正直、努力なんてめんどくせーだけだと思っていた。したいことなんて特になかったけど、それでも押し付けられる授業も教育も全然面白くなくて、ヴァン師匠に稽古をつけてもらったり、ガイと訓練したりってのが一番楽しかった。周りがうるせーしアッシュの野郎に見下されるのも我慢ならねーから、適当にやって誤魔化してた。
そんなときにあいつはやって来た。初めに会ったときは訳のわかんねーやつだと思ってたけど、眺めているうちにそれが更に訳のわかんねーやつだってことがわかった。
女が騎士団に、とか、素人のくせに、とか。くだらねえことはよく聞こえてきた。ガイに聞くと案の定、めんどくせーことになっていて、それを敢えて受け入れているって聞いたときは頭がおかしいんじゃないかと思った。
まともに話をしたのはあいつが騎士団で明らかに孤立してからのことで、あいつがひとりで雑用をこなして、遅くまでひとりで稽古していたから、ちょっとだけ気になって声をかけた。
「ああ、ルーク様」
俺に気がつくとすぐに姿勢を正して頭を下げる。こいつはとにかく気づくのが早い。背中に目でもついてんじゃねーのかと思う。
また、馬鹿なやつらがやったのか。
こいつの格好を見ればすぐにわかった。でもこいつは意に返した様子はなくて、それが気持ち悪かった。
「お前、この間も遅くまでやってたよな」
「会いましたっけ。まあ、自主練なのでこういう時間じゃないと空かないんですよ」
「ふーん。……お前、それ大丈夫なのかよ」
「ああ、訓練中にちょっと。慣れないことをしているもので、どうにも上手くいかなくて。心配ありがとうございます。これくらいどうってことないですよ」
こいつが笑ってみせるのがなんとなく癪に障ったので、俺はこいつから目を逸らした。それが嘘なことくらい分かっている。俺には関係ないことだ。
いつも、いつもだ。言葉や常識ならわかる。しかしこいつは、戦わなくてもいいのにそれを学ぼうとしていて、飛び込まなくていいのにこんなところで働いている。ほどほどでいいのにこんなことをひとりでしていて、誰にも認められないのにそれをやめようとはしない。
「お前、ぜんっぜん強くなってねーよな」
「土台がマイナスなんです。期待なんてできないですよ」
そういって、こいつはまた笑った。気づいているのかいないのか、こいつはよく自分を否定する。卑屈なやつだと思う。ヴァン師匠に声をかけられたくせに、と苛々した。少しだけ意地が悪くなって、困ればいい、と思って話を続けた。
「お前、何の成果もねーのに、よくこんなこと続けられるよな」
「そうですか?ああ、そうですね。何かやって上手くできた試しなんて無いので、成果なんて得られたら儲けものです」
「似たようなこと繰り返してつまんねーことばっかで、嫌にならねえのかよ」
「なってますけど」
至極当然というように言われて驚いた。嫌なのかよ。じゃあさっさと辞めればいい。ぽかんとした、というか、なって当然ではと言いたそうな顔を前にして、俺の声は少し荒くなった。
「じゃあやめればいいだろ。お前がやらなきゃいけないことじゃねーんだし」
「そうなんですよね。でもルーク様、たぶんこれは私がやらないといけないことなんですよ」
意味がわかんねー。そう思って見返すとこいつはまた笑った。けどそれは、さっきまでと少し違うような、気の抜けた笑い方だった。
「やらないと、というか、やりたいと思ったことなんですかね。珍しい話ですけど」
「嫌なんじゃねーのかよ。さっき言ったこともう忘れてんのか」
「嫌ですよ。きっついしこう、ふと我に返るとここでやめようかなって思うことが多々……わりと頻繁にあります」
でも、と空を見た。何かあるのかと思って俺も空を見上げたけれど、いつものように月が昇っているだけだった。何もかわり映えのない小さな空のぽかんと浮いた月。ガイなんかはたまに星を眺めるのもいいなんて言うが、俺にはその良さがさっぱりわからなかった。
「でも、やらなくていいことはないんだなって思ってから、とにかくやることにしてます。全部全力でやらないと人並みにできないので。せめて不器用じゃなかったらこうはならなかったんですけどね」
「……馬鹿じゃねーの」
「案外楽しいですよ。自分で決めてからやることの、それを成し遂げるための努力って。めんどくさくてそれこそこの辺でやめようって思うこともありますけど、親切なことに厳しい目があるので途中退場は防げますし」
私は怠慢なので、それくらいが有り難い。そう言ってこいつは空から壁に視線を移した。その先はヴァン師匠の部屋だ。こいつの知り合いなんて師匠やガイやアッシュくらいだからなんとなくわかった。目をかけられているというわりには良い状況じゃないのに、こいつはそれを楽しいという。
「未来の自分の投資とかそういう難しいことは言えないので。私に言えることといえばそうですね……ルーク様私に負けたら悔しくないですか」
「悔しいに決まってんだろ!つーか、お前に負けることなんかねえっつーの!」
「万が一ですよ。そういうことです、私の理由なんて」
「俺に負けたら悔しいのかよ」
「私が負けて悔しいのは、私自身です」
「はあ?」
「一応これ、やりたいことやってる体なんで、これが人並みくらいとか、せめて自分のイメージくらいいかないと、なんか悔しいじゃないですか」
ねえ、と首を傾げて聞いてくるこいつに呆れて何も言えなかった。誰かと比べている訳じゃなくて、ただ自分が納得いかなくて悔しいから、面倒なこともきついこともやっている。
馬鹿なやつだと思った。
こんなやり方じゃなくても、結果なんて別に手に入るのに。手間で面倒なだけなのに。効率とか、そんなことを考えたことがないんじゃないかと思った。ただがむしゃらに足掻いている。そうとしか思えない。
「お前、相当馬鹿だろ」
「学力の話で言われたのであれば、ルーク様には言われたくないですね」
「はあ!?お前今馬鹿にしただろ!」
「ちょっとやることいっぱいあるので失礼しますね」
「ふざけんなお前っ……みてろよ!ぜってー馬鹿にしたこと後悔させてやるからな!」
そそくさと足早に逃げられた。こういうときの足がこいつは早い。俺は行き場のない怒りをぶつけるように花壇のレンガを蹴った。逆に足が痛くなったのが更に苛ついた。
翌日、俺は真面目に授業を受けた。そのあとどうせ分からないだろうと問題を出題しにあいつに会いに行くと平然と答えられた。納得いかなくて講師にさっさと次に進むように命令した。何回か問題を出しに行って、ようやっとあいつが返答につまってきたのがなんとなく嬉しくて、こんなこともわかんねーのかよ、と馬鹿にしてやった。その翌日にはもうさらっと答えられたのがムカついて、色んな分野の問題を出してみるが、それも全部駄目だった。
「最近のルークはやる気に満ち溢れてるな」
「あいつなんかに負けてらんねーっての!」
「そうかそうか」
ガイがニコニコしているのに納得いかなくて俺は教科書を放り投げた。ガイがなんなくそれを掴んだのを見て、俺はベッドに仰向けに倒れこむ。
「おーいルーク?今日の分はまだ終わってないんじゃないか」
「休憩だ休憩!あとで海夜呼んでおけよな」
「はいよ」
ガイは紅茶を入れてくる、と部屋を出た。体を動かしたくてうずうずする。適当なとこで終わらせて稽古でも付き合わせればいいか。
座りっぱなしで尻が痛い。勉強なんてめんどくせーし、面白くもなんともない。
でも、あいつをぎゃふんと言わせないと気が済まない。起き上がって時計を見る。あいつはあと1時間後くらいには暇になるだろう。
俺は起き上がると教科書のページを捲った。文字がだーっと書かれている。ずっと見ていてうんざりしてきた。でも、なんとなくまだやめる気にはなれなくて、ペンを持つ手に力が入った。
☆★☆★
「有難うガイ。助かった」
「どういたしまして。大変だなあお前さんも」
「優秀な貴族の御子息と頭の作りを同じに見ないでほしいよね」
海夜はガイに教科書のページを確認する。予想以上に進みが早い。海夜は小さく唸った。
講師からガイがおおよその進む範囲を聞き出し、同じ教科書を使って学習している海夜に伝えている。そのため、ルークの出しそうな今日の問題と範囲を海夜は事前に学習し、相手の攻撃に備えているのだった。
別にムキにならなくても、と思っていた海夜だったが、思ったよりルークが飽きてくれないので、負けてばかりいるわけにはいかないと意地で対策をしていた。ガイが楽しそうにしているのはこの状況か、いや勉強熱心なルークのことを思ってだろう、海夜は内心でひとり無理矢理納得する。
「まあ、あんまり無理はするなよ?」
「じゃあルーク様を止めてください」
「別に悪いことをしているわけでもないし……お互いに楽しそうだし、な?」
楽しそうに見えるのか、と言いたげに海夜はガイを見た。ガイがなだめるように両手を軽く上げるので、海夜は大きくため息をつく。普段の仕事を早々に終わらせて教科書を見つめるも、海夜は疲れからかだんだん眠くなってきた。そろそろ休憩を挟んでほしい。そう思い、海夜は今日勝ったら出題の間隔を開けてもらうための打診をしようと強く心に誓った。
(頑張って、頑張りあって、)