選ばれた、という特別性も、選ばれなかった、という意外性もない。どちらかしかない事象の筈なのに、私はこの選択を、どちらにも依存していないと感じている。
何故。
それは私がひどく一般的な人間だからだろうか。比較するように周囲がそれだけ一般的からかけ離れているからだろうか。いや違う。
選ぶ、ということそれ自体が、私たちにとっては普通だからだ。
普通であることが、その意識が、こんなにも恐ろしいなど。
「馬鹿な話だ。本当に」
あなたは、一般的でいようとすることをやめた。そうありたかったのは私がよく知っている。私はよく知っているのに、それを羨んだのだ。あなたがどんな思いで、それを選んだのかを知っていたのに、特別になったあなたに、心無い言葉を投げてしまった。
「私はあのときの言葉を、ただの1度も忘れたことはないよ」
私は選ぶことができたのだ。あなたも選ぶことができた。けれどきっとあなたは今「選ばれた」人になってしまったから。ごめんね。そこまで追い詰めたのは紛れもない普通を装った私たちだ。
私はあなたを止める権利などない。あなたも私を許さなくていい。私の言葉を聞く必要などない。けれど、私は今、あなたが選ばなかった道にいる。誰も期待していない。誰も私に、何も望んでいない。それしか私には希望がない。そこに誰もいないから、私は間違いなく私が選んだと言える。そう言って、責任を負って、だからこそ立っていられる。逃げ道ができてしまうと、私はきっとまた、駄目になってしまうから。
その果てに、あなたがいる。交わってなどいない。そこは果て。戻ることも進むことも許されない。私と、あなたが唯一、この先で一緒に立つことが許される場所。
「さよなら」
私を軽んじた私を、私はここに捨てていくよ。
私のしてきたことを、私は抱えていく。けれど、私はそれに縛られて、これからの責任を、これからの希望を、投げ捨てるわけにはいかない。そんなのは、私が漫然と生きていくだけの言い訳にしかならない。
その傷が私を、あなたを、そしてそれを繋ぐ何かを、死に至らしめるとしても。それを、その選択を、あなたが憎み、許さなかったとしても。怖くて怖くて、泣いてしまいそうになるけれど。
「それしかなかった、なんて言わないから。それを選ぶよ。選んだ私が、あなたに会いに、行くよ」
さあ、果てに行こう。私の選ばなかった道の果てに。あなたの選ばなかった道の果てに。
(最後の最後からは、逃げない。それがあなたに返せる、最後の)