「あ」
新緑の瞳が大きく開かれる。橙色の髪が陰り、山々の大地の色に近づいた。
ナトリの視線の先には、明滅するひとつの灯火があった。年期が入っていることを窺わせるような錆び付きと、風で軋む金属音がサツマの心配を煽った。
ここで夜、明かりを絶やすのは自殺行為だ。
同郷の旅人であるイノツキが地図を指差しながらそう言っていたことを思い出す。ただ月明かりも届かないほどの鬱蒼とした森だからというわけではない。イノツキは真剣な顔で命を捕られたくなければと付け足した。
それを聞くサツマは野党か魔物かと尋ねた。イノツキはただ首を横に振り、少し思案するように右頬を人差し指でとんとんと叩くと、人間であり、この世のものでない何かさ、と返してきた。サツマは訳が分からなかったが、イノツキが冗談を話しているものだと決めつけて、特に追求はしなかった。
ナトリ・アハトゥム。サツマが村に来たとき、道案内を買って出た少女だ。先住民というべきか、謎に包まれた閉鎖地域で積極的に力を貸してもらえるのはありがたいことだが、村を出てからサツマとナトリの会話は両手の指で足りるほどしか交わされていない。警戒しているというよりは、サツマに興味がないようであった。
「村の外に出たい。そのためには口実がいる。だから貴方の申し出を受ける」
その言葉の通り、必要なことは教えてもらえるが、聞かなければ知らず危うい目に遭うし、未然に防ぐ、もしくは協力するという様子はほとんどなかった。
別にビジネスの延長である以上サツマはさほど気にはしなかったが、暗闇が色濃く染み渡る夜の森ではまるでひとりでいるかのような言い知れぬ不安感があるので、サツマは自分を誤魔化すように声をかけた。
「その明かりは大丈夫か。今にも消え入りそうじゃないか。随分年期が入っているが、目的地までもつのかい」
「もたせる。替えはないから」
「油の話か」
「いのちの話」
淡々と返される中で、まさか命と言われようとは。明かりがなければ抵抗もできないような化け物がいるのだろうか。人々はそれを恐れているのか。イノツキの話は少々ニュアンスが違っていたような気がするが、やはりこちらの命を脅かす生き物がいるのだろう。そう思いながら、サツマは冗談混じりに「なんだ、いのちを燃料にでもするのか」と笑って見せた。
じい、と瞬きを忘れたかのように、ナトリがサツマを見つめた。光を受ければ美しく煌めく瞳が静かに深い闇を映したままサツマを射抜く。
ぞくり、とサツマの背から脳にかけて冷たい震えが走り抜けた。
「そう」
この上無いほど淡々とした答だった。
明かりへと視線を移しながら、ナトリはその明かりを人のいのちと称した。サツマは訳がわからなくて、どういうことだ、と眉間に皺を寄せる。
「これは、トトリのいのち」
そう言うと、吊るしていた木の枝から下ろし、いとおしむように器を撫でた。
「教えてあげる」
明かりに頬を寄せる少女の髪は流れ表情を隠す。文字の羅列を読み上げるような調子の狂わない声は、サツマにより不気味さを染み入らせた。
彼ら一族は、ともしびの一族であった。
生まれも姿も人とさして変わりがない。強いて言えば褐色の生まれる確率が圧倒的に多かった。
ただ、彼らは長くても30ほどまでしか生きない。本来の寿命はそれよりもずっと長いが、その間に子を成し、死ぬ。生きることができないのではない。彼ら一族を存続させるために必要なことだった。
彼らは死ぬと、その魂が器に宿る。それが明かりとなり人々を照らし続けている。長くても10年、死に方によってはそれよりも短い間しか輝き続けることができない。この輝きは誰かが死ななくては得られないものだった。
その明かりがなくてはならないのは、この森に住まう呪いのせいだった。その呪いは生命の輝きを見つけると、そのいのちを削り取ってしまう。そうなると人々はすぐに弱ってしまう。
そこで生まれたのが、この生け贄のいのちの灯火だった。
これで生命を隠し目眩ましをする。削られるのは明かりとなった寿命の残る死者のいのちのみで、生者はそれに隠れて生きているのだ。
明かりがなくては奪われるというのは、比喩表現ではない。ナトリは静かに暗闇を指差した。
サツマはぐるりと振り返り、遠く暗い方へ目を凝らした。ただ闇が広がっているのに、うぞうぞと虫が這い回っているように感じられた。
吐き気がするほどの恐怖感に苛まれ、サツマはナトリの方へと近寄った。
「私も、もうすぐ死ぬ。もう子はいるし、20になる。子ども達の新しい灯火にならなくてはいけない」
「そんな、無茶苦茶だ」
ただの明かりでは、と思い松明を闇へ投げ入れる。闇を照らすわけでもなく、枝が地面に落ちる音もせず、それはどこかへきえていった。
「生きたくないのか」
「生きたくないわけじゃない。ただ、生きていてほしい人達がいるだけだ」
少女はそう言うと、膝を抱えて口を閉ざした。
サツマは明滅する明かりにほの暗い恐ろしさと、偽りのない少女の声音に、ただ見つめ返すことしかできなかった。