子供の頃に実の父親に性的暴行を加えられていた19才の女性が父親を訴えた裁判で、地裁は父親を無罪にした事件は、検察が父親を控訴したしたことが報道された。

狭い家での暴行、家族が知らないので(本当にあったか立証できない)、また父親を拒もうと思えば拒めるので無罪というのは、今の日本ではさほど驚かない。
児童のセクハラや性的虐待に対して日本社会は臭いものにふただからだ。

学校でも、この子は家庭で性的被害にあっているのだな、とわかってしまう子は何人かいた。

大抵は相談者に相談してもなかなか信じてもらいえない。
貴女の気のせいよ。悪くとりすぎ。
貴女が可愛いのよ。

胸や局所をさわられてもどこが気のせいなのだろうか。
被害者が大人ならば有罪だろう。

または過去の事なので証拠がないから、それは偽の記憶でしょう、と言われる。

野田の事件は児童相談所が槍玉に上がったが、それにかかる専門家も対応できない人はよくいるのだ。


私が相談した医師はその場では否定しなかったが、後でその数々の行為は性的なものを含む虐待じゃない、と言いはなった。

おこられたら子供を殴る蹴るは普通にあるでしょう。私だって…(部屋のすみに追いやられて殴られたりころがされるように蹴られたのだから…)
虐待された行為やニュアンスを言葉にはさみながら医師は口ごもった。
私は呆気に取られて二の句が継げなかった。
同時にこの人も被虐待者だったのだという事を知ったのだった。

長時間暴行されるだけじゃなく、親に胸を触られスカートの中に手を伸ばされても否定されるんだ。
だけどどうして庇護下にある子供が抗う事ができるだろう。
触られている間は気持ちの悪い恐怖の時間でしかない。
身も心も凍らせて大人しくしておくのが精一杯だ。


悪い事をした大人はばらすなと子供を脅し、どうにも我慢できず恥ずかしさでやっとの思いで相談者に匂わすとありえない、気のせいと否定される。
大人になって訴えても、時効の壁が最近まであったのだ。


裁判の女性は司法の判断に打ちのめされただろう。
勇気を振り絞って訴えたのだろうに。


野田の虐待事件や優生保護法による強制不妊の一連の流れをみても、子供や障害者などの権利をこんなにないがしろにしている先進国はそうそうないだろう。
社会が守らないのだから、まともに育つ子供はますます数が少なくなる。