我が愛しの麒麟首小学校。


話題:妄想を語ろう



僕の通っていた小学校は、麒麟首小学校という名前の素敵に怪しい学校でした。

校長先生はとても優しく、逆に、教頭先生はかなり厳しい人でした。しかし、僕たち生徒は気づいていました。校長先生と教頭先生が実は同一人物で、一人二役を演じていた事を。何故そんな事をするのか、理由は誰にも解りません。

卒業アルバムにおける“尊敬する偉人 第1位”は【ガリガリ君】となっていますが、これは恐らく【ガリレオ・ガリレイ】の事を言いたかったのでしょう。

給食は、メキシコの伝統料理か創作メキシコ料理、どちらか好きな方を自由に選べましたが、正直、メキシコじゃないものが食べたかったです。例えば和食とか。…と生徒会の有志が学校側に要望を出したところ、次の年から、梅茶漬けか鮭茶漬け、どちらか好きな方を選べるようになったそうです。

校歌はピーター(池畑慎之介)さんの【夜と朝のあいだに】でした。何らかの式典や朝礼で校歌を唄う度、自分の中から子供らしいハツラツとした爽やかさが確実に失われてゆくのが手に取るように判ったものです。

それでも、隣の地区から転校してきた友だちに言わせると…この曲はまだ適度な湿り気があるだけマシ、椎茸がよく育ちそう…なのだそうです。言われてみれば確かに、校内のいたるところで椎茸が栽培されており、授業にも【椎茸】なる謎の科目がありました。国語・算数・理科・椎茸…みたいな並びで当たり前のように。もしかすると、椎茸を栽培する為にこの校歌が選ばれたのかも知れません。

因みに、彼が前に通っていた学校(象鼻小学校)の校歌はクリス・レアの【オン・ザ・ビーチ】だそうです。六年間、この枯れた曲を聴き続けた生徒たちは、卒業する頃には皆、白髪になっているらしい。彼は、「(校歌は)せめてバーティ・ヒギンスの【カサブランカ】にして欲しかったなあ」と言っていたけれど、正直、大して変わらないと思う。


そんな風に、僕の通っていた小学校はなかなか怪しく、でも、お釣りがくるぐらい素敵な学校でした。他にも色々と変わったところはあるのだけれども…それはまた、気が向いた時にでもお話出来たなら…と思っているのです。


(続く?)。

外は寒いから鬼も福も家に入って仲良く温まりんしゃい、という奇数的な節分の気分。


話題:なるほど納得な話し



「2月3日は節分だ」と世間は言う、当たり前のように。

敢えて私は、その“当たり前”に、こう返したい。

「節分は2月4日では無かったですかね?」と。

子供の頃、節分は間違いなく2月4日だったような気がしてならない。「間違いなく…」と始めながら「…気がしてならない」と終わるところに竜頭蛇尾的な頼りなさを感じなくもないが、兎にも角にもそうなんである。

思い込みによる勘違い。

ごもっとも。確かに、記憶の誤謬を長年引き摺る事は往々にしてある。しかし、それを踏まえてなお、『節分が2月3日』なのはどうにも釈然としないのだ。

その釈然としなさ、感覚の違和は、恐らくイメージの違いに素因する。【節分】という熟語は【節】と【分】の2文字で成立している。【節】と【分】、共に“すっきりと割り切れる雰囲気”を持った文字だ。同様に【2月4日】も、2と4が共に偶数であるせいで、やはり“割り切れる雰囲気”を持っている。

つまり、イメージの重なりという点からも節分は2月4日が相応しいのである。事実、子供の頃の私は、豆まきで豆を鬼にぶつけるように、2月4日の【2】を【4】にぶつけて遊んでいた。勿論、頭の中にあるピタゴラス的空間での遊びだ。【2】をぶつけられた【4】は【2】と【2】に分かれ…といった感じの遊びだ。(←何の説明にもなってない気がする)。

兎に角。【節分】と【2月4日】の組み合わせは、イメージ的にしっくりくるのである。これに対し【2月3日】はちょっと違う。【2】と【3】は隣り合わせの数字なので、【2月4日】のような分割に適したアパートメントな雰囲気では無く、むしろ逆に、寄り添うようなイメージを持っている。言うなれば、壁にもたれて立っている。或いは、壁際に寝返り打って背中で聞いている。そう、ジュリーの雰囲気だ。

閑話休題。

『節分が2月3日だ』という事を改めて気づかされたのが約十年前。そこがどうにも解せないのである。と言うのも、それ以前の数十年間、“節分は2月4日である”という私の常識はちゃんと世間に通用していたのだから。もしも、本当に節分が遥か昔から2月3日であったとするなら、とっくに気づいていて良さそうなものである。

そこで、一つの仮説を立てた。

もしかしたら私は、知らず知らずの内に【節分が2月4日である世界】から【節分が2月3日である世界】にトリップしてしまったのではないか。それが約十年前の事。

パラレルワールド大好き人間の本領発揮である。

隣り合わせにある2つの世界。その違いは、節分が2月3日なのか2月4日なのか、その一点のみ。それ以外は全てが一致している、ほぼ同一の世界。そう考えると、約十年前、それまで全く気にも留めていなかった節分の日付に、突然、違和感を覚えたという不自然さにも納得が行く。

恐らく皆様の中にも居らっしゃるでしょう。表立って口にはしないものの、(クリスマスイブって、8月10日だったはずなんだけど…おかしいなあ)などと密かに思っている方が。確かに、それはよくある勘違いかも知れません。しかし、実は、貴方の記憶や常識は全く正しくて、世界の方が変わっていた…或いはそんな可能性も…。



〜おしまい〜。


<<prev next>>
カレンダー
<< 2016年02月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29
アーカイブ