話題:髪型
矢継ぎ早にカロヤン教授の口から飛び出す突拍子もない言葉の数々に、会場の気絶していない半分の人達はすっかりどよめきたっていた。
その時、話を続けようとする教授に対し、一人の男性が手を挙げながら立ち上がったのだった。
「教授、発言しても宜しいでしょうか?」
教授は男性の方に顔を向け、尋ねる。
『ん…君は?』
「巣鴨で“地蔵堂理髪店”という床屋をやっている理容師のアポジカといいます」
教授の瞳が鋭く光る。
『ほう…君が、あの“バリカンの魔術師”と呼ばれるアポジカ君ですか。噂はかねがね聞いていますよ』
そう…この男こそ、近代史上最高の理容師との呼び声も高いミスター・アポジカであった。バリカン一つで如何なる髪型をも造り出す神憑り的な腕前は「巣鴨の千手観音」「とげぬき理髪王」「下町のバリカン玉三郎」など幾つもの異名を持ち、その名は世界に轟いていた。
「それは光栄です。ところで教授、一つ質問をしたいのですが宜しいでしょうか?」
『ええ、構いません』
アポジカは、会場中の注目を一身に浴びながらも臆する様子は全くない感じで、教授に向かって言った。
「教授の話によると、我々の主体はあくまで“髪”という事ですが…それならば何故、俗にいうハゲチャビンの方達は主体もなしに生きていられるのでしょう?私にはそれが疑問なのです」
確かに、人間の体が髪の毛の為に存在するのならば、髪の毛を失った体には何の存在意義もない事になる。アポジカが抱いた疑問は至極当然の物であった…。
―――――――
超高層マンションの最上階の窓から、遥か猊下に広がる街を見ながら、青ざめた表情の女が呟いた。
「ねぇ…あの、髪の毛を失って倒れてる人たち…亡くなってしまったの?」
それに対し答えたのは、カロヤン教授だった。
『いや、大丈夫。彼らは単にショックで気を失っているだけで、命に別状はないと思う』
レミーマルタンを飲むのに忙しい教授の言葉をアポジカが引き継ぐ。
「そう、大丈夫なんだ。何故なら私たち人間は【イブ】なのだから」
「イブって、もしかしてあの…」
「そうだ」
「頭痛薬の?」
「違うよ。創世記に登場する“アダムとイブ”の【イブ】だ。ですよね教授?」
アポジカの言葉に教授は大きく頷いた。
―――――――
『なるほど、良い質問です』
カロヤン教授は壇上からアポジカを見つめながら言った。
『ところでアポジカ君、君は創世記のアダムとイブの話は知ってますか?』
「はい、詳しくは知りませんが、エデンの園で禁断の林檎を食べてしまったエピソードぐらいは知っています」
『ふむふむ…では、イブがどのようにして誕生したのか、それについてはどうですか?』
思いもよらぬ質問だった。アポジカはしばらく考えてみたが、彼が知っているのは既にアダムとイブの二人が登場した後の物語だけだった。
「いえ…恥ずかしながらそれは」
すると教授は、判ったというふうに軽く頷きながら言った。
『イブというのはね、アダムの肋骨から生まれたのです。つまり、イブはアダムの分身でもあり子孫でもある訳です。それを我々、“髪の毛と体”に当てはめて考えるとどうなると思います?』
アポジカは、教授の言わんとするところをすぐに察した。
「つまり…髪の毛がアダムなら、その下の体はイブ。私たち人間の体は、髪の毛から生まれた分身であり子孫であると」
『その通り。さすが“巣鴨にこの人あり”といわれるアポジカ君です』
この時にはもう、会場で気絶していないのはカロヤン教授とバリカンの魔術師アポジカの二名のみであった…。
―――――――