束してもらえる、ということですか?」
「お前のような小物に監視なんざ置けるほど、この国には余裕がない。好きに解釈すればいい」
「了解です」
海夜の表情はとても穏やかだった。それを見て、アッシュは小さく舌打ちする。頭が特段良い訳ではないが、悪いわけではない。一見すると温厚に見えるが、その腹の内と行動力は掴みきれない。アッシュは海夜との行動中、意図的に相手の行動を観察するための状況を作り出していた。それに目立った反応はなかったが、それ故に立ち回りを理解していることが伺えた。
嘘を言うのが下手なのであれば、真実を混ぜて解釈を濁す。自分の行動を観察し、平易な自分を演じぬく。
目を離して良いものか、とアッシュは少しだけ悩んだ。そうしているうちに、荒々しく扉が開け放たれ、瓜二つの顔がずかずかと入り込んできた。
「あ、ルークさん」
「おいアッシュ。こいつどうするんだよ」
「知らん。あとは勝手にさせるだけだ」
「はあ〜?こんな怪しい奴を?お前、何か口添えしたらしいじゃねーか。そいつに何か秘密でもあるのかよ」
「あったとして、何故俺が親切に教えなきゃならないんだ。自分で考えろ」
兄弟喧嘩が始まった。海夜は苛立つルークと不機嫌なアッシュの間に立っているので、必然的にステレオ状態で話を聞くことになった。海夜は人より耳が良い。聞こえる怒声に脳を揺らしながら、届くはずのない制止の言葉を口にする。全然聞いてくれない。海夜抜け出そうな意識を押さえつけ、静かに終わりを待った。
止めたのは、ルークの後ろにいたガイだった。
それができるならば何故すぐにやらなかったのか。ベストを尽くせベストを。海夜は心のなかで毒づいた。
そうこうしているうちに、もう一人珍客が部屋を訪れた。海夜にとって、声を漏らすほど意外な相手だった。
「ヴァン師匠!」
「ルーク、アッシュ、客人の前でそのような振る舞いをするものではないな」
「ふん」
「お前のせいで怒られたじゃねーか!」
「そっちが勝手に突っかかってきたんだろうが」
「何だと!?」
「要約すると、私が原因です。気に障ったのなら申し訳ないです」
海夜が深々と頭を下げると、ルークがなんでお前が謝るんだ、と声をあげた。海夜は、私の事が発端でしたから、と再度頭を下げる。ようやっと落ち着いてきたようで、それ以上怒号が飛ぶことはなかった。
「君が、海夜か。成る程、落ち着いたよい目をしている」
「恐れ入ります」
「何の用だ。こいつは町に下ろすんだろう」
「ギルドの彼女の一件もあるからな。正直なところ、この国の人手不足は否めない。多少でも見込みがあるのであればと思ってな」
何の話だろう、と様子を探る海夜に、ガイが小さく声をかけた。戦ったことはあるかい、という問いに、いいえ、と返す。
「腕に自信は?」
「全くないです」
「こいつ、見るからに戦えなさそうだろ。まさか師匠、こいつを騎士団にでも入れるつもりなのかよ」
「人は見た目じゃないさ。だが、俺も正直反対だ」
騎士団はそんなに簡単になれるものなのだろうか。海夜は話の流れを伺いながら、自分にできそうかどうかを考えた。体力は落ちている。筋力は不安。戦闘は未経験。自分でもよく理解しているが、恥をかきたくなくてあらゆることを諦めてきた性分だ。海夜はそう考えて、あまり良い流れではないかもなあ、とひとり溜め息をついた。
「どちらにせよ、君はやがて世界を見て回るのだろう?」
「いや、そんな予定はないですけど」
「元の世界に帰るのだろう?その為には、知らなければならないことも多い。道中遭うこともあっただろうが、魔物や賊への対抗手段は持っておいた方がいいのではないか」
いやだからって騎士団で学ぼうとは思わんでしょう。海夜はそんなことを考えながら、そうですね、と曖昧に頷いた。ガイもアッシュもルークも反対の姿勢だったが、一番始めにヴァンの意見に同意したのはルークだった。海夜はチョロいな、と思いながら目を細くしてルークを見た。
異世界のこと聞いてるんですね、と返す。私は、と前置きした辺り、知っている人間は限られているようだと海夜は理解した。善意ととるべきかそれとも、と思案している海夜に、ヴァンはさらに言葉を重ねた。
「自信がないかね?」
「自信も何も、やったことが無いものでして」
「自分の力量を理解しているのは良いことだ。些か臆病ではあるようだが」
ぴん、と海夜の中で糸が張った。ヴァンが言うのならばそうなのだろう、と思いながら、海夜はほんの少しだけ苛立ちを覚えた。
「まあ、はい」
「初めから無理と考えるものではない。それは逃げでしかない。どうしても、というなら無理強いはしないが、その虚勢を張り続けるくらいの努力はした方がいい、と老婆心ながら助言しよう」
「それは、有難うございます」
声が幾ばくか低くなった。海夜はそう思いながらも、声のトーンを戻すことができなかった。
空気がぴりぴりしてきたのを、他の三人も感じていたようで、ガイが宥めるように声をかける。海夜はすみませんと言葉を返しながら、一瞬口元がひきつっていた。
「気を遣って頂いて有難うございます」
「なに、こちらの押し付けだ。言いたいこともあろう。だが、私はそれを受け付ける立場にないのでな」
挑発だ。流石にそれくらい理解できる。
それでも海夜は、お前のことは分かっているという相手が、逃げと煽る言葉が、自分が思う以上に感情をざわめかせていることに気づいていなかった。
「せっかくですので、やらせてください」
恥と外聞、それは海夜の恐れるものだ。だから慣れないことはせず、余計なことに首を突っ込まない。それは合理的な海夜の理性的な判断たった。
しかし、コントロールを失った海夜は、後先のことなど考えていない。損得でなく意地。自分の納得できないことに対する頑なな抗議心。
ヴァンは海夜の沸き立つ感情など知るよしもないと言うように、無理をすることはない、とたしなめた。
「いえ、戦う力が手に入るのであれば是非。学ぶ機会が多いのは嬉しいですから。どうぞ、これからよろしくお願いします」
ヴァンは笑って、此方で話を通しておこう、と言った。この場で握手などはなかった。アッシュは遠目で見ながら、海夜に今にも食って掛かりそうな野犬のイメージを抱いていた。自らの情報と、一目見ただけの、たったそれだけで相手を手玉にとる手腕は、彼がすごいのか海夜が単純なのか。アッシュは面倒事が増えたことに舌打ちした。
「では、失礼する」
立ち去ったあと、残った三人に対して一切の棘はない。一瞬にして雰囲気が戻ったようだったが、ルークは少しだけ身を引くような素振りを見せた。
ガイが空気を変えるように、海夜が一時的に身を置く部屋に送っていくと言った。海夜はアッシュとルークに頭を下げると、足早にガイの後を追った。
部屋に送ったあとも、丁寧に頭を下げる海夜に、あまり気にするなと声をかけて、ガイは部屋を後にした。自室へと帰る途中、ガイはヴァンを見つけて思わず声をかけた。先程の事への抗議と、意図の確認。素直に話すとは思わなかったが、聞かずにはいられなかった。
「使えるものは使う。それだけのことだ」
「彼女を何に利用するつもりだ」
「……ルークやアッシュを守るものの中にも、不穏な動きをするものが出てきている。近衛ですら、矜持や時勢に右往左往している節が見てとれる」
「……それは俺もよくわかっているさ。しかし、それに彼女を巻き込むべきじゃない」
「あの人間は此方が何もしなくても渦中へ飛び込んでくる。私の予想ではな」
「ルーク達や彼女にとっての最善、とでも言いたいのか」
「私には未来など見通せん。しかし、私は私で最善を尽くすつもりだ」
「相変わらず、際どい選択をするんだな」
ガイが溜め息を吐くと、ヴァンは小さく笑って眼下の町を眺めた。月の光が町に射し込んでいる。しかし、ずっと下の階層には、あまり届いていないようだった。町の陰影が一層濃くなったような、穏やかな空と夜だった。
二人はそれ以上話さず、別々に何処かへ歩いていく。その影は遠く、重なることはなかった。
(始まりの選択、苦難の幕開け)