世界の終わりと髪型と云う名のオブジェ(後編)。

話題:髪型

矢継ぎ早にカロヤン教授の口から飛び出す突拍子もない言葉の数々に、会場の気絶していない半分の人達はすっかりどよめきたっていた。

その時、話を続けようとする教授に対し、一人の男性が手を挙げながら立ち上がったのだった。

「教授、発言しても宜しいでしょうか?」

教授は男性の方に顔を向け、尋ねる。

『ん…君は?』

「巣鴨で“地蔵堂理髪店”という床屋をやっている理容師のアポジカといいます」

教授の瞳が鋭く光る。

『ほう…君が、あの“バリカンの魔術師”と呼ばれるアポジカ君ですか。噂はかねがね聞いていますよ』

そう…この男こそ、近代史上最高の理容師との呼び声も高いミスター・アポジカであった。バリカン一つで如何なる髪型をも造り出す神憑り的な腕前は「巣鴨の千手観音」「とげぬき理髪王」「下町のバリカン玉三郎」など幾つもの異名を持ち、その名は世界に轟いていた。

「それは光栄です。ところで教授、一つ質問をしたいのですが宜しいでしょうか?」

『ええ、構いません』

アポジカは、会場中の注目を一身に浴びながらも臆する様子は全くない感じで、教授に向かって言った。

「教授の話によると、我々の主体はあくまで“髪”という事ですが…それならば何故、俗にいうハゲチャビンの方達は主体もなしに生きていられるのでしょう?私にはそれが疑問なのです」

確かに、人間の体が髪の毛の為に存在するのならば、髪の毛を失った体には何の存在意義もない事になる。アポジカが抱いた疑問は至極当然の物であった…。

―――――――

超高層マンションの最上階の窓から、遥か猊下に広がる街を見ながら、青ざめた表情の女が呟いた。

「ねぇ…あの、髪の毛を失って倒れてる人たち…亡くなってしまったの?」

それに対し答えたのは、カロヤン教授だった。

『いや、大丈夫。彼らは単にショックで気を失っているだけで、命に別状はないと思う』

レミーマルタンを飲むのに忙しい教授の言葉をアポジカが引き継ぐ。

「そう、大丈夫なんだ。何故なら私たち人間は【イブ】なのだから」

「イブって、もしかしてあの…」

「そうだ」

「頭痛薬の?」

「違うよ。創世記に登場する“アダムとイブ”の【イブ】だ。ですよね教授?」

アポジカの言葉に教授は大きく頷いた。


―――――――

『なるほど、良い質問です』

カロヤン教授は壇上からアポジカを見つめながら言った。

『ところでアポジカ君、君は創世記のアダムとイブの話は知ってますか?』

「はい、詳しくは知りませんが、エデンの園で禁断の林檎を食べてしまったエピソードぐらいは知っています」

『ふむふむ…では、イブがどのようにして誕生したのか、それについてはどうですか?』

思いもよらぬ質問だった。アポジカはしばらく考えてみたが、彼が知っているのは既にアダムとイブの二人が登場した後の物語だけだった。

「いえ…恥ずかしながらそれは」

すると教授は、判ったというふうに軽く頷きながら言った。

『イブというのはね、アダムの肋骨から生まれたのです。つまり、イブはアダムの分身でもあり子孫でもある訳です。それを我々、“髪の毛と体”に当てはめて考えるとどうなると思います?』

アポジカは、教授の言わんとするところをすぐに察した。

「つまり…髪の毛がアダムなら、その下の体はイブ。私たち人間の体は、髪の毛から生まれた分身であり子孫であると」

『その通り。さすが“巣鴨にこの人あり”といわれるアポジカ君です』

この時にはもう、会場で気絶していないのはカロヤン教授とバリカンの魔術師アポジカの二名のみであった…。

―――――――

 
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世界の終わりと髪型と云う名のオブジェ(中編)。

話題:髪型

騒然とする会場を尻目に、教授は先を続けた。

そうなると、話はまたガラリと変わって来るのです。

残念ながら、私が冒頭で語った『髪は頭部の防護材』などと云う論理は、木っ端微塵に吹き飛ぶ事となります。何せ、人間と云う崇高なる生命の主体は髪の毛なのですから。

主体で客体を守るなど、王将で歩を守るようなもので、そんな事は到底有り得ないのです。その考えで行くと、人体の各パーツについての認識も一変する事となります。

全ては髪の毛を為に在るのだから、手は髪を整える為に生えて来た事になるし、目は髪型を確認する為に開いた事になるでしょう。同様に、耳は髪の毛に近付いて来る虫を察知するレーダーとして、更に口は髪に栄養を補給する為の取り入れ口として、存在を認められたのです。足はもちろん、美容院に通う為に創られた。

その他のパーツについては、各自で自由に考えて頂くとして‥実は、根本的な疑問は依然として其処に残っている事に、皆様はお気づきでしょうか?
それはつまり、

『髪は何故、己に美術的造形が施される事を望むのか?』

と云う問題です。

余りの驚愕すべき内容に、会場では気絶する者も出始めていた‥。

――――――

女『髪の毛が…空を飛んでる!?』

男は少し落ち着きを取り戻した感じで、静かに言った。

『飛んでると云うより…上昇してるんだ』

見れば確かに、空中の髪の毛群はどれも地上から、殆ど垂直に近い角度で上昇しながら飛んでいる。

それにしても奇妙なのは一つ一つの髪の毛の形状であった。髪の毛の一本一本が宙に浮いているのではなく、髪全体が一つにまとまった形…つまり【髪型の状態】で風船のように空に浮かんでいるのだ。

女『カ…カツラ?これ…全部カツラなのかしら?』

女がそう思うのも無理は無い。しかし男は、そうでは無い事を知っていた。

『いや…これは全部、地毛だと思う』

女『地毛って!‥それじゃまるで、人間から髪型だけが分離独立したみたいじゃない!』

『カロヤン教授の話は、やはり本当だったんだ…』

男は、一年前の《国際髪型フォーラム》でカロヤン教授が語った突拍子もない話を思い出していた‥。


――――――

そもそも【髪型】とは…いえ、それ以前にいわゆる【形】とは何なのでしょうか?

カロヤン教授の話は、もはやフォーラム本来のテーマである【トレンド】から大きく離れ、別学問の様相を帯び始めていた。

私が思うに…形と云うものは一種の【波長】として捉えるべきでは無いのかと。

そして【髪型をキメる】とは、“髪の毛によって特定の波長を作り出す行為”と言い換えても良いのではないかと思うのです。では、生命体である【髪の毛】は何故、太古の昔からリーゼントやパンチパーマ、ポニーテールやソバージュなど実に数多くの【髪型】を作る事に躍起となっているのでしょうか?

言い換えれば‥『何故、髪の毛は、こんなにも多くの波長を作りたがって来たのか?』‥そういう車になります。

ここで思い出して頂きたいのは、波長は信号として使われる場合が多いと云う事です。

つまり髪の毛は【髪型と云う信号】を遥か昔から何者かに向けて発信し続けている‥

それが『髪の毛は何故、人間(人体)に髪型を作らせようとするのか』と云う問いに対する私の答えなのです。

――――――
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