夢を見たのだ。
見る回数は日を追う毎に増えていった。何のおかしなところのない、私が生まれ育った町で、ただ毎日を過ごす夢。
いつしかそこはモノクロに変わっていき、ものの輪郭すら分からなくなる。
私は、気づいていた。少しずつ、だが確実に、気が狂ってきているのを。追い立てられるように夢の中で町を駆け、現実に帰れば恐ろしい程の郷愁の念が、呪いのように私を夢に呼び戻そうとする。
助けてほしい。だが、構わないでほしくもある。
私はついに、狂ってしまったのだろうか。
「ふぅむ、成る程。この日記の彼は、なかなかいい本を読んでいる」
時代錯誤の服を着た男が、愉しげに呟いた。日毎に変わる帽子の花は、花に興味がない3人には名前すら分からなかったが、この男のお気に入りの花だということだけは分かっている。そしてそういう花を付けてくる日は決まって、問題事が舞い込むのだ。
厄介そうに顔をしかめる要は、注文の多い(招いていない)客人へ紅茶を出してさっさと部屋を出ようとしたが、自分よりもこの相手を嫌っている2人の機嫌がいつにも増して悪いことに気付き、仕方無く部屋の隅に居座る事にした。ここは俺の家なんだがなぁ、と心の中で呟く。
「いやあ、家主くんの紅茶はいつ来ても美味しい。私のここに来る楽しみでもあるわけだが」
「それはどうも。飲んだら早く帰ってくれ。空気が悪くて敵わん」
「わざわざ私が、仕事の依頼を伝えに来たんだよ?ここまで来るのは老体にはきつい。もっとゆっくり休ませてくれ」
「ジジイはさっさと帰って寝てれば?」
「威織くんは口が悪いねえ。でも大丈夫、私は君が心優しい子だと知っているよ。そんなに恐い顔をしないで、楽しくお仕事の話をしようじゃないか」
「アンタの顔と姿と声と性格が無かったら、そんなこともできたかもね」
「やれやれ、嫌われたものだ」
肩を竦める男の表情は、飾られたお面のように少しも変わっておらず、上がったままの口角が威織を更に不快にさせた。今にも一発殴りかかりそうな威織を制するように、咲が話を進める。
「それで、内容は」
「そのままさ。この日記の主は既に物語に喰われている。問題は次の犠牲者になるものが、既に現れているということだね。」
「被害者は」
「近衛鈴乃、天寿を全うする前のご老人さ。どうやらこの物語は、年配の方が好みみたいでね」
「場所は」
「まあ、色々詳しいことはこれに書いてあるよ。読んだ方が早い」
先程までどれだけ催促しても渡そうとしなかった資料を、男は放り投げるようにして咲に渡した。咲はそれに何を言うでもなく、受け取った封筒から資料を取り出し、紙の上の情報に集中する。
「じゃ、もう要済み。じゃあね。早く出てってくれる?」
「冷たいねえ」
「ドラセナ、あんまり煽るな。こっちが困る」
要が非難の目を向けると、ドラセナは仕方無いといった風にドアへと向かった。威織の指がとんとんとリズムを刻んでいる。振り返ることなく立ち去るドラセナが玄関から出ていくのを確認して、要は客間の2人に視線を向けた。
これは、機嫌を直すのに時間がかかりそうだ。
要は夕飯の献立を変更しようと、溜め息を吐きながら部屋を後にする。台所の冷蔵庫を開けると同時に聞こえた怒号に、要は再び溜め息を吐いた。